ワイルドカード6巻その6

                スティーブン・リー

             飢えはつねに感じている。
今週末には、民主党推薦候補に確定する見通しはすでにたっているが、
それがなんだというのだ。
マリオットをエレベーターで下りながら、これからジャック・ブローンに
ハイラム・ワーチェスターと朝食をともにするというのに、すでに胃の腑に燐の
ように焼け付く感触が依然として留まっており、クロワッサンやコーヒーどころでは
満たせそうもない、暴力を求める衝動が、燻っているのだ。
もちろんそれはパペットマンのもので、そいつは他人の痛みを求めている。

その葛藤を見抜いたかのように、秘書のエーミィが肩に触れ、顔をのぞきこんで
遠慮しがちに声をかけてきた。
Sir(どこかお悪いのですか)?」
純白で染み一つないカーニフェックスのユニフォームに身を包み、パーソナル
セキュリティを任じ前に立つビリー・レイまでも振り返って顔を寄せてきたが
あくびをして見せてから、笑顔をうかべてみせた。
「疲れて……いるんだろうね、エーミィ、会期も長いし、この週末はさらに長いものに
なるだろうから……コーヒーをくれないか、それで少しはましになって
群集というものに立ち向かえるだろうからね」
エーミィははにかみながらも困惑交じりの体ながら、ビリー・レィはそれで納得したようで、
マリオット・マーキスの広大なロビーに続くドアに向き直った。
その表情もまたいかめしいものに戻っている。
「それでは奥様はいかがですか?」
「何もない、何もないよ」
そう答え、頭上に広がっている空虚に思える人ごみにあふれたロビーに目をやると、発泡スチロールのグライダーが、ゆったりと旋回しながら上昇していくのが視線に飛び込んできた、レストランの人ごみから投じられたもののようで、その胴体には翼の映えた女性の姿が描かれていてうさんくさいながらもペレグリンと見て取れる、他にも多くのグライダーが上では舞っているようだ。
「初めの三ヶ月はかなり神経質な様子だったけれど、いまは落ち着いている、心配ない、疲れてはいるけどね」
「そういうことでしたか、存じませんで失礼いたしました、男児女児どちらをお望みですか?」
「どちらでもかまわないよ、健康でさえあればね」
揺らぎが大きくなっていき、
気圧が変化したような耳鳴りを覚えながらも、パペットマンの唸りが大きくなっていく、
何もないだと……コーヒーでどうにかなるものでもあるまいに
その声は嘲りに満ちている。
どれだけ待てばいい?
随分味わっちゃいないじゃないか?
黙れ、今はそのときじゃない
そうともすぐさ、まもなくだとも、なぁグレッギー

響く声々を精神の奥深くに押し込もうとしたが、パペットマンは怒りにまかせ、その戒めを外そうともがいているではないか。
そうして精神の内で障壁を叩きつづけている。
初めは微かなさざ波にすぎなかったものが、今では錨でも打ち込まれたかのように感じられるようになり、ここ数ヶ月ではかなり頻繁に顔を覗かせるようになっている。
長い会期で疲れているせいだ、と己に言い聞かせているが、パペットマンが暗い暴力の衝動を味わおうと求めるのを。
そこに障壁を築き、外から力を加えてパペットと切り離しこらえてはいるが、咆哮とともにそれを揺らし打ち据えている。
なんとかしてしまいたいと祈りはしているが、よくなるどころかむしろ悪くなる一方だ。

ここ数週間でとみに、内で微かに嘲るような笑い声を感じるようになり、疲労は増すばかりで。
その葛藤がいつか明るみにでてしまうのではないかと怖れてすらいるのだ。
これ以上待たせるとどうなるだろうね。
手綱はどちらにあるというのかな。
どっちが本当はパペットなのか明らかになるかもなぁ

おさえが効かなくなってきている
メンタルバーで押さえつけてはいるが、反抗心が膨らんで、早口で不平をまくし立てながら唾を撒き散らしているではないか。
はいつくばらせてみせようか
パペットらしく
わかっているのだろう
お前を生かしているのが何者なのかを。
わたしなしでは何一つ適わないということを。
わたしの死が何を意味するかはわかっているだろ。
そうお前自身の死だ。

相当な努力を必要としたが、目標階についたところで
パペットマンをようやく黙らせることができた。
疲労困憊しつつ壁にもたれかかっているのを、エーミィが気遣わしげにみつめている。
そうしてドアが開いて、冷たい空気とともに、ロビーの喧騒もが飛び込んできた。
そこに集う人々のほとんどはハートマンの名を綴った襷や帽子を身につけているのが目に付いて、
彼らに取り囲まれると、再び騒音に取り囲まれたように思えてならない。
そうしているとシークレットサーヴィスが自然と彼らの間に割り込んで、彼らと距離をつくってくれた。
そこで笑顔で手を振って見せると一旦話しかける声は静まりはしたが、
                ハートマン! ハートマン!
と叫ぶシュプレヒコールでロビーが満たされ、エーミィがやれやれというように首を振って嘆息をもらした
「まるで綱渡りですね」と漏らしながら、

レイの先導で、プライベートルームへと向かっている。
そこでハイラムにブローンと会うのだ。
部屋に入るとジャックはそこにいた。
室内は空調が利いていてロビーよりも息苦しくすら思える。
そして何よりもジャックだ、ゴールデンボーイと呼ばれたその男は、背が高くハンサムなまま、フォーエースの全盛期から40近い年月が過ぎ去っているというのに、この男は年をとっていないように思え、映画スターの往時の光をも身にまとったままのようで、近くにいると影になったようにすら感じさせる。
グレッグは思わず寒気を感じたように己の肩を掴んでいたが、それに立ち上がって相対したジャックは、感情を押し殺しているようだ。
別に驚くには値しないことだろうし、世間と折り合いがついていようがいまいがグレッグは構わないと考えている。
正直なところ幸福であろうがなかろうがそれすらもかかわりのないことだと思える、公式に和解させたこと自体が価値を持つ、もちろんそれ自体が表向きには、だが、
上院議員、エーミィ」そう声をかけつつ二人に視線を向けながらも、よりエーミィが気にかかっているように感じられる。
それにこれには驚いたが、どうやら互いに惹かれあっているらしい。
パペットマンは秘めた事柄を暴き立ててみせるのだ。
「おはようございます、エレンさんの具合はいかがですか?」
「日に日に大きくなっているから、
心労も大きくてね、これは私もだけれど」
「お察しします、戦局も厳しいようですね」
「まぁ始まったばかりだけどね」
ジャックの言葉にいらだちとざわざわした感情を感じながらも、何とか笑顔を浮かべることができた。
それに対しブローンも複雑な表情をしばらく浮かべていたが、笑みとともに応えた。
「それもそうですね、カリフォルニアでは、ジェット機関の異常で、一晩スーパー代議士と呼ばれる連中に囲まれて相当居心地の悪い羽目に陥りましたから、
お気持ちも多少は理解できるかと」
「ところで、ワーチェスターはまだきていないのかね」
「あなたもお会いしてませんか?」
ついグレッグも声と表情に苛立ちを滲ませて詰問してしまった。
「まだきてないとしたら、Bello Mondoベロ・モンドに身体が入らなくなって朝食を抜いたのかな」
グレッグはそうして額に皺を寄せつつ肩をすくめてみせた。
「この朝食に互いの違いを乗り越える機会として期待されていることは理解しています、多少おこがましさを感じないでもありませんがね、彼の寛大さにも限度というものがあった、そういうことではありませんか」
「私はそうは思っていないよ、ジャック」
ジャックは片繭を上げて、苦笑を浮かべながら返した。
「もちろん30枚の10セント銀貨を出すことはもうしないでしょうけれどね」
「エーミィ」グレッグが困り果ててあげた声にエーミィが応じてくれた。
「もう終わったことですわ、少し探しにいってきます、よろしいですね」
結局そういい残してエーミィがいなくなってしまったため、ブローンとまた顔をつきあわせることになってしまった。
「まぁハイラムが来ようが来るまいが、お腹はすいているのだからね、ともかく飢えはみたそうじゃないか」
それはブローンに対してのみ言ったつもりだったが、
内で感情が高まっていくのも感じてうんざり思えてならない、パペットマンが再び怒りとともに飢えを訴え始めたのだ・・
ブローンは何もいいはしないが、明らかに怪訝な表情を浮かべてこちらをうかがっているではないか。
首を振って怒りを抑え込みながら何とか言葉を搾り出した。
「まだ本調子ではないようだね、ちょっとコーヒーを飲んでから行くよ、かまわないだろう」と取り繕いながら。




              ウォルター・ジョン・ウィリアムズ

どうにもおかしい、グレッグ・ハートマン、すなわち次の大統領にと望んでいる男に会ってこれほど居心地の悪さを感じたことはこれまでなかったのだ・・・
二日酔いに障る、ということだろうか・・・
グレッグが自分でコーヒーを煎れ、カップがソーサーと立てる音すら耳障りに思えてならない・・・
グレッグこそ孤立無援と排斥から救い出してくれた当人であり、この朝食という名の茶番にも、彼から声がかからなければ来ることはなかっただろうに・・・
疲れているのだろう、グレッグ同様に、いかにグレッグといおうとも始終愛想を振りまいていられまい、ただそれだけのことなのだ・・・
「そういえばナチスの格好をした連中が大勢乗った車がありましたね・・」
そう振った話題に応じたグレッグには何もおかしいところはないように思えた・・・
ナチスの制服とはね・・」
「Klan(KKK)みたく面倒な連中はどこにでもいるのですね」
「おかしな連中もいる分にはかまわないが、おおやけに出てこられては困るのだが・・・」
「タートルがいてくれてよかったですね」
「まったくその通りだね」そう応えて視線をジャックに据えてから続けた。
「そういえばタートルに会ったことは?」
両手を上に上げ大袈裟にジャックが応えた。
「お会いしたいものですね」
笑顔で応じながらも己の内にピリピリした感情をも感じている・・・
「まぁ和解などというものは一人とで充分というものでしょう・・」
ハートマンがネクタイをいじりながら尋ねてきた・・
「彼とも何かあったのかね・・」
さらに肩をすくめながらジャックは応えた・・
「彼がどう思っているかは預かりしらないところですから・・・なかったともいえないでしょう・・」
グレッグはその言葉に応じるようにジャックに歩み寄り、肩に手をかけて見つめてきた・・・
やはりその目は気遣いに溢れたものだ・・・
「気を回しすぎではないかね、ジャック、誰もが君の過去に対して噛み付いてくるとは限らないのだから、
もう少し打ち解けてもいいのじゃないかな、そうすればより理解も得られるというものだろう・・」
カップの中のコーヒーの渦を見つめながらも、それがきりもみしながら失墜していくアールのイメージに結びつき、まずいものを感じながら応えていた・・
「ああ、グレッグ・・努力はしてみよう」と・・
「カリフォルニアは激戦区だ、そこに相応しい人間
だと期待しているんだよ・・」
「なぜ私にそこまでいれこむのですか?」
「過去に引き起こされた繰り返されてはならない過ちを象徴しているからね、かつて他のフォーエーシィズは収監されたり生命を失いもしたが、君は生き延びた、なぜだと思うかね・・」
そこでグレッグはいたずらっぽいはにかんだ微笑を浮かべながら言葉を継いだ・・
「自尊心というものは失ってしまったかもしれない、
それでも充分じゃないというものもいるかもしれないがね、もう痛みから解放されてもいいのじゃなかろうか、もう充分に償ったといえるのじゃなかろうか・・」そこで肩を強く叩いて続けた
「そういうあなたが必要だからです、また旅をともにしようではありませんか・・」
ジャックはついまじまじとグレッグをみつめてしまった、頭では葬列に連なるベルのごときシニカルな想いが渦巻いているというのに・・・グレッグは本気で話しているというのだろうか・・・
尊厳すら失ってしまった男を影で笑っているのではあるまいか?
そんな考えを頭から振り払いながら己に言い聞かせた。
スタックド・デッキでは世話になったではないか
気遣ってくれている友人の口調から政治家の口調に変わっただけの話なのだと・・・
「大丈夫なのか?」思わずグレッグを気遣ってしまっていた・・・
ハートマンは肩から手を下ろし、少し距離をおいてから言葉を返した・・・
「すまない・・あまりにも事態が緊迫しているものでね・・つい・・」
「少し休んだ方がいい・・」
「そうかもしれないね・・」
グレッグはそこで一端咳払いをしてから言葉を続けた
「チャールズから昨日の話を聞いたものだから・・」
「すこし羽目を外して飲んでしまった、それだけですよ・・」
そこでハートマンがくすくす笑いを浮かべて話し始めた、またいたずらをうちあけるかのように・・・
「チャールズから彼らのルームナンバーと電話番号は聞いてるからね、これから・・・」
そこでドアが開かれた・・・
ジャックは思わず過敏に反応して手にしたコーヒーをこぼしそうになった、ドアに目を向けると、そこに立っていたのは、
ハイラム・ワーチェスターではなく・・・
エーミィで・・・
なぜか気まずさを感じナプキンを手にとっていた・・・
「ノックもせずにすみません、取り急ぎお伝えした方がよいかと・・ジョーカータウンのファーズから連絡が
入ったのです・・
ニューヨークでクリサリスが遺体で発見されました・・おそらく何らかのエースが係わっていようかと・・」
驚きが意識に染みわたって来るように感じている・・
スタックド・デッキでクリサリスと行動を共にしていたときも、妙な居心地の悪さを常に感じていた・・
筋肉や神経線維が透けて見えるその皮膚は、二次大戦や朝鮮で見てきた様々な惨劇を思いこさせたから・・
ともあれそうした異形でありながらも、洗練された物腰で、シガレットホルダーにトランプを弄ぶさまは割り切った態度が感じられ、畏敬すら感じたものだった・・
ハートマンの表情も厳粛なものとなり、そこから発せられた声にも緊張が感じられた・・・
「他に詳しい情報は?」
「遺体は放置されていたそうです、まるで・・」
エーミィはそこで一端躊躇を示したが、何とか言葉を搾り出した・・・
「バーネットのプロパガンダで語られている<ワイルドカード被害>そのもので、彼が知ったら早速喧伝に利用することでしょう・・・」
「それは避けたいところだな、知遇のある人間がさらされるのは本意ではないからね・・」
そう応えたグレッグの顔が常ならぬ仮面のように感じられる・・
おそらく彼にとっても予想外の事態であったのではあるまいか・・・
「昨晩Tony Cakderoneトニー・カルデロン氏がチェックインされました・・」
エーミィがさらに言葉を続けた・・・
「彼が声明をだせばバーネットに対する抑止となるでしょう・・」
ため息まじりにグレッグが応えた
「そうするしかなさそうだね」
そこでグレッグはジャックに視線を移して言葉を継いだ・・・
「すまない、私はここで失礼しなければならないようだ・・・」
「私も失礼しましょうか・・」
グレッグの瞳が思案気に動いて、ジャックに据えられて・・・
「残ってくれると助かるのだがね、ハイラムとあなたがいてくれたら心強い・・・違いを乗り越えて理解しあうことの大切さをその存在で雄弁に物語ってくれるからね・・」
ユダと聖パウロが理解しあうなどということがありえようか、そんな考えがよぎりはしたが、ため息混じりに応えた・・・
「ワーチェスターとはもはやわだかまりはありませんよ、グレッグ、あなたの友人の一人、それでいいでしょう・・」
ハートマンが笑顔で応えた
「それでいい」
そうしてグレッグはジャックの肩を強く叩いてからその場を離れ、エーミィも一緒にいなくなってしまうと、途端に部屋も空っぽになったようにすら感じられて・・・
ビュッフェ(波、悲報といった意味もある)に載った朝食すら冷えきって思え・・・
脳裏に同じイメージが繰り返される・・・
アールのグライダーが大地に激突し砕け散るのだ、
さながらリフレインのごとく、何度も何度も・・・