ワイルドカード6巻その16

           ウォルター・ジョン・ウィリアムズ

                 午後7時

夕食のため党大会は一端閉会となった。
九時に再開するとのことだった。
ジャックはガラス張りのエレベーターに乗り込むと、ドミノピザを抱えた男がいたが、
その視線はしっかりとドアにむけ背けられている。
タキオン言うところの50年かけて熟成された病理というやつだ。
長くつきまといはしているが死にいたるというほどのものではない。
そこでドアが開いてピザを抱えた男はつかつかとハートマンの選挙
事務所にむかっていった。
そうしてほっとしたところで、吹き抜けのホールからは
<アルゼンチンよ、わたしのために嘆かないで>の忌々しい旋律が
たちのぼってくるときたものだ。
もちろんピアニストは仕事をこなしているだけで、悪気などあろうはずもない
そう己に言い聞かせていたところでビリー・レイの姿が視界に飛び込んできた。
白いカーニフェックス(ビリー・レイの通称)スーツの胸をそり返し尊大に立っていて、
ピザの配達員は素通りさせたにもかかわらず、マーシャル・アーツを思わせる素早さで、
「ブローン、上院議員があんたを呼んだってか?」
そういってジャックの前にたちはだかったではないか。
視線をうつしてこたえた。
「勘弁してくれ、こっちは忙しい身なんだから」
あきらかにけんか腰な表情を横目でかわしながら弱っていると
「こっちも仕事なんでな、そのケースの中も見せてもらおうか」
と言ってかさにかかってくる。
その態度にいらだちつつもケースに手をかけ、空けて選挙本部に直通のセルラーフォンを示して見せたが
「IDを見せな」とさらにかさねてきた。
ポケットから放り出すようにしてIDを出しながらも思わずぼやいていた。
「とんだPratプラット(駄々っ子)だな、手がかかってしょうがないときたものだ」
Pratプラット(駄々っ子)だと、なんて言い草だろう、世界最強のGolden Weenieゴールデン・
ウィーニー(金ボケ野郎)の言葉とも思えませんなぁ」
唇を舐め、IDを視線で嘗め回しつつもそのフレーズが気に入ったようでもう一度くりかえしてみせた。
「そうともゴールデン・ウィーニーだ」
腕を組んで視線に抗議の意思をこめてみせたが通じやしない。
スタックド・デッキで旅をともにして以来ずっとこうだ、折を見てつっかかってくる。
「レイ、そろそろどいてくれないかな」
それでもレイは譲ろうとしなかった。
「できるもんならやってみな、ウィーニー(臆病者)が……」そういって笑顔ですごんでいるときたものだ。
たしかにワイルドカードによって人並みはずれた力とスピードをレイは得ているが何ほどのこともあるまい。
そうして脳裏でこいつの頭をかぼちゃのように叩き潰すイメージを描いて己を慰め自制することにした。
実際パンチ一発で黙らせることができるだろうから。
ともあれ今はそうすべきでないこともわきまえている。
「俺の仕事は上院議員を当選させることで、ボディガードとことをかまえることじゃない、だから
グレッグがホワイトハウスに入った後でなら、いくらでもあんたをこらしめてやれる、それでいいだろう」
「それでいいとしといてやるぜ、ウィーニー(臆病者)」
「ああ、11月8日までの辛抱というやつだ」
「8日の深夜を一分でもすぎるのが楽しみだぜ、覚えておくんだな、ウィーニー(臆病者)」
そう言ってレイはようやく道をゆずり、選挙本部のあるスイートに入ることができた。
開かれたピザの箱。
群がる関係者たち。
TVのモニターは、判断のつかなくなっている大衆に泡のごときイメージを提供し続けているときたものだ。
そいつを横目にピザを一箱とってダニーの部屋に向かっていく。
Campaign Parliamentarian選挙参謀を務めるその男は
髪の白い恰幅の良いクイーンズ州の元下院議員で、アイルランド系の支持を集めていたがプエルトリコ有権者
票の流入によって議席を失い、今は民主党代議員のアイルランド系票のとりまとめの助言をしている身だ。
辺りを見回してみると、ベッドのところにも空のビンや、リーガル(法律文書)サイズの紙片が散乱している。
「何か食べた方がよくはないか?」と声をかけると、
「さほど変わらんさ」という重い声が返ってきて、
そして「9条c項だ、そいつのTsetcase判例が問題なんだ」と重ねてくる。
「それはどういうことだい?」と瞼をこすりながら鸚鵡返しに訊ねていた。
9条c項は推薦を受けていながら落選した候補に対する代議員の割り当てのFormula取り決めでね。
9条c項によれば、その落選候補の代議員は、その州で勝ち残った他の候補
とは峻別されてしまうということなんだ。
つまりイリノイ州でゲファルトが落選すれば、イリノイ州
彼の推薦する代議員達も同じ運命を辿るということで、
ジャクソンやデュカキスの代議員との扱いが違ってくるということだ。
つまり我々もそういう待遇ということなんだ。」
「その通りだよ」
「バーネットと共和党の長老の一部はお構いなしに9条C項を無視し
好きな代議員に票を投じようとしていて、
それを認めない党長老の票がCuomoクオモやBradleyブラッドレイに
流れているという話もあるからね」
ローガンは薄くなった白い髪を梳きながら続けた。
「9条C項に沿うと表明しながら、カリフォルニアではその対抗措置も
同時に講じなくてはならん」
「つまり9条C項を無視すると?」
そう訪ねたジャックがボトルに手を伸ばしてラッパ飲みしていると、
「グレッグにとって朗報といえるのはデュカキスも9条C項に叛意を
表明しているということなんだが、それだけでは十分といえん状況
に陥ってしまった」
そしてベッドに拳をぶつけて続けた。
「あのリポーターの女との醜聞が嗅ぎ付けられちまった。
これじゃハートの二の舞だ、血の匂いをかぎつけずにはいられないって
わけだ」
「何か手はうたないのか?」
ジャックがそう訊ねると、
「時を待つさ」
ローガンはそう応えてからげっぷをしてのけた。
「待つのも作戦のうちだ」
「それでどうなると?」
「そのうちにグレッグも模索し始めるだろうな、引き際をね」
ジャックは湧き上がる怒りと共に拳を振り上げて応じていた。
「予備選の多くは大勝をおさめてるじゃないか、何の問題がある」
「だからターゲットにされるんだ」
ローガンはその目に涙を湛え、それを手の甲で拭いながら続けた
「グレッグは俺が落選したときにも態度を変えはしなかった、
そんな人間が貶められていいわけがない、彼こそ大統領になるべき
男なんだ」
顔をくしゃくしゃにしながらローガンは続けた。
「それでもこのままでは我々も一蓮托生だろう」
そうしてローガンはジャックの目の前でピザの箱の中身を
恰幅の良い腹に納めながら嘆き悲しんでいるではないか。
風が絶望の哀歌を歌い上げるかのように。
いつもこうだ、そうぼやきながら考えていた。
ようやく表舞台にたつことができて、新たな希望を得たと
思っていると。
それはいつも潰えてしまうのだ。
選挙本部で、まだピザに群がっている運動員達にグレッグの
居場所を訊いて、デヴォーンとエーミィ・ソーレンスン相手に
選挙戦略を練っているという情報は聞き出すことができた。
まだ態度を決めかねているスーパー代議士に電話攻勢をかける
ことに決まったらしい。
そこでジャックは特にすることも見つからず、ピザを何切れか
摘み、テレビの前に落ち着いたところで、
「そろそろ投票がしめきられますね」というテッド・コッペルの
声がジャックの耳に響いた。
そこに党大会の新たに解放されたスカイブースから、
デヴィッド・ブリンクリィの苦み走った声がさらに
被さってきた。
「ハートマン陣営にとってここでの予備選は、カリフォルニアの前の
腕試しといったところでしょうか」
「どういったリスク対策の戦略がとられているのでしょうか?」
ブリンクレイはいちいち大げさに思える声でそう言っていて、
「ハートマン陣営はいつも崖っぷちですからね、デヴィッド。
「調子の良いメディアによって拵えられた リベラルな政治信条の
イメージは逆にリスクともとれることは、彼の陣営の人間の口からも
あがっているくらいですからね。今晩のカリフォルニアでの予備選を
落としたとしても、ハートマンがジョーカーの権利条項を党の綱領に
織り込むことに変わりのない事は、彼の陣営の選挙参謀からの言質が
とれています」
ブリンクリィは鼻に皺を寄せ、さも驚いたといったように、
「それじゃテッド、君はこう言いたいわけだね、首位を維持するには、
綱領の件を調整する必要があると?」
コッペルは笑みを張り付かせた表情で、
「そうじゃないかね、デヴィッド、もちろんハートマンが選挙対策
して、マスコミをまったく使えていないというつもりはないんだ。
それは彼を追い上げている、レオ・バーネットやジェシー・ジャクソンに
しても大差ないといえる。
どんな戦略を打ち出しても必ずリスクはあるからね。とはいえ
あまりにも一貫して調整に努めているとどうなったかは、84年の
ウォルター・モンデール一人をとっても明らかだろうに」
「それはつまり、ハートマンがレーガンのようには勢いに乗り切れて
いないから、負けるとそうおっしゃっているのですか?」
「そうでないこともありえるよ、デヴィッド」
コッペルは幾分上気した声でそう応え、
「ただどんなに僅差であろうとも、敗れ去った候補は9条C項に
縛られて全てを失うことは明白だと言っていい。
カルフォルニアだけの話じゃない。
9条C項がある限り、雪崩をうって負けがこむことはありえる
からね」

劇的な敗北が必要なのだろうな。
ジャックはそう一人ごち、
やつらは劇的な展開を求めてやまないわけだ。
一票は確かに一票にすぎないとしても、マスコミを支配する
神は常に生贄を求めてやまないということか。

ジャックはそんなことを思いながら、かじりかけのピザの
欠片を箱に戻して、部屋を出たところで、会議室から
出てきたエーミィ・ソーレンスンと鉢合わせした。

ハートマンは票の上積みを求めて電話攻勢をしていると
話していたが、その瞳は暗い絶望を湛えていて、
望み薄なのだな、とジャックに思わせた。

ジャックは書類鞄を抱え、選挙本部を後にして、
ローガンの部屋に向かうことにした。

部屋に入ると、ローガンはベッドの上で正体を
なくしていて、ウィスキーの瓶を、それがまるで
女の体であるかのように抱きしめているときたものだ。

そのうえテレビもついたままになっていて、クロンカイトと
ラザーがお節介としか思えないハートマン陣営の戦略を分析し、
かしましくがなりたてていて、
映画を創っていたときは、ああいう風に噛みついてくる輩が
少なくなかったことを思い起こされ辟易しつつ、
他に話題にすべきことなどないのだろうか、
ジャックはそうぼやいていて、
投票が締め切られて、何も起こらなかったとしても、それが
通過儀礼であるかのごとく受け流されていくに違いない。

誰が飛び出して、ちゃぶ台をひっくり返すような事態に至っても
さして驚くことはないのだろうか?
驚くことといえば、マスコミの神がその手を伸ばし、例えばレオ・
バーネットが自分から立候補をとりやめるとかしてくれたら驚いても
いいのだが…...」

そんなことを考えながら書類鞄に視線を向け、そこから電話を
取り出して、記録されたナンバーを押していて、
「ワーチェスターか?」と言葉を漏らし、
「ジャック・ブローンだ。ダニー・ローガンの部屋から電話してるんだがね」
「だったらなんだというんだ!
こっちは取り込んでいるんだ!」
そんな言葉を受けて、
ベッド脇のテーブルの側まで行って、残っていた酒を一口飲んでから、
「わかってるよ」そう応え、半分自棄のように、
「もし9条C項が発動したら、あんたの持ってる票の半分をバーネットに
流すのもいいかと思ったもんだからね」と言葉を投げつけた。
「あんたはまた裏切るというのか?」
「そんなつもりはないがね」
「またエースのユダに戻るつもりか?今度は
レオ・バーネットサイドに鞍替えした道化でも演じるつもりかね」
そう返された言葉に、思わず持っていたボトルを粉々にしてしまって、
黄金色の液体を飛び散らす羽目になった。
それでも「で、どうするつもりだ?」と言葉を継いで、
砕けたガラスの残滓が砂のように、拳に残っているのを見つめていると、
「グレッグと話してはみるが」とようやく返されてきた。
「好きなだけ話せばいいさ、ただつながりはしないと思うがね。
用意をしとくにこしたことはないというものさ」
「で実際どういうつもりなんだ?」
「グレッグがまた錯乱する事態だけは避けたいと思っているんだ。
それでバーネットが有利になったら元も子も子もないからな
つまりはこういうことだ、西部劇によくある話だが、
銃の腕もたいしたことないあんたが大通りに一人取り残されて、
闘わなければならなくなっているのに、周りからは人も散ってしまって
いるとしたらどうだ……」
そう言ったが、しばらく電話の向こうからは沈黙のみが伝わってきて、
それからようやく「ローガンと話せるか?」と絞り出すような声が
漏れ聞こえてきた。
「出れる状態じゃない」
「信じていいかどうかすらわからない」
それは恰幅の良い身体を通したと思しき怒声とも呼べるものだった。
「議論の余地などない、やるかやらないか、それだけの話だ。
俺はどっちでも構わんさ。それじゃ後でどう決めたかを聞かせてもらうとしよう」
「グレッグの当選が危ういというのか?」
ジャックはあえて笑ってのけ、
「ABCの報道を見てなかったのか?連中はグレッグを引きずり降ろそうと
血眼なんだからな」
そう言って電話を切った。
それから秘書のエミール・ロドリゲスに電話をかけ、
今晩は欠席する旨と、9条Ⅽ項対策として、代議員の半分を動かす可能性の
示唆を伝え、カリフォルニアの岩盤対策の締めとし、得票分散の指示を
各地の選挙事務所の代表にかけはじめた。
党大会が再び招集されたたため、ヴァージン・アイイランドの二票に
念押ししたところで終わりとした。
ダニー・ロ-ガンは相変わらずベッドの上で眠り込んでいて、いびきまで
かいているときたものだ。
テレビをつけ、ローガンが抱えたウィスキーボトルの横に腰を下ろした。
党大会は濃密な熱気を帯びていて。代議士達は支持するリーダーに
駆け寄っていて、
オーケストラが演奏を始めたと思ったら、
なんてこった。
また
<アルゼンチンよ、私のために嘆かないで>が流れてきたものだから、
胃がぎゅっと締まって苦いものがこみ上げるように感じていると、
午後の議長に任命されたジム・ライトが小槌を打ち鳴らし、
ワイオミングの上院議員が立ち上がって、9条C項の廃止を訴え始めたが、
大概の人間は動きをみせず、とくに議論らしきものも巻き起こらなかった。
ジャックが酒をラッパ飲みしたところで、
何やら呼びかけが行われたと思うと、それから十分後にピーター・
ジェニングが悲痛な面持ちで、ハートマンの致命的な敗北を覚悟させるような
話をし始め、部屋の外からは人の動く気配がして、
誰かが二度ドアをノックしたが、二度とも無視してやり過ごした。
テレビのデヴィッド・ブリンクリィはぞっとするような冷たい笑みを
浮かべていて、コッペルと一緒になって、票がどのように上積みされたかを
話していて、バーネットやゴアがやり玉にあがったところで一端終わりを
告げたと思っていると、
ドアが激しくたたかれて、
「ローガン?」と声がした。
デヴォーンの声だった。
「そこにいるのか?」と訊かれたが、
ジャックは無視をすることにした。
それからテレビのリポーターの党大会の分析が流れ、
外の騒音が、何か動きがあったことを感じさせ、
電話に手を伸ばし、エミール・ロドリゲスを呼び出して、
「カリフォルニアはどうなった?」と訊くと、
ハートマンの対抗馬はうまいこと、総崩れを起こした、
とのことだった。
つまりハートマンはかろうじて、カリフォルニアの予備選に勝ちを
納めたということだ。
歓呼の声がホテルのドアを突き抜けて聞こえてくるかのように感じ、
そこでジャックはドアを開け、
「起こさないでください」という札をドアにかけてから外に出た。
「ジャック!」歓呼の波を突き抜けるように栗色の髪を靡かせた
エーミィ・ソーレンスンが飛び出してきて、そう声をかけてきた。
「ここにいたのね?ローガンもこの結果をご存じですか?」
と訊いてきたものだから、
ジャックは夫が別にいるのにも構わずエーミィにキスをして、
「まだピザは残っているかな?」と声をかけ、
「実は腹ペコなんだ」とまで言い添えていたのだった。