ワイルドカード6巻その17

         メリンダ・M・スノッドグラス

           1988年7月18日

              午後9時


マリオットのメインエントランスには人々が束になって溢れていたが・・
タートルの警報に反応して、歩道にまで下がりだして・・・
横ではBraiseブレーズが踵でシェルをコツコツやっていたがようやくどいた
ようで・・・
タキオンはその様子を相好を崩して眺めてから降りたところだった・・・
「ありがとう、タートル、良い時間がすごせました、この町の上からの眺めは
実にエレガントでした・・」
「いつでもどうぞ、タキィ」


「ドクター・タキオン
強い南部訛りの感じられる抑揚の効いた声に異星の男は振り返った・・・
「バーネット師父ですな」
会ったことはなかったが、たちどころに誰かわかった・・・
マリオットの前に立ち、どう切り出すかを定めるこのごとく、互いを食い入る
ように見つめあっていた・・・
レオ・バーネットは中背の若い男で、金髪碧眼に窪んだ顎で整った顔といえる・・
その柔らかい物腰に、つい根深い憎悪を一瞬とはいえ、忘れ去るかと思えたほど
だった。
ともあれ親類(ほぼ人殺しのろくでなしだが)に向けるがごとく優雅な表情を
取り繕って・・・葛藤を脇に追いやった・・・
「ドクター、私を見た馬が棹立ちになったり子供が恐れ慄いたりしたとでも
耳にしたわけではないでしょう?」
ユーモアに彩られはしていたが不意打ちのようなその言葉にタキオンは平静を
装って応えた・・・
「師父、私はあなたの人生より長くこの星にいますが、そんな言い回しを聞くのは
初めてですよ・・」
そういいかけたところで人ごみから女性が進み出てきた・・・
「性交以外で初めてのことがおありとは驚きですね・・」
肩まで垂らし、そこから腰まで伸びたばさばさの髪・・・
その間が薄暗くなって、そこからアラバスター色の頬のみが覗いていたが・・・
その髪が揺れて顕わになった瞳の色は・・・
・・・宵闇を思わせるブルーのはずだった・・・
(そんな、ブラウンだなんて!)
ケーブルのねじ切られたゴンドラが落下するような現実の揺らぐ感覚と・・・
横隔膜と喉の間で息が詰まったような感覚を感じながら・・・
よろよろとブレーズの肩にもたれかかりそうになりながらも・・・
レオ・バーネットの声が響くのを聞いていた・・・
「ドクター、大丈夫ですかな?」
「亡霊を見たようです」ようやくそう弱弱しい声を絞りだして、
眩暈のような感覚を振り払うことができて・・・
視線をその女性に向けることができた・・・
「私の選挙参謀、フルール・ヴァン・レンスラーです」
心持ちバーネットの声が神経質に響いて・・・
「存じています」タキオンはそう応えていた・・・
「(手だけではなく)お耳も早くていらっしゃるのね、ドクター」
開口早々その言葉は、天然を装った皮肉の苦さで充ち満ちている・・・
「母親似なのですね・・」
そのブラウンの瞳に対する激しい怒りをかろうじて押し隠しながらなんとか
応えていた・・・
「あの方の瞳はブルーでしたが」
「並外れた記憶をお持ちですのね」
「あの方の顔を忘れるはずはありません」
「そう聞いて喜ぶとでもお思いですか?」
「そう願います、私はあなたに会えたことを実に喜ばしく思っているのですから・・
二年間とはいえ毎週あなたと遊んであげたのですよ」
そしてしいて優しく微笑んで見せた・・・
「あなたはキャンディコーンが大好きでしたね、ですから私のポケットは砂糖まみれだった
のですよ」
「あなたは家にはこれなかったじゃない、父がそれを禁じたはずですよ・・」
さすがにこらえきれなくなりそうになりながら応えていた・・
「家政婦をマインドコントロールして会っていたのです、あなたの母君がそれを望んでいました
から・・」
「あの人は、父と子供を見捨ててあなたに走ったあばずれじゃありませんか」
「それは違う、あなたの父親の方があの人を家から放り出したのですよ」
「あの人があなたと姦通したからに他なりません」
その言葉と共に、フルールの手が激しい感情に翻弄されるようにタキオンを打ち据えていたが・・・
タキオンはためらいがちに痛む頬に手をやって、フルールの手に手をのばそうとしたときだった・・
「それまでです・・」
バーネットがタキオンの肩に手を添えて二人の間に割り込んできた・・・
「ドクター、あなたもミス・ヴァン・レンスラーも感情的になりすぎているようですな、
場を改めるべきでしょう・・」
その言葉とともに牧師はフルールに手を差しだしたが・・
フルールの唇は緩んでいて、重い業に耐えているようなオーラを放っていたが・・・
バーネットの手がそこから解放するように、フルールをタクシーに誘っていた・・・
「またお話しする機会もあるでしょう、ドクター、実を言うと、あなたの星の宗教道徳に
関心がありましてね・・」
そしてタクシーのドアに手をかけながら、立ち止まり言葉がつがれた・・
「あなたはキリスト教に改宗なさいましたか?」
「いいえ」
「ならば話すべきでしょう」
そこで側近によって促されたタクシーが、フルールを連れ去るのをタクはじっとみつめて
いたが・・・
「理想の名に懸けて・・一体全体どうなっていると?」
タキスの慣用句が強いイギリス訛りでブレーズの口から滑り出すのを、己を失ったように
感じながらも・・
タキオンはチャックでもするかのように唇を指でなぞって・・
「祖先の名において」と言い添えてブレーズの肩を硬く抱きしめてから続けた・・
「1947年でした」
「何のつもりだ?何を話してやがるんだ」
「口を慎むべきですよ」
ホテルに視線を向けていると、ブレーズが訪ねてきた・・
「あの年老いたFemme女は一体?」
「年老いてなんかいませんでしたよ・・・まぁあなたの母親と別れた時よりかは
些か年を経ていましたが・・それよりフランス語のスラングとタキスの慣用句を
並べて話すべきではありませんね、聞いてて気がおかしくなりそうになりますから・・」
「話したまえ」少年は一丁前にそう要求してきたではないか・・・
目を白黒させてバーにつながるエレベーターを見つめながらぼやいていた・・
「飲まずにはいられませんね」と・・・


ピアニストがSmoke gets in Your Eyesのジャズバージョンをおざなりに流しているのを
耳にしながら・・・
「ブランディ」通りかかったウェイトレスにそう頼むと・・・
「ビールを」ブレーズは祖父に気まずい視線を向けて言い換えた・・
「コークを」と・・
その言葉はえらく神妙に響いた・・・
頼んだ飲み物が運ばれてくるまで互いに黙っていたが・・・
そこでタキオンが一口ごくりと飲んでから語り出した・・・
「あれはウィルスがばらまかれてからわずか数ヶ月後のことでした・・・
ブライズが私の働いていた病院に運ばれてきたのです
あの人はウィルスに罹患した人々の中で最も美しい女性で、会ってすぐ
恋に落ちたものでした・・・」
ブレーズは目を丸くして聞き入っている・・
「私の方はですけれど」タキオンが一応そう言い添えると・・
「それでどうなった?」とブレーズが食いついてきた・・
「ブライズの能力は他人の精神を吸収することで、それに目をつけたアーチボルド・
ホームズによって対ファシストチーム、フォーエーシィズの一員になったのです・・
ジャックにアール・サンダースン、それにデヴィッド・ハーシュタインもそのメンバー
でした・・
ブライズはアインシュタインオッペンハイマーといった人々、それに私もですが、の
精神を収めた器とされたのです・・・
ジャックにアール、そしてデヴィッドは世界を巡り独裁国家と闘っていました、ナチス
ような連中と、ということです・・・」
「それで48年には、対中問題の解決にとりかかっていて、デヴィッドがその交渉の鍵と
なったんだ、彼がフェロモンの能力を使えば誰だって同意するから、Mao毛とKuomintang
中国国民党の幹部が抱擁を交わして永遠の友情を誓うことになったけれど、彼と仲間達が
中国を去ったら、元の木阿弥になってご破算になってしまったと・・・」
タクは指を上げてブランディの追加を頼んだ・・・
ワイルドカード保菌者に対する疑いが大きくなっていったのもそんな時でした・・・
今も変わりませんけれど・・・中国での騒動がそのきっかけになったのは否めません・・
彼らはフォーエーシィズを追いたて、共産主義者であるとまで非難し始めたのです・・・
彼らに罪があったとするならば、他の人間と異なっていたということそのものといえる
でしょう・・
非米活動調査委員会は私が診察したエース全員の名前を提出するよう求めて、断った・・
そうしたら・・・」
そこでタキオンはブランディを大きく呷った・・
どうにも話し辛くあったのだから・・・
「それで」とその暗い瞳に興奮を湛えてブライズが先を促すと・・
感情をすべて絞りつくしたような声で、タキオンが再び語り始めた・・
「ジャックが<友好的証人>になった、彼は委員会にブライズが私の精神、つまり私の記憶を
吸収していることを告げたんだ・・・
彼らは法廷にあの人を呼び寄せ詰りはじめました・・・
多くの精神を同時に抱えていたこともあって・・・
あの人の精神は傷つき易く・・・
他のエースの名を話し始めて・・
私はそれ以上耐え切れなくなって・・
あの人の精神を操り、いいえ壊してしまった・・
手の施しようのない狂気に落ち込んで、あの人の旦那がそれを認めて、
療養所で死亡したのが1954年のことでした・・」
「その旦那というのが?」
「ニューヨークの下院議員で、彼には三人の子がいました、ヘンリーJr.
ブランドン、そしてフルールで、私がヨーロッパに退去させられて以降は
その消息がつかめなくなっていたのです」
「そのときにジョージに会ったんだね」
「そうです」
「ちょっと混乱してきたぞ」
「それもあなたには必要でしょうね」
「それで語りたがらないジャックとのわだかまりが生じたと」
「そうです、ブライズの破滅の責めが彼にあると考えていましたから・・
それも様々な要因の一つにすぎないと今では悟っています・・・
私の親類がウィルスを開発したことから始まって・・・
アーチボルド・ホームズが誘ったことや、あの人の旦那の拒絶といった
要因が絡まったのです、ジャックだってそうでしょう、人というものにはね、
保身が弱さにつながることもあるということです・・・」
そこでブレーズはずずっと音を立ててストローからコークの残りを吸い上げた。
「重い話です、わかっているのですか?」
「綺麗な人だったね」
「フルールですか?」
肩を竦めて応えた
「ああ、うん、あの人」
「また会わなければなりませんね、ブレーズ、説明も必要でしょうし、誤解も
解かなければなりませんから・・・あの人は許してくれるでしょうか?」
「それを気にしている場合なの?」
「灼熱の空にかけて(おっと)!何て時間だろう、5分後にテキサスの代議員に
会うことになっているのでした、何か夕食に買っておきましょう、何がおこるか
わかりませんからね、さてどうしたことか・・」
部屋に戻ったところで、案の定電話が鳴り出して・・・
受話器を持ち上げたところで、オペレーターの冷静な声に混じって、少し離れた
切羽詰った声が響く中、あきれたといった口調で訊ねてきた・・・
「Mr.トーマス・ダウンズのコレククトコールをお受けになりますか?」
その厚顔無恥ともいえるジャーナリストの態度に沈黙を守っていると・・
受話器の向こうから半狂乱ともいえる声が伝わってくる・・・
「タキィ、聞いてくれ・・」
冷静なオペレーターの声がそこにかぶさってきた
「まだ先方の許可を得てはいません」
「恐ろしいことが・・・」
「もしもし」
「・・・助けて・・・」
「代金をお支払いになられますか?」
「・・・Big trouble厄介な・・・」
ディガーの声はソプラノにまで跳ね上がっている・・・
「断る」電話を叩きつけて切って着替えのシャツに手を伸ばそうとしたと同時に・・・
また電話が鳴り始めた・・・
「コレクトコールですが・・」
「断る」
そう再度告げてから7回以上電話があって、三回断ってから、
もはや相手をしないことにして・・・
頭に響くベルの音に耐えながら・・
薄い薔薇色と菫色に銀のレースの入ったいつもの装いに袖を通して・・・
電話の音を聞きながらホールに向かった・・・
それでもわずかな躊躇が頭をよぎりはしたのだ・・・
(助けろだって?どうしろと?)
頭をわずかに振ってドアを閉めた・・・
(記事同様にいかがわしい事態にまきこまれているのだろう)
「私自身の問題だけでもたくさんだというのに・・・」
そう呟きながら・・・