ワイルドカード6巻その18

          ウォルトン・サイモンズ

           1988年7月18日

              午後9時
   

凡そ一年半、店に入ったことなどなかった・・・
あのワイルドカード記念日以来か・・・
アストロノマーの爺の栄光が消えうせたからだが・・
もちろん些かとはいえあの爺のお陰といえて・・・
買い与えられたスーツでこれまでもってきたとはいえ・・・
多くのことにおいて不自由も被ることにもなった・・・
やはりあの爺がいた方が都合がよかったのだ・・・
破れた服で高慢なホテルにいられなくなったとあっては
やむを得まい・・・
ファッションショーに出たジョーカーのようないでたちなのだ・・
それでも一歩足を踏み入れた瞬間に間違いに気づいた・・・
以前入ったときの店内は、その店主同様に古びて薄暗く埃っぽかったのだ・・・
それがどうだ、塗り替えられたように新しく、照明も増えていて・・・
匂いすらも新しく感じられる・・・
それで立ち去ろうとしたときに声をかけられたのだ・・・
「ようこそいらっしゃいました、お手ごろ価格でぱりっとした服を着ようってんなら
お誂え向けです、私ボブにお申し出くだされば服の内側にお名前を刺繍することも
できますし、たいしてお時間もとらせやしませんぜ・・・」
スペクターは胡乱な目をして男を眺めた・・・
身なりはよいようだが、壮年であることまでは隠しようがなくて・・・
笑顔の下の目にやり手であることをうかがわせるものがある・・・
服を何枚か買って出て行くつもりだったのだ・・・
「スーツが二着、一枚は暗めのグレイ、もう一枚は明るめのグレイで、丈は38で
高くないものがいい・・」
ボブは顎をぴしゃりとやって応えた・・・
「グレイがよくお似合いのことでしょう・・・
タンもお似合いかと・・・
こちらにどうぞ・・・」
スペクターの肘を掴んで鏡の前に押しやった・・・
「少々お待ちを・・」
店内を見回したが周りには誰もいない・・
ボブと自分のみだ・・・

ボブがタンのコートを抱えて戻ってきて・・・
スペクターの前ににそのコートを当ててから、
鏡をもってぐるりを回って見せた・・・
「いかがです?これで450ドルだってんですからね、
もちろん仕立て込みでお値打ちですぜ・・」
「だからスーツ二着でいい、明るめと暗めのグレイだ」
ボブはため息をついて続けた・・・
「他所をごらんなさい、皆グレイのスーツを着ていて感心しませんがね、
こいつを合わせれば一味違うってもんだ・・」
スペクターはもう話を聞いていなかった・・・
呼吸を均一にし、意識を集中し、痛みに思いをはせ始めた・・・
今際の際の痛みだ・・・
「どうなさいました、ミスター?」
スペクターは振り返ってボブの瞳を覗きこむと、
意識がリンクして・・・
もはやボブが視線をそらすことができなくなった・・・
もちろんそうさせるつもりなどない・・・
死の記憶が消え去るまでは・・・
そいつを目の前の男に分け与えるのだ・・・
内側で捩れ焼け付くような感覚が湧き上がり・・
皮膚が裂け、崩れていき・・・
筋肉が破れ、骨が砕け始める・・・
スペクターは死の記憶を何度も呼び覚まし・・
ボブにもその感覚を味あわせるのだ・・・
スペクターが心臓の破裂した感覚を呼び覚ましていると・・
ボブが窒息し、脚をもつれさせて崩れ落ちた・・・
死んだ・・・
かつてスペクターが味わったように・・・、
実際タキオンによって呼び戻されちまったわけだが・・・
睨みつけるように辺りを見回したが、やはり一人だ・・・
ボブを肘でこづいて試着室に押し込んでから、ラックにかかった
グレイのスーツを二着選び出した、明るめと暗めの二着だ・・
そいつをビニールでくるんで、外に出た・・・
お客様第一というものさ、それがビジネスというものだぞ・・
そうぼやきながら・・・