ワイルドカード6巻 その19

         メリンダ・M・スノッドグラス
           1988年7月18日
              午後9時


「ジャクソンに票を投じて当選させるというのは如何なもの
でしょう、別にこれは差別したいとかそういうつもりは・・・」
「差別でなくてなんだというんだね・・」
そういってタキオンの言葉を途中で遮った声の主・・・
ブルース・ジェンキンズは額にくっきりとした皺を寄せている・・
しかもこの男に残された髪はというと・・・
大きく赤い両耳に小さな襟巻きのように被さったものであり・・
その様は地震で大地が侵食されたかのように無残なものだった・・・
「いやいやけしてそんなつもりはないのです」
タキオンはためらいがちにそう言い添えながらも・・・
政治的な駆け引きには、タキス式融通のきかなさが向かないことに
苦笑せざるをえなかった・・・
「興味深く魅惑的な話題ながら、論ずるべき問題はハートマン上院議員
レオ・バーネットの違いにこそあるのではありませんか?」
「師父だよ」
「それが何か?」
「バーネット師父だ、ハートマンに肩書きを付けて、レオにつけないのは
公平ではないだろう」
「本題に入りませんか、Mrジェンキンズ」
「そうですな、テキサスでは師父支持が濃厚だ」
「あなたもそれに倣うと?」
「可能ならばね、現状ではグレッグ・ハートマンが善人であることを
否定できてもいないから、バーネットとハートマンどちらを選ぶかは
微妙な力関係で変わってくるだろう・・・」
「ありえない!」
「結論をお急ぎめさるな、政治的かけひきなどというものはもっと抜け目なく
行わなくてはならんよ・・」
「Mrジェンキンズ、12月の時点で民主党候補が誰に一本化されるかが重大
なのです、レオ・バーネットに対抗できなくては大問題ですから・・・
彼の教義に反対する勢力もこの国には存在することを知らしめなくては・・
レオ・バーネットなどは一泡沫候補にすぎんのですから」
「我々は彼を泡沫候補などとは思っておらん。あんたはワイルドカード
こだわりすぎとるようだが、レオが口にしているのはもう少し根源的なことだ、
アメリカにおけるモラルの欠如について言及しているにすぎないのだよ」
二人がベロ・モンドを出ると同時に、中華料理相手にフォークやナイフを
ガチャガチャ言わせていたジャーナリストの取り巻き達も移動してきた・・
裕福でない代議員などはマリオットのコーヒーショップで食事をすますの
だから当然といえよう・・・
そうしてタキオンが広々としたアトリウム式ロビーに張られた垂れ幕を
不機嫌丸出しで眺めていると・・・
床をうつハイヒールの音が駆け上がってきて・・・
冷たい指が髪を梳きながらうなじに触れるのを感じることになった・・
セイラの指からは複雑な感情が立ち上るようであり・・
両頬はいつもに比べ明るい色で彩られているが・・
その不自然に白い肌からは怒りの感情が感じられてならないではないか・・
「懺悔なさりたいかと思い、ここに来たのですよ」
タキオンは首を振って応えていた。
「何に対してです」
少し離れてから感極まったようにセイラが応えた。
「クリサリスに対してです」
「あの方がどうしたと?」
「殺されたのです」
その平坦な声で告げられたことは、フルールの平手
同様タキオンをうちすえるに充分のもの・であり・
脚を二歩踏み出して、すがるようにセイラの肩を掴んでいた・・
「死んだですと」
「ご存じなかったのですか?」
「知らなかった・・今日はね・・ずっと忙しかったんだ」
「そのようですね」
その青白い肌に今まで被っていた同情的仮面をいきなり脱ぎ捨てた
かのように・・・
その声は毒を持って感じられた・・・
そこでジェンキンズがおぞおずと声をかけてきた・・
「ドクター、悪い知らせのようですな、どうやら我々の話し合いは
別の機会にした方がよろしいようですな・・」
そこでセイラは両手でタキオンの腕をとりエレベーターまで誘っていった・・
「動揺しておいでのようですね、顔色が真っ青ですわ、横になった方がよろしい
のじゃないかしら・・」
「飲まなくちゃやってられん」
そこで腕に力をこめてセイラが訊ねてきた・・
「あなたのお部屋に何かあるかしら?」
圧倒されるように応えていた・・
「あるとも」
「それでは・・・そこに行きましょ・・」
そしてその薄い唇から青白い舌を覗かせて言葉をついだ
「あなたに・・お話ししたいことがあるのです」
エレベーターの足元がおぼつかない感覚に感情的めまいも
加わって立っていられないように感じながら・・・
「クリサリスが・・」
ようやく頭を振ってその言葉を搾り出していた・・
「話したまえ」
その青白い瞳を、タキオンライラックの瞳に据えて、
セイラは早口ながらはっきりと話しているが・・・
マインドコンタクトをさせようとしているように思えて
ならず・・
タキオンは強く自制せざるをえなかった・・・
スイートに入り、洗面所の上にかかった鏡を見つめながらも・・
手はだらしなくブランディのボトルを探っていて・・・
鏡か、クリサリスは鏡が好きで・・私室にも鏡を並べていたものでした
そのトレードマークともいえる透明な頬の上の頭蓋の映る様を思い描いてみたが・・・
そのイメージはすぐにどろどろの肉塊と化してしまって・・・
グラスに浮かんだ氷の煌きの中に溶けていった・・・
振り返って、グラスを手に取ると、セイラの姿はすでになく・・・
マットレスのきしむ音を耳にして、寝室に向かうと・・・
飛び込んできたセイラの姿に困惑せざるをえなかった・・・
覆いに肘をかけ、スカートと組んだ脚で太股の間をわずかに隠しているのみではないか・・
セイラが飲み物を受け取ると、タキオンはその隣に控えめに腰を下ろしてみたが・・
蜘蛛の巣に踏み込んだように思えてならず・・
用心しそこに体重を預けつつ・・・
「秘密に」そう漏らし酒を呷ってから続けた・・
「そう何らかの秘密に踏み入って殺されたのではなかろうか」
「そうね」
そう厳かに応えたセイラの瞳は壁のはるか向こうをみつめているようで・・・
ぶるっと身を竦ませていると・・
手をタキオンの腕に沿わせてきた・・・
その手は重く生気のないものに感じながら・・・
「どれだけ傷ついたか知れない、親しかったのだろうね」
タキオンはその手をはずし、何とかベッドの脇に下ろさせて・・・
「それがどれほどのことかは思いもよりはしないが・・」
そう口に出したが、セイラの手は這うようにタキオンの太股の間に
滑り込んでいき、それをこすり始めた・・・
怯えたような瞳をまっすぐセイラに据えたまま・・・
汗がセイラの髪に滴っていって
薄い唇がすぼめられ・・・
訝しげなタキオンに微笑んで見せた・・・
それから瞼を半ば閉じて・・・
そうして唇を尖らせている・・・
タキオンはグラスの中身を空けて・・
タキオンの脚の筋肉が、セイラの猛り狂ったような攻めに耐えかねて
痙攣を始めていたが・・・
「飲むかね」そう言ってグラスを振って見せたが・・・
その声は喉に絡んでハスキーに響いた・・・
「ええ、そうね、頼むわ」
そうして互いに沈黙のまま腰掛け酒を進めていたが・・・
タキオンは腹部に振動を感じ叫んでいた・・
「一体・・Jesusなんてことだ」
ベッドを叩くように飛びのいて、床に立ったため、ブランディが
股間にぶちまけられたかたちになった・・・
指で耳に触れると、差し込まれたセイラの舌の湿り気が残っていて
それを拭うことになった・・・
耳に綿棒で冷たいワセリンを塗りこまれたような奇妙な感触に
とまどっていると・・・
セイラは熱に浮かされたようなぎらついた瞳を向けて迫りながら・・
喘ぐように言葉を迸らせてきた・・・
「あなたが欲しいの!欲しいのよ!」
それはまるで熊手で打ちかかられたように感じられた・・・
膝に肘の骨、そして骨盤が・・・
タキオンの腹部、そして股間に圧し掛かってきたのだから・・・
そうして互いをぶつけ合う形になって・・・
手当たり次第にぎこちないキスを浴びせてきたが・・・
タキオンはセイラを押しのけて、ベッドの端に力なく押しやっていた・・
「どうしてこんなことを?」
恥と怒りが涙となって迸るのを感じながらようやくそう訪ねると・・・
「愛し合いたいのよ」
「冗談にしては性質が悪すぎます、これではまるでタキス人のユーモアの
ように醜悪ですよ・・・」
「どうして?」
叫びながら髪を梳っているセイラについに応えていた・・・
「無理なのです、私はインポテンツ、インポテンツ(不能)なのです」
「まだそうなの?」
その言葉からは打って変わって奇妙な愉悦のようなものが感じられて、
タキオンの最後の自制を剥ぎ取るのに充分のものだった・・・
「そうです、さぁ出ておいきなさい、出て行くんです」
染みが浮き出たような真っ赤な色で頬を染めて・・・
再びタキオンの腰にのしかかり、拳を打ち付けて・・・
「駄目よ、出て行くわけにはいかない、これはチャンスなのよ、
私を救うことができるのはあなただけなのだから・・・」
「それは本気で言っているのですか?何から救うと言うのです?」
ハートマンよ!ハートマンからだわ、アンディにクリサリスも殺された、今度は私を殺しに来るのだわ!
「まったく聞くにたえない」
「あいつは怪物だわ、冷たい悪党なのよ」
「あなたはだいぶ彼にいれあげていたようですね」
セイラは息を切らせながらさらに言葉を重ねてきた・・
「あいつがそう仕向けたの」
「全て聞いていますよ、あなたは正気じゃないのです」
タキオンは手に負えない雌馬のように感じながらセイラを引きずって、
居間に移動してのけ、ドアを開けて示した・・・
「さぁ出ておいきなさい」
セイラはそれを無視してベッドに戻り、枕を抱きしめて
さらに言い募った・・・
「駄目よ、駄目だわ、出て行くわけにはいかない、あなたは
私を助けなくてはならないのだから・・・」
タキオンはすすり泣くセイラの手から枕を引き離すと・・・
セイラはそのままよろよろとドアの外まで引きづられていたが・・・
「お読みなさいよ、こころを読んだらどうなの」
そう叫びつつタキオンの襟に取りすがった・・・
「手をお放しなさい、汚水のような精神に立ち入るつもりはありませんよ」
爪同様に炎の如く立ち上がった言葉は・・・
掻き毟るようにタキオンの顔を打つものだった・・
私が殺されて始めて良心の呵責に苦しむのでしょうね
「良心ならすでに痛んでいますよ」
そしてぴしゃりとドアを閉めて、厭わしげにコートを脱いでバーに向かい、
コニャクをを睨んでから、ボトルのまま口をつけた・・・
焼けるような暑さが喉を通るのを感じながら・・・
セイラが爪で残していったものに触れていた・・
アルコールの痛みで、それを打ち消すことができるかのように・・・
助けて
信じないのね
私が殺されて始めて良心の呵責に苦しむのでしょうね
壁に叩きつけられたボトルの砕ける音を遠くのことのように聞いていた・・・
良心の呵責など、痛みなどもうたくさんなんだ
そう呟いた己の声もまた虚ろに感じながら・・・