ワイルドカードXⅢ「わずかな思い出の中に」その1

     スティーブン・リー

   あんたに何の係わりがある?
 そう思われたところで驚きはすまいが。
ともあれ信じて欲しかったのかもしれないね。
これはジョーカータウンにいるものなら知らない
もののない御仁の話さ。
  そうともこれはクオシマンの物語だ。
少々込み入った事情があるとはいえ、私はあの
恐ろしい事件のことをありありと思い浮かべる
ことすらできる。
そこにいたわけでも、そもそも関係者であったわけ
でもないのだけれど。
それでもまだできることがあると、
そう思いたかったのかもしれないね……


      1993年9月16日

<憐れなるもの達のための永劫女神教会>における
ブラッククイーンが飛来した(9月15日:ワイルドカード
が飛来した)夜を過ぎて、次の夜になるこの晩のミサは、
イースターとクリスマスが一緒に来たような活況を呈していた。

烏賊神父が言うには、これほど人が入ったのは今回を
含めて三回しかないとのことだった。

信徒席のみならず通路も人いきれで溢れ、歪な姿をした
親に、親と同じような歪な姿をした子や、そうではない
普通の外見をした子が肩を寄せ合って寄り添う姿は、ボスの
描いた絵画を思わせるものであり、唇のないカエルの姿を
した者があれば、手ではなく、湿った触手を握りしめて、
祈る者もある。
ただ皆一様に、烏賊神父が盃を掲げ、信徒たちに指し示した
ところに視線を向けている。


フロア全体に走るコードのようなものから、可聴域を超えた
調べが響き渡っている。
Mighty Wurlitzerマイティ・ワーリッツアーの調べだ。

マイティ・ワ-リッツアー、通称MWは、人であることが
かろうじてわかる、ブルックリンにあるオールセインツ教区の
元合唱団長で、おおよそ10フィートの土色をして節くれだった
薄いチューブのような外骨格から、複数の夥しい数の脊椎のような
ものが突き出ていて、チューブの行きつく果てには頭部の痕跡の
ようなものがあり、そこにはカエルのものを思わせる盛り上がった
一対の目と、わずかな鼻を思わせる切れ目があるが、口はない。
マイティ・ワーリッツアーは動きもしなければ、話しもしない。
蛇腹のような肺は、空気を無尽蔵に取り入れ、その身動きの
とれない身体を天然のパイプとなし、力強い音を吐き出す鞘と
して、強化されたバグパイプと称される調べを奏でるのである。

マイティ・ワーリッツアーは聖歌台にはめ込まれていて、
脊椎から幾つか伸びた柔軟に動くプラスティックのチューブは
本物のパイプオルガンの列にも繋がっていて、力強い音を創り出す。
それは音楽としては違和感がなくはないものの、高らかで活力に
満ちている。
ワイルドカードが彼に与えた、いわば天賦の才は信徒席のどの
ジョーカーをもっても換えようのない特別なものであることに
異論はあるまい。

マイティ・ウーリッツアーの歌うとき、奔放な音楽が巻き起こり、
圧巻たる管弦楽団が出現する。信徒席のジョーカー達が
Eight bar8小節の前唱の後、それに唱和し始めた。

聖なる 聖なる 歪にして聖なるかな、神のみ使いたる者よ……

結局のところ、誰が最初に気づいたのかは定かではないが、
信徒席にいた何者かは、捩れた身体と引き換えに、鋭い感覚を
与えられていたということではあるまいか。
ワイルドカードウィルスはときに、こういった歪んだジョークを
発揮するものだ。

少なくとも数人は奉供されたキャンドルの匂いが特に強く感じ
られ、鼻をつく匂いが微かに運ばれてくるように思い、視界に
靄がかかったようになっていて……

「火事だ!」
歌うもの達の口からそんな言葉が立ち上り、
マイティ・ワーリッツアーの雷鳴のごとき警告がそれに
被せられたが、気づいたものは数人にすぎなかった。
教会の扉を、蛇の舌を思わせる赤々とした黄色の炎が舐め、
母に抱かれた子の口々から鳴き声が漏れ始めたのは、
ドアの隙間から灰色の煙がのたうつように立ち上り始めて
からだった。
通用口のドアの下から青い炎の気流が沸き起こって、
シューシュー音を立て、

「火事だ!」
再びこの声が巻き起こったときには、それは夥しい人々からの
ものだった。

壇上のマイティー・ワーリッツアーが咳き込みはじめ、
彼につながったバグパイプからもしゃっくりのような
異音が漏れ聞こえていた。
それはワイルドカードウィルスからブラッククイーンを
引き当てたかのように陰鬱に響いた。
それは歪なる主に捧げられた天翔ける賛歌だろうか。
混沌に満ちることがより人間らしいとでも言わん
ばかりに、教会の内に響くのは、もはや讃美歌ではなく、
阿鼻叫喚の叫びのみとなって、マイティー・ワ-リッツアーも
咳き込むばかり、もはや歌うことも叶わず、キーボードを無茶苦茶に
叩いたような唸り声を響かせるばかりとなり果てていて、
恐怖の顔をしたパニックが人々の面を覆い、
烏賊神父は触手の生えた口元にマイクを押し当て、
「慌てないで、押さないで、ゆっくりと避難なさってください」
と落ち着いた声で呼びかけていたが、
その音が途切れると同時に、ライトも落ち、突然の暗闇に、
叫び声のみが耳を聾し、混乱を増した信徒達は、一斉に
裏口に殺到し、押し合いへし合いし始め、
そこで最初の死者が出ることになった。
ドアは横木が嵌められたかたちでロックされていて、
さらにまずいことに、木製のドアを縛る金属製の帯部分が
灼熱に熱せられ、樫材の隙間からはちろちろと明滅する
炎が恐慌を煽り、どうにもならないドアに殺到した人々が
折り重なるようになって、その重みで圧し潰されることに
なったのだ。
運がいいものは、咳き込むだけで済んでいたが、煙に包まれ、
なす術もないまま、炎に包まれていった。

教会の中に戻ろうとした者もあったが、倒れ、踏みつけられた
者達に構いはしなかった。
己が生き残ることのみを考えての行動であったが、それもわずか
な間にすぎなかった。
急激に熱せられた空気と煙が彼らの肺腑を酸のごとく焼いていて、
じきに呼吸が困難となっていたのだ。

「ああ神よ!なんてことだ」烏賊神父がそう叫んでいたが、
耳を貸す者はおらず、神も介入を拒否したに違いない。
もはや煙に巻かれた人々の叫びも聞こえなくなっていて、
呼吸の出来ていたわずかなもの達は、その地獄絵図から逃れようと
もがいたが、それもわずか間にすぎなかった。
炎は西の壁を這い、東の天井は熱く沸き立った大気のナイアガラと
化し、中の酸素も火に押し包まれた挙句、火床も尽き果てたとみえて、
ちろちろ橙色の残り火に変ったところで、
正面のドアが焼け落ちて、開いた場所から新鮮な空気が流れ入り、
火災は突然の突風に煽られ、盛り上がって轟音を立て、
炎のうねりは一層激しさを増し、壁は再び炙られ、中央通路に
火球となって下り、砕けたステンドグラスがまぶしいナイフの
如く降り注ぎ、炎の波の中に飲み込まれていった。

烏賊神父の顔は、金色の糸と化した熱で圧し包まれ、呼吸もできず、
見ることも適わないでいて、もはやこれまでと思えたとき、
煙とぎらぎらした炎が跳ね上がる中、
「ママ、どこにいるの?ママ」子供の叫び声が地獄の業火に響き、
烏賊神父がその声の方向に身を投じようとして、
「こっちへ!」そう咆哮し、「こっちにくるのです、坊や!」
そう言葉を継いだところで、力強い腕に肩を捕まれ、
引き戻されていた。
「クオシマン……」烏賊神父は咳き込みながら、その背の盛り上がった
姿を認め、かつて教会であった火炎地獄の中に再び戻ろうとした、
「誰か他の者を……助けてください。子供が、憐れな子供があの中に……」
「こっちだ」クオシマンにそう告げられたが、
「私ではなく」烏賊神父は抵抗してもがき、
「彼らを」と言葉を継いだが、手は弛みなく、信じられないほど強く、
烏賊神父の抵抗は適いはしなかった。
恥ずべきことながら、己の一部は抵抗するのをやめていて、
聖歌壇が閃光の奔流と共に崩れ落ち、マイティ・ワーリッツアーの最後に
発した叫びは、最終戦争の最後のコードを思わせた。
西の壁が崩れ落ち、天井の一部が落下してきて、炎の立てる雷鳴のごとき
響きを越えて、サイレンの音が聞こえてきていたが、それは外からだった
だろうか?
そこには全き静寂があるというのだろうか?
そんなことを思いながら、振り返ると、烏賊神父は祭壇から
引き放されていて、脇の祭具室に引きずられていったが、
そこも炎に包まれており、クオシマンは果敢に炎を踏み越えて、
跳躍し、烏賊神父をその腕に抱え、ガラスの奔流と化した窓を抜け、
外に運び出されていた。
突然息ができるようになって、咳き込みながら、ゼイゼイ喘ぎ、
炎に痛めつけられた肺を冷やすよう努め、
白昼夢のような意識の中で、ガラスのヘルメットを被った暗い人影に
囲まれていることに気づいて、
「中にまだ」慄いた喉をふり絞って、そう声を出し、
「神の御心をもって、お願いですから、助けてあげてください」
そう言葉を継いだが、
誰か何か囁いていて、
後ろに倒れこんで、抱えられながら、
頭をだらりと倒し
はるか上で、
明るく旋回する閃光が間欠泉のごとく広がった。
まるで燃え盛る尖塔が、祈りに応じて現れたかのように。