ワイルドカード6巻その10

              ウォルター・ジョン・ウィリアムズ



二日酔いはウォッカを二杯ひっかけたところでようやくおさまった。
それからスイートで二時間ほどたつ。
ジャックの右腕と称されているエミル・ロドリゲスに何度も電話をかけているが・・代議員間を駆け回り、
票のとりまとめをしているとみえて一向につかまらない。
そうしたところでノックの音が響いた。
開かれたドアの向こうには予想したロドリゲスの姿はなくて、
・・エーミィ・ソーレンスンの姿がそこにはあった。
そのくり色の髪を高く結い上げ、紙の詰まった封筒の束を抱えている。
「やぁ、エーミィ」何事もないかのようにそっと口付けをして、抱き寄せつつ室内に招きいれ、もう一度キスをしようとしたが、首をそらされた。
「ブエノス・アイレスとは状況が違うの、夫も近くにいるのよ」
ため息混じりに応じていた
「仕事だったね、どうぞ」
その手を振りほどかれたが、青いスーツ姿も実に魅力的に思えてならない・・
「落ち着いて聞いて・・あまりいい知らせじゃないの」
そういいかけてエーミィは、煙草とアルコールの残り香に気づいたらしく、しかめっつらをして用心深い仕草で灰皿をできるだけ遠くに押しやってから、ようやく椅子に落ちついた。
「落ち着いているとも、それは変わっちゃいないよ」
ジャックも椅子を寄せて、背もたれを抱きかかえるように逆向きに腰掛けてから尋ねた。
「それでどうなった」
「カリフォルニアでの信任投票だけれど苦戦してる」視線で先を促していた。
「ジャクソンに追い上げられているの、マイノリティの差別問題を争点にしているようね」
Crap反吐が出るな」 悪態が自然と舌から滑り出ていた。
「カリフォルニアの予備選はWinner take all(多数を占めた党のみが議席を確保する制度)勝者総取なの、勝つか負けるかのみ」
「そういうきまりだからな、それでもフェアに戦い抜くしかあるまい」
エーミィが怒りをあらわにして応えた。
「代議員の椅子をひとつ失うということは、ジャクソンにゴア、それにバーネットの要求で、議会が紛糾したとしても、それを抑止する力をなくすということ。
あなたが予備選でFuck無様な敗北をするということは、指名投票において、私たちが求心力を失うということにつながる」
「わかってる、わかっているとも」
Fuck無様なんて言葉を男に対して口にする女性などあの時代には考えられなかったものだが、
そうした感傷すら、もはや過去の遺物となりおおせてしまったとみえる。
「もちろん法にのっとって闘うにしても、それを有利に利用しない手はないでしょう、議員法の専門家はついていないのですか?」
居心地の悪さを感じながら椅子に腰を沈めて応えた。
「自分の判断で、じゃいけないのかい」
「あなたに議員法のみなならず議事運営の何がわかるというの?」
「引き出しはかなりあるんだぜ、手練手管をつかってだな」
そう茶化そうとしたが取り合われず、ため息交じりの言葉が返されてきた。
「ダニー・ローガンはご存知?ハートマン議員の選管対策を勤めてもらっているの、あなたのこともお願いできたらと考えているのだけれど」
「あの男なら、LAX(ロス空港)でまっすぐ立ってられず管を巻いてるところならみたことがあるぜ」
その栗色の髪を払うように振ってエーミィは応えた
「今夜は素面でしょうね、それは請け負います」
今度はまじめにたずねた。
「投票の予測はどうなんだい」
「なんともいえない、デュカキスも追い上げてきてるから、あとはスーパー代議士の動向いかんと言ったところね、流血沙汰をのぞんでいる上院議員も下院議員もいやしない、彼らがグレッグに投票するのは、デューク(デュカキス)にジャクソンはともかくとして、バーネットが当選することを避けるためなの」
「剣呑なはなしだな」
「1932年が俺にとって初の党大会でそれ以来、民主党に肩入れしてきたわけだがね」
顎を両手で支えて続けた。
「あの党大会はよく覚えてる、家はルーズベルト推しで、ラジオに耳を傾けていたっけな、アル・スミスではなく、ルーズベルトが大統領選のチケットを手に入れたときには、親父が密造していたジャック・ガーナーの封を切って祝ったものさ」
そこでようやくエーミィの表情が笑みのかたちにほころんだ
「若く見えるから忘れがちだけれど・・あなたはその時代を生きてらしたのですね・・」
「グレッグを支持する以前は、44年にルーズベルトを大統領に推していて、48年は国外に出ていたから、トルーマンにするかウォレスにするか決めずにすんだ、それ以来選挙にかかわってこなかったわけだが」
「でもジョージ・ウォレスに投票するかどうか迷っただなんて」軽く言いよどんで続けた。
「なんだかあなたらしくないですね」
そこで一気に老け込んだような思いにとらわれながら応えた
「ヘンリー・ウォレスだよ、エーミィ、ヘンリー・ウォレスの方だ(もう一人のウォレス、ジョージ・ウォレスは人種隔離主義者として名高い)」
「あら、ごめんなさい」
「それにこっちもはっきりさせておいた方がよさそうだな、ルーズベルトも、フランクリンの方であって、テディのことじゃないよ」
「それは存知ておりますわ」はにかみながら話題を変えてくれた。
「ハイラムとお会いしたそうですけど、差し支えなければ様子を聞かせていただけませんか?」
身震いするように頭を振ってから応えた。
「実際どうなのかはわからないがね」
そしてエーミィに視線をすえてから続けた。
「あまりいいようにはみえなかったな、病気じゃないかと思えたくらい、健康には見えなかったというのが正直なところだね」
「そうなの」
「首に何かのしかかったように重苦しく、AIDSでも抱えているんじゃないかって思えたな」
「ハイラムが?」
肩をすくめて返した。
「そう思えたって話さ、それに俺に対してもあまり関心があるようには見受けられなかった、それだけの話かもしれないがね」
「そう」そこで薄い笑みを浮かべてから言葉を重ねてきた
「特に問題は起きなかったということね」
「ああ、今回は10セント銀貨はだされなかったから」
「よい傾向ということかしらね」
そこでエーミィは首を上げ、視線を合わせてからまた別の話題を振ってきた。
「ジョッシュ・デヴィッドソンに会ってきましたが、彼に面識はありますか?」
「俳優だろ?なんでここにいるんだ?」
「彼の娘さんも代議員なの、後見人として来てらしたようね・・あなたの知らない俳優はいないのかしら?」
「たしかに会ってない俳優の方が珍しいかもな」
「人当たりのよい魅力的な方じゃないですか」
ジャックは笑顔を浮かべてから応えた。
「いやなんだかえらく年寄りじみた言い回しをするな、と思ってね、いっちゃいけなかったかな」
エーミィは笑顔で答えた。
「髭をそった方が魅力的、というのも古いいいまわしかしらね」
「それはしないだろうね、髭は彼のトレードマークなんだから」
そこで何台かある電話のひとつが鳴りだした。
どの電話だろうか、などと眺めているうちに、エーミィが立ち上がって促す声が聞こえてきた・・
「出て、ダニー・ローガンからですよ」
「なるほどね」すでに根回し済みというわけか。
別の電話も鳴り出したところで、ようやく受話器をとって耳に当ててみたが、ツーツーという音しか
聞こえはしない、そうして無様に立ち尽くしている。
そうとも何もかもが噛み合いやしないじゃないか。
 ……そんな拭いがたい思いを抱きながら……