ワイルドカード6巻その9

午前10時

              スティーブン・リー

昨晩ジャックが喰い散らかした代議士たちの相手にも飽いてきた。
熱狂の響きにももはや飽いている。
そういえばアレックス・ジェームズという男がいた。
選挙期間初期からのパペットだ。
大概のシークレットサーヴィスは職務に忠実で貪るべき秘めた炎というものは感じられないが、
アレックスは心理検査に過去取り調査も潜り抜けたとみえる。
ビリー・レイと同じく、アレックスの精神は芳醇な加虐の縞で彩られていて、力をみだりに用い
ひけらかす薄緑色の感情に駆り立てられている、それのみを残し、そこにわずかばかりの仕事熱心さを加え、周りの人々を遠ざけるように手を施して誰も注意を引かないようにしつらえた、これでパペットマンのみが彼を注視していることになる。
パペットマンは魂の奥底に皹を入れ、そこをいかに広げるかを熟知している。
グレッグはスイートに座して、その感情が絶頂まで高まるのを待てばよいのだ。
キャビネットに収まったTVをつけ、CBSダン・ラザーまでが選挙期間開幕の報道を告げるのを耳にしつつ、注意深く精神の抑制を外すと、内の力が溢れ出しアレックスの所在をはっきりと捕らえているのがより感じられる・・・外のホールにアレックスはいるようだ・・・
レイには階下の吹きぬけを調べるよう促しておいた・・・代議士の所在をつきとめようとかぎまわっているレポーターや好奇心に駆られた人々が群がっているからと・・

そうしてパペットマンが舌なめずりをして、馴染みのある精神の暗部に滑り込んでいく・・・
「これだ」そして内で吐き出すようにつぶやいている「そうともこれだ」
くれぐれも急かず、用心深くいくんだ
あのとき何が起こったかを忘れるな
不意に不安に襲われ念を押すグレッグに、パペットマンが鼻息荒く言い返してきた。
黙っていろ!なぁに心配することなどあるまい、全てうまくいっているじゃないか、クリサリスは手間が省けたから、あとはオーディティにでもあのジャケットをとりにやればいいし、ダウンズにはマッキーを差し向けてある・・幸先はいいというものだ、もう楽しんでいいころだろう、たかが一人じゃないか・・お前も飢えを感じているのだろ?
そうとも忘れていないとも、俺たちは一蓮托生なのだから・・

その不安も、パペットマンを通して流れ込んでくる貪欲な感情に塗りこまれていった・・・
突然アレックスの感情が強まったのだ・・・
それが意味していることは明白だ・・
アレックスが誰かをみつけたようだ・・
着古したジーンズに<88年はハートマンに>と記された大きすぎるたすきをつけたあまりにも平凡なナットの子供のように思えるが、ジョーカータウンの住人を思わせる不恰好な仮面をつけている・・・
そのかいなに抱え込むようにしてスポーツジャケットの内に膨れ上がる感情を抑え、彷徨するべききっかけを待ちわびているではないか・・・
パペットマンはアレックスの感情基盤に押し入り、重く蒼い責任感と皮を思わせる茶褐色の倫理観に抑えられた赤橙色した暴力衝動を突き動かし、顔をのぞかせ、そいつにふいごのごとく息を吹きかけて、小さな火種を炎に育て上げ、容易く熱を強めていけばいい、そうすれば・・・
(アレックスが叫びをあげ、首と頬が赤い色で染め上げられることだろう、上気した血の色で・・・
それからTシャツを掴み上げ揺すると、たすきがききわけのない人形のごとくたわみ、外れたマスクが床に落ち、アレックスのFlorsheimフローシャイム<ベルギー靴>を見上げるかたちになる)*
そうして・・パペットマンが情動を味わい・・
グレッグもそれを共有することとなる・・・
そこには饗宴に値する、怒りの萌芽があるのだ・・
パペットマンは貪欲にそれにすりより・・感情をつまみあげ・・
それらをわずかに高めるようしつらえる・・
(アレックスは手を返し、手の平で鋭く一閃すると、
頬から唇まで血が滴って、痛みと恐怖で泣き叫び始める、
それは一見突然まきおこったことのようにしかみえはすまい)
再び遮断されるような感覚が巻き起こった・・・
冷たい、大理石の壁が感情の通路に立ちふさがったかのようだ・・・アレックスから切り離され、パペットマンが引き戻されたかたちになり、そのフラストレーションと怒りで咽び泣きながら、壁をたたき続けている・・何度も何度も・・
そうしていると、壁の後ろから、くつくつとかすかな笑い声が響いてきた・・

ようやくここまで漕ぎ着けた
そうつぶやく声が聞き取れた
ハートマン この糞野郎、ようやく貴様を引きずり降ろすことができるというものだ、あんたの弱点を掴んだんだから、なぁグレッギー、あんたはだち公を使ってミーシャやモーゲンスターンを黙らせてたんだなぁ、そのエース能力に俺は干渉できる、傀儡からあんたを切り離せるって寸法さ・・・おあずけをくらわせたら、あんたはどうなるかなぁ、上院議員どの、それとも力をあんたに向かわせてみせようか、そいつの方が見ものかもなぁ
そこで言葉は途切れたが、くすくす笑いは続いている・・
そして恐怖が膨れ上がるのを感じながらも、グレッグにはその声が誰のものかはわかっていた・・
彼を戦慄させ、動揺させている壁の向こうにいるその声の持ち主を・・
ギムリだ、ギムリにちがいない
死んだはずだ
思わず叫び返していた・・
貴様は死んだんだ、その骸は10セント美術館に飾られてるじゃないか、タイホイド・クロイドの手にかかったんじゃなかったのか
死んだだと
再び笑いとともに言葉が返されてきた
それじゃこの声は何なのかなぁ、ハートマンさんよぉ
あんたの中にいるだち公にも聞いてみちゃどうだい、
生きてるのか死んでるのかをよぉ、そうとも死んだわけじゃない、変わったんだ、
これで借りが返せるってもんさ・・・

そこでまた声が途切れ、突然壁が消えうせて・・・
パペットマンが内にいたまま、声も立てずに叫んでいる・・・

アレックスだ、手遅れになる前に・・
パペットマンが愚図り始めている・・
駄目だ!
膝に置いた手の平が震え・・
汗が背に滴りシャツを濡らして・・
アドレナリンが胃の腑を満たしていく・・
叫びだし逃げ出したい気持ちが膨らんでいくなか、
恐れと不安を抱きながら・・
ホテルの何一つ異常のないかのような佇まいと、内から漏れ出る声に苛まれている・・
出せ!他にどうしようがある
駄目だ
選択の余地などあるまい、わかっているだろ

そういってグレッグの意思に反して、力が解放されてしまった・・
驚きに沈みながらも、グレッグの意思が内に塗りこまれていくではないか・・
拳が硬く握られて、長いすに身体もまた沈んでいったが・・
自動人形のごとく立ち上がり・・
ぎくしゃくと脚を引きずって進み始めた・・
表情は固まって、痛ましいしかめ面になっている・・
脚に唾を吐きかけ、制御を取り戻そうとあがくも・・
閨に続くドアノブの前に立ち、それを掴んでひねり、
押し開けるのを、見ていることしかできはしない・・
God.Noやめてくれ・・・
「グレッグなの?」
ベッドに入って何か読んでいたようだ・・
膨れ上がった腹部の上に本をもたれかけさせている・・
「触ってみて・・ほら動いているのよ」
そういってからエレンは、イギリス貴族を思わせるその顔をいぶかしげに傾げて声を重ねてきた・・
「グレッグ?どうかしたの?」
パペットマンと己の意思の間で翻弄され、身体が揺れ動いている・・
主導権を握ろうとする紡ぎ手の意思の間で翻弄されている何者かのように・・・そう糸のもつれた傀儡のごとく・・
パペットマンが嘲っている・・

我々に何の違いがある
ただのエース能力にすぎないじゃないか・・
必要ならば使えばいい・・
エレンなら問題あるまい・・貪ればいいじゃないか
駄目だ!それは許されることではない
傀儡にすぎないだろ、
従順なものじゃないか
類まれなる痛みが味わえるだろう
危険が大きすぎるといっているんだ、
今ここでは・・
そうしているとすべては滑り落ちていくのだよ、
さぁやるんだ

つまずくように身体が動き、拳を握り振り上げていた・・
エレンの瞳に恐怖が拡がって行く・・
本を閉じ手を前に突き出し言葉を投げかけてきた
「グレッグ、脅かさないで頂戴・・・」
身体の制御がすべて零れ落ちていってしまったように
思える、パペットマンとの攻防にも疲れ果て・・
パペットマンが勝利を宣言すると思えたまさにそのとき・・
なんとか内でパペットマンに一撃をみまうことができた・・
そう思えたそのとき・・
パペットマンはそれを予測していたかのようにふっと力を抜き・・
グレッグが主導権を取り戻すことができた・・
いぶかりながらも、もがき呪いの言葉をはいているであろうパペットマンを深く、より深く檻とも呼べるところに押し込め・・内で壁をたたき続けているであろうパペットマンを埋めることで、ようやく声は聞こえなくなって、己を取り戻すことができた・・
ベッド脇で喘ぎながら、まだあがったままの拳と、身をかばうようにしているエレンに気づき・・
拳を開いてみせ、隣に腰を下ろし、その顔に指をそわせると、エレンの身体がびくりと慄きはしたが・・
髪を指ですいてみせ・・
「何も心配はいらないんだよ、ダーリン」
と言い聞かせ、痛みの代わりでもあるかのように笑顔を示して見せた・・
「その子の母親に手荒なまねをするわけがないだろう、するはずがない・・」
「怒りっぽく、暴力的になってるように思えたの・・」
「あまり、具合がよくないんだ、どうも選挙のことを考えるとね、胃が痛んでいけない・・
Maaloxマーロックスを飲むよ、そうすれば納まるだろう・・」
「怖かったのよ・・」
「許してくれないか、エレン・・」宥めるように言い募った・・「お願いだから・・」
押し込めたはずのパペットマンが気持ちを和らげてくれ、信じ込ませるのも造作のないこととなった・・
だがパペットマンは信用ならない・・
それでも今は心配あるまい・・
エレンはこちらを見つめ、唇を震わせて、ゆっくりとうなづいてから言葉を搾り出したのだから・・
「いいわ・・許してあげるわ、グレッグ・・」と・・
そういって身体を摺り寄せてきた・・
グレッグはヘッドボードにもたれながら、己のエース能力の残滓がかすかに絡みつくような感覚を
覚えながらも・・
なんとか気を落ち着け、忘れることもできそうだ・・
エレンは妊娠してから、余計に気持ちが内に向かうようになりがちで、しだいに外のことに関心をうしないつつあるようで・・
何でもないこととして詫びを受け入れている・・
その意識はグレッグ自身の意識をもわずかながら安まらせるもとなっている・・・
何がおこっているというんだ
そこでギムリの笑い声が・・いやベッド脇の電話がなったのだ・・
受話器を取り上げ侏儒を意識の外においやりながら耳に押し当てた・・
「ハートマン・・上院議員ですか?」
その声からは、息を切らし、動揺した様子が伝わってくる・・・
「エーミィ、悪い知らせだ、今夜のカリフォルニア信任投票はかなりの苦戦のようだね・・」
そう話しながらも、ギムリのおかしがる様子が・・
つきまとっているように・・
思えてならなかったのだ・・


*途中でナレーションが不自然な()でくくられていますがこれは原文のままです・・
・ここは察してください、ということで・・・