ワイルドカード6巻その8

                  ウォルター・ジョン・ウィリアムズ


帰ろうかと立ち上がって思い直し、煙草とコーヒーを用意した、ハイラムが息せき切って駆け込んできたのは
そんなときだった。
たしかにハイラムとはスタックド・デッキで旅をともにしたものだった。
それでもさほど親しい間であったとはいえず、かといってかしこまるほどの間であったともいえはしないが、
それでもハイラムの様子がおかしいのはわかる。
おそらく眠っていないのだろうが。
ビュッフェに視線を向け、プレートを手にし、無言でそこを料理で満たしているさまを目にしていると、何か冷たい汗が滴り、心拍が調子を狂わせたような不快感を感じてならない。
何をかりかりしているというのだろうか。
ともかく気を落ち着けようとキャメルを深く吸い込んでみた。
ハイラムはプレートに料理を載せ続けているが、その様子は、なんらかのワイルドカード能力が働いて、
料理が透明になり見えなくなっているかのように無関心に思える。

そこでハイラムが振り返った。
手にはクルーラーをつかみ、それを齧ってはいるが、まるで味がしないかのように無表情で、
スタックド・デッキではその巨体に反して、重力を制御して身軽に動き回っていたものであったが、
今ジャックの向かいに腰掛けたその姿には、見る影もなく重苦しく感じられる。
そうしてジャックには空ろで光がまったく感じられない瞳を向けながらようやく言葉を搾りだした。
「ブローン」そうして吐き出すようにさらに続けた。
「こうして会うのは私がいいだしたことじゃない」
「もちろん私が言い出したことでもありませんよ」
「若かりし頃、あなたは私にとってもヒーローでした」
誰も若いままではいられまい、そんな言葉がよぎりはしたが、あえて口にしはしなかった、
続く言葉を聞くべきだと思えたのだ。
「……善の象徴たるその姿、私はそれ自体もはや必要としなくなってしまったのかもしれません」
語りたいことがあるのだろう、ジャックは黙って耳を傾けることにした。
「私はライフのカバーを飾ることもなければ、綺羅星の如く出演作の並ぶ映画スターでもない、レストランを
切り盛りしている太った男にすぎないが、それでも友に対して誠実であり続けたことは紛いようがない」
友や己に対してはそうだろうとも、今度こそそういいかけたが、マリオットの床に落ちてがたがた音を立てて
いるであろうアール・サンダースンの似姿を思い起こして、ようやく思いとどまることができた・・・
そこで冷や汗を振り払うように瞬きをしながら思わずにいられなかった。
こんなところで何をしているんだ、と。
ハイラムはロボットのように抑揚のない調子で話し続けている。
「グレッグがいっていたよ、カリフォルニア(ジャックが<友好的証人>と呼ばれた地でもある)ではうまくやってくれた、おかげでセレブたちの落としてくれる金とサポートをなんとか失わずにすんだとね、そのことには感謝しているし、その恩があったとしても、あなた個人を信じられるかどうかは別の話です」
「ワーチェスター、俺とて、誰の政策も信じちゃいないよ」
そう応じながらも気づいていた、ハイラムはグレッグ・ハートマンという男の善良さを純粋に信じているにすぎず、30数年もの間、それにすがって生きてきたのだろう。
「グレッグ・ハートマンが選挙に勝たなくては意味がない、なぜならレオ・バーネットはアメリカ人の姿を纏ったヌール・アル・アッラーのようなものなのだから、シリアを覚えておいででしょう、路上に轢死したジョーカーが打ち捨てられていたのを」
そこでようやく瞳の奥に、ちろちろ光る炎が立ち上ったように感じられたところで、ハイラムは拳を握って高く振り上げてみせた、齧りかけのクルーラーが残っていたことすら忘れ果てたかのように。
「彼らは危険なんだよ、ブローン、中傷に買収、ありとあらゆる汚い手を使って人々を先導し、暴力の渦中に誘うことだろう、それに対し手をこまねいていていいものでしょうか、それを黙って見過ごすと」
もはやいらだちなどというレベルは超えていて、冷たい怒りを感じながら思わず応えていた。
「黙ってみすごしたわけじゃない……他に何ができたというんだ……」
その言葉にハイラムは動きを止めた、ようやく手に握り締めたもののあったことに気づいたかのように。
「そうとも、他にどうしようがあったと」
その言葉は墓所から響くように感じられていた。
夕陽に照らされながらも暖かさのない、生気のない雑草に覆われ苔むした灰色の墓石には、第五分隊の、
そしてアール、ブライズ、アーチボルド・ホームズといった名が刻まれていて、それらがカジノのキューに
弾かれたボールのようにぶつかり、砕け散ったイメージとなり己の内で弾け飛び、渡渉しようとして
銃火に倒れる人々の姿に重なって、立ち上がり、燻る煙草を放り投げて言い放っていた。
「何もヒーローになる必要なんかないのじゃないのかな、ワーチェスター、それだけの熱弁がふるえるなら、
あなたこそ政治家になることを考えたらいかがですか」
ナプキンを取り出して、忙しく汗を拭いながらハイラムが応えた。
「私はグレッグに信用ならないといったんだ、それなのにグレッグはジャックは変わったからといって」
「その通りかもしれないが、そうでなかったとして、それが何だというのだろう、俺は……できることをしてきたのだから……」
ナプキンを放り投げ、青白い巨体が立ち上がった、聳え立つ山が身構えたかのように。
「そうとも必要なことをしたまでなんだ」
そうして甲高い声で言い放った「それが重要なんだ」と。
それに対し、ジャックはクズリが無理やり歯を剥いて浮かべたような獰猛な笑みを浮かべて応えていた。
「わかってたまるか、あんなめにあってはいないのだから」
それはまさにとってつけたような笑顔だった、Basil Rathboneバジル・ラスボーンが手すりによりかかり農夫に向けるような。
「誰もが知っていることじゃないか、誰もあなたに友を裏切れとも、それをほのめかすこともないでしょう、もはやその必要はないのですから、そうならなければ理解することはかなわないでしょうね」
そこで少し和らいだ笑顔を浮かべてみせた。
「もちろんそうならなければそれにこしたことはないが」
そのジャックの笑顔の前で、ハイラムはしなしなと力を失っていったように思えて、座り込んだその下で椅子が軋み、バネが飛んで弾け散った。
それを腰にしながらも襟をしきりにいじっている、首が痛み、それをなだめるかのように。
そのさまは御影石の山が突然マシュマロに変わったようnな奇異なものにジャックには思われ、突然疲れがのしかかるように感じられた。
こめかみにはかすかな二日酔いの名残が残っており、まだかすかにずきずき痛んでいるのだ。
もはやハイラムを見ていることすら耐えられなくなってきて、外を目指し、ドアの前で立ち止まり、ようやく言葉を引きずりだした。
「ここに来たのはグレッグのためだ、それはあなたにとっても同じはずです、ですからグレッグにはいい友人関係を築いていると言っといてくれていい、それこそが必要なことなのだから、いいね?」
襟をいじりながら頷いたハイラムを尻目に、廊下に出てドアを閉ざした、スイートの中を見ないようにして、そこでは太った男がこどものように頼りない顔をしてすがりつこうとしているのだろうから。
そうして歩を進め、人々の声が聞こえてくる、しわがれた叫び声響く喧騒が響いてくる、そこにわけいっていくのだ。
そうするより他にないのだから。