ワイルドカード7巻 7月22日 午後1時

       ジョージ・R・R・マーティン

            午後1時


     「そんな単純な話じゃないんだよ……」
ジェイが説明を終える前にハイラムがそう切りだしていて、
「どうだかな……」ジェイはそう言って、衣装バッグを開いて、
中のジャケットを見えるようにして、二人の間に横たわる
テーブルの上にそれを放り出して見せ、
「単純だと思うがね……」そう言葉を継いでいた。
バーラウンジの一つであるその場所は、昼下がりにしては
暗く、深夜のように思えた程で、党大会の喧騒からはいい具合に
隔てられていて、内密の話をするにはお誂え向きと言っていいが、
空調が効いた部屋であるにも関わらず、ハイラムの額からは、
玉の汗が滴っていて、綺麗に整えられた顎鬚にまで滴っている
ではないか。
その小部屋では、ハイラムの巨体に対しては狭すぎるとでも
いうかのように、テーブルにそのでっぷりしたお腹をもたれ
させ、前のめりになったかたちであったが、
ジェイがジャケットを取り出すと、幾分きまり悪そうに身を
捩ったかと思うと、テーブルから離れていた。
まるでそれに触れることが憚れるかのように。
「どうやら誤解があるようだ。グレッグ本人は善人だよ。
私はあの方との付き合いは長い、古い友人と言っていいだろう」
そこでジェイはジャケットに手を添え、
「あんたは確か、シリアに同行していたな?
これはあの時のジャケットか?」と言葉を向けると、
ハイラムは無理矢理視線を向けているといった感じで
ジャケットを見つめながら、
「そう見えるがね」そう応えつつ、
「しかしだね、ジェイ。よくある既製品のシングル
ジャケットじゃないか、同じものは五万と作られているの
じゃないかな。これがそれだという確証はないのじゃないかね?」
そう言いかけたハイラムに、
「俺はそうは思わんがね」ジェイはそう応え、
スティグマータに嘘をつく理由などないからな。
もちろんあの男はこれが何だかなんて知りもしなかった
だろうがね。
もちろん本物じゃないジャケットも用意されていたんだ。
カーヒナはギムリを信用していなかったんだろうな。
だから自分の血を染みこませたジャケットでも用意して
そいつをギムリに渡したんだろうな。
それがクリサリスの手に渡ったが、本物はあの人が自分で
持っていたんだ。
おそらく自分でどうにかするつもりだったんだろうな。
ハートマンと切り裂きマッキーはそんな時間をあの人に
与えはしなかったようだがね」
「だとすると」ハイラムはためらいがちにそう切りだして、
「クリサリスは……」そう言いかけたところに、
「無駄死にということになるかな」
「実際殺し屋が差し向けられているじゃないか」
「確かに殺し屋はいたさ」ジェイはそう認めつつ、
ジョージ・カービィなんて名は眉唾物だとしても、
その男は実在したんだ。
今まで確証が持てないでいたんだがね」
「そんな莫迦な……」
ハイラムは露骨に青ざめた顔でそう叫び、
「倫理的に許されることじゃない。それじゃヌールと
変わらんじゃないか。
人殺しを依頼するなんてことが許されるはずがない。
それにだよ、グレッグにだって言い分があるというものだろう。
ジェイ、これだけは言わせてくれ。
私はグレッグ・ハートマンという男の生き方をよく知っているし……
それが善人だと言い切ることもできる。
実際シリアではね……
そりゃ勇敢なものだった。
あのヌール・アル・アッラーに立ち向かったのだよ。
そんな勇敢な男が……
なんでそんな犯罪に手を染めるものか。
なんのために……そんなことができるというんだ?
ディガー・ダウンズがそう言っただけじゃないかね?」
ハイラムは怒りも露わにそう口にしたところに、
「あの男は本質的に嘘つきなんだ。
何度エーシィズ・ハイからあの男をつまみ出したことか……」
「それはこの際重要じゃないんだ。ハイラム……」
ジェイがそう口を挟むと、ハイラムは露骨に表情を歪め、
片手でしきりにテーブルをたたいて見せ、
「ダウンズはどこだ?」そう声を張り上げて、
「あいつの目を見て問いただしてやるとも、嘘を
言ってることはわかるのだからな、実際私は……」
そういったハイラムに、
「空港ではぐれちまったんだ」
ジェイは心底情けないと思いながらそう応えるしかなかった。
ネコ用運搬籠は着いていなかったのだ。
カウンターの人間に言わせると、次の便に紛れてしまった
ということになるらしい。
「なんてこった」
ハイラムはそこで当惑した声を出しつつも、手に持った
Pimm‘sピムスのカップをもって、勢いよく半分ほど呷ったかと
思うと、幾分震えがちな手でそれをテーブルの上に置いてから、
「何を言い出したか自分でわかっているのか?そりゃ
クリサリス絡みの仕事を請け負っちゃいたのだろうがね……」
そう言いかけたところに、
「それより土曜の夜にビリィ・レイがどうしていたか
教えてくれないか」と言葉を被せると、
「ビリィ・レイだって?」ハイラムはそう応え、
「何を言いだすんだ?司法省所属のエースまで
関わっているとでもいうのか?」と言いだしたが、
ジェイは肩を竦めてみせて、
「誰も信用できないということさ。
一人ずつ潰していく必要があるということだ」
そう言葉を継ぐと、ハイラムはグラスを掴み、
残りを飲み干すと、空になったグラスを見つめながらも、
虚ろに思える目をしたかと思うと、
「どれだけの人々が身を粉にして苦労してきたか
わかっているのか?それにジョーカー達を見たのでは
ないかね?彼らが憐れだとは思わないのか?
グレッグは彼らの唯一の希望なんだ。
例え真実がどうあれそれがどうだというんだ?」
共和党に鞍替えするしかないかもな」
ジェイはそう軽口を返しながらも、すぐに後悔して
しまっていた。
ともあれ口に出してしまったものはもはやどうにも
なるまい。
実際ハイラムが悲しみに暮れていることは間違いようの
ない事実だとはいうものの、それにしても何を言っても
聞く耳を持たず、背広の下からハンカチを取り出して、
しきりに眉のあたりを擦っているのはどういうことだろうか。
それほど混乱して取り乱しているということだろうか。
皮膚すらも耐え切れないといったようにたるんで見える
ではないか。
ジェイがそんなことを考えていると、
「そういやなんて言ったっけ?」ハイラムは吐き出すように
ゆっくりとそう言いだして、
「そうだ、セイラ・モーゲンスターンだ。確かあの女も
グレッグが人殺しだと言い回っていたな。
もちろん誰も信じはしなかった。
おかしな女の戯言を誰もとりあわなかったということだ。
その挙句が、昨日の晩あの女がどういう目にあったか
知ってるかね?
何とエースに襲われることになった。
ジャック・ブローンに助けられはしたものの、あれは自業自得と
いうものじゃないかね。
実際私が手を差し伸べなければ、ジャックもとぼっちりを
受けて死んでたかもしれないのだからね」
「ああ、テレビで見たよ。襲った男が、ディガーの言ってた
切り裂きマッキーって野郎らしいな」ジェイがそう言葉を挟むと、
「それじゃあの男が件の男だとして」ハイラムはそう応え、
グレッグに雇われていというのかね。だとしたら私は……」
ハイラムは重たい何かを飲み込むかのように言い淀んでいて、
長いためいきをついたかと思うと、
「ともあれその話を無下にすることもできまい。
そこでハイラムは何かを思い定めたかのように、
しっかりと元のハイラムに戻ったように力強く、
タキオンのところに行こうじゃないか。
あそこならちゃんとした血液検査ができるだろう。
そして事実が明らかになったならば、
あの人にならハートマンの精神に入って、
真実を明らかにすることができるだろう」
そう告げてからハイラムは、テーブルの上に乗せた
拳を握ったり開いたりを繰り返しながら下を向いて、
表情を曇らせつつも、何とか己を落ち着かせようと試みて、
「これは危険な試みだよ、わかっているのかね?」
そう言葉を継いで、
「ジェイ、間違いということでは済まないのだよ。
もしそうならどれだけの人々が傷つくことになるか」
そう言い添えたハイラムに、
「間違ってなければだろ?」
ジェイは静かにそう返すと、
ハイラムは身を縮めるようにして、
「もしそれが正しいならば」そっとそう告げて、
「主に全てを委ねるしかあるまい」
そう言い添えていたのだ。