第六章その5

      スティーブン・リー
       午前10時
 

      あいつが来るぞ
パペットマンがそう警鐘を鳴らしている。
タキオンが現れて、ビリィ・レイが悪態をついているのを
感じとったようだった。

今度はうまくやれるかもしれないじゃないかね

駄目だ!
思わずむきになって言い返していた。
一筋縄でいく相手ではあるまい
迂闊な真似をすれば、反撃してくる口実を与えることになりかねない
これでいいのだよ
何を弱気になっている、今更罪の意識を感じたわけでもあるまいに
確かに罪の意識を感じていないと言えば嘘になる。
タキオンとは20年に亘る付き合いになるのだから、
黙れと言っているんだ
パペットマンにそう言い放ち、それから言葉を継いでいた。
私に任せてもらおうか、と。
それでどうなるというんだ?他に何人に話しているかな?
ハイラムは知っているだろうな、無論それだけでは済まないというものだろう・・・
黙れ!
鏡から目を背けたところで、レイが、明らかに具合の悪い顔をして、タキオン
スイートに案内しつつ、
「あんたにとっては裏切り者だろうにな、上院議員
と憎まれ口をきいているところに、
ドアを開けてそれを抑えいれると、
「さてどんな扱いが正当というものやら……」
レイはそう吐き捨て、タキオンが通ってすぐにドアを閉めていた。
まるで異星の男が脚をぶつけるよう狙ったかのように、
グレッグは手に持ったファイルをめくり続けている。
わざわざゆっくりと余韻を愉しんでいるかのように、
そこで苛立ったタキオンが口火を切ってきた。
「言いたいことがあったら言ったらどうです、上院議員
これではあなたにとっても時間の無駄というものでしょうに」と。
勿論言いたいことはある、私のしたことじゃない、ということだ。
あれはパペットマンの仕業なのだ、と。
勿論パペットマンが耳を澄ましている以上そんなことは言えるわけも
ないわけだが、
そこで赤毛の異星の男に視線を据えて、その前のコーヒーテーブルの
上にファイルを放ってみせてから、
「実に興味深い事柄が記してあるものだ……」
そう言って表情を伺ってから言葉を継いでいた。
「さぁどうぞ、ドクター、ご自分でご覧になってはいかがかな」
タキオンは一瞬視線を返してから、腫物でも触るようにファイルをつまみ上げ、
そこに記された司法省の標に目をとめて肩を竦めて
みせつつ、
「これが何だというのですか、上院議員、つまらない駆け引きはもはや
必要ないというものではありませんか?」そう応えた異星の男に、
「さほど難しい話ではないと思うがね……」
ハートマンは椅子の一つに腰を沈め、いかにも余裕があるといったように
コーヒーテーブルの上に足を投げ出して見せて、
「私の精神に不法に侵入して、私の足元をすくうのに使えそうな情報を
摘み出したようだがね……私とて手を拱いていたわけではない。
私なりに調べさせてもらったんだ。
誰が囁いて、どこから嘘が吹き込まれたかということをね」
「嘘などではありませんよ、上院議員、私が目の当たりにしたのは歪んだ
欲望に満たされた悪意というものです、それは誰よりもあなたがご存じの
はずです・・・」
お願いだから……
パペットマンが哀れっぽい声を出し始めた。
俺に任せてくれないか、と。
駄目だ!
グレッグはそう答え手を振って応じつつ、
「誰かにそそのかされたのではないかね?ドクター、おそらくハイラムも
一枚噛んではいるのだろうけれど、ハイラムは私を信じたいと考えている
だろうから、彼ではあるまい、ということはセイラなのだろうね。
セイラに違いあるまい、それだけじゃない、セイラをそそのかした者が
別にいたのだろうね、ところでカーヒナを知っているかな、あの気の毒な
カーヒナだ……そうではないかね?ドクター、セイラから聞いていないかな?
あの女はギムリともつながりがあってね、それだけじゃない、ロシア人とも
つながりがあったんだ、写真もあるよ、私にはありとあらゆる政府機関につてが
あってね、覚えているかね?ドクター、彼らは生い立ちや過去などを微に入り
細に入り調べて囁いてくれるんだ、何を調べ出したか聞いたら驚くだろうね。
それとももはや驚きもしないかね?」
そこでグレッグは首を振ってみせ、タキオンに笑みを浮かべて見せた。
それは新聞の風刺画で描かれているグレッグが浮かべているような、そんな
凶悪な笑みだった。
「実に皮肉な話だとは思わんかね?ドクター、確かHUAC(下院非米活動調査委員会)
だったかな、あなたを宇宙から来た共産主義者だと言っていたのは……」
その言葉にタキオンは蒼白な顔をして肩を震わせていて、その唇は硬く引き結ばれている。
そこから迸る感情の波にパペットマン歓喜の声を上げているではないか。
捉えた、これでこっちのものだ、と。
「Bang(大当たりだ)」グレッグも口に出してそう囁いてから言葉を継いでいた。
「それだけじゃない、他にも切り札はあるのだよ、ブレーズといったかな、
あなたの孫は、ポリアコフも、他にも色々切り札があるのだよ」
タキオンはグレッグの言葉を遮るように言葉をかぶせてきた。
「あなたは何もわかっていないのですね」と、そして言葉を継いできた。
「何を調べようと、ポリアコフは死に、カーヒナも、ギムリも死んだことを
確認できるだけでしょう、あなたに関わった人々はことごとく死んでいる。
もちろんそれも噂や風聞の類であって、事実ではないわけですが……」
「ポリアコフならばアトランタで目撃証言があるのだよ、他の連中とて
じきに突き止めることができるだろう……」
そこでグレッグは己を落ち着かせるように一呼吸おいてから言葉を継いだ。
「だとしても私とてことを荒立てたいというわけではない」と。
「それでは何がお望みですか?」そう応えたタキオンに告げていた。
「同じはずだよ、ドクター、あなたは勘違いをしているにすぎない、
記者会見を開いて些細な行き違いのあったことを表明すればいい、
それですべては元通りになる、友であり、戦友に戻る、そうすれば誰も
傷つかなくてすむ。
第一私が票を失うことはあなたにとっても不利益というものだろう。
まだ間に合うというものだ。
もしまがりなりにもそうししないというのならば、
私とて色々公表する準備はあるというものだ、私から指名を取り下げさせる
ことはできるかもしれないがね、タキオン、そのときにはあなたもただでは
すまないということは覚えておいた方がいい、もちろんあなたの孫も同じ
ことだよ」と。
それなりに効果はあったとみていいだろう、グレッグはそう確信していた。
タキオンは押し黙ってしまったが、ファイルを掴んだ手は震えていて、その
表紙はくしゃくしゃになっているではないか。
頬は赤らんでいて、目に宿る意思の光も弱まって、涙すら滲ませているでは
ないか。
我々の勝ちだ、あとは黙っていればいいというものだ。
勝ったのだから、もはや心配はあるまい。


グレッグはパペットマンにそう告げていて、
この局面が乗り切れたならば、今度こそこの男を何とかせねばなるまい。それこそ永久にだ。
タキオンは両方の目に涙を伝わせながらも、なんとか真っすぐ顔を上げてきて、
まるで雄のちゃぼのように胸を膨らませてハートマンに視線を向けている。

グレッグはその様子に軽蔑を込めて笑顔を浮かべ、
「では取引といこうじゃないか」
そう言ってから言葉を継ぐと、
「ならばエーミィに言って記者会見の準備をさせよう」
「お断りします……」タキオンはそう応えていて、
ファイルをグレッグに向けて放り投げていた。
そうして中身がばらばらになって散らばっているではないか。
「お断りすると申し上げたのです」タキオンはそう繰り返し言った。
強い意志を込め、叩きつけるように。
「どうぞご自由に、上院議員、けれど私はそれに従うことはしません、
あなたが破滅の道を突き進むならば望むところです、あなたの脅威もろとも
滅ぶというならばそれが本望というものです」
それからタキオンはうなだれたグレッグに構うことなく踵を返していて、
パペットマンが内で吠え狂うままに、
「このろくでなしが……」
そうタキオンに叫びをぶつけていたが、
「愚かなならずもののくせに!私は電話を一本かけるだけでいいのだよ、
そうすれば貴様はすべてを失うことになるのだ」
と継いだ言葉に、タキオンは一瞬だけその菫色の瞳に強い怒りを滲ませた
まま向けてきたが、
「私はとうにすべてを失っているのですよ」
タキオンはそうグレッグに告げて、
「もはや私を脅すことなどできはしません」
タキオンはそう言い添えてバタンと高らかに音を立ててドアを開け、
それと対照的に音を立てずに閉めて出て行った、その態度に無言の決意と
尊厳を込めるかのように……