ワイルドカード6巻その4

                    メリンダ・M・スノッドグラス


[[]]ラジオからはU2の調べが流れ、そこに忙しいフォークを操る音、そしてオレンジジュースを啜る音が交じり合っている。
まだ10代であろう血の如き赤髪を頭頂で切りそろえ、編み紐Braidをたらした長くぴっちりしたレザージャケット、黒いハイトップのテニスシューズに、作業ズボンといった奇妙ないでたちの、本人はアグレッシブで性悪なパンクを気取っている若者、その赤髪からのぞく顔にはまだ険がない、単に若すぎるのだろうがアンサンブルを乱すことこのうえない。
一方タキオンもその係累とみえて、TVの前に立ちJane Pauleyジェイン・ポーリーTodayインタビューでの専門家筋の政治的見解というやつに目を細めながら、パガニーニバイオリンソナタの旋律に身を委ね、心地よげに尖った顎の下のバイオリンと戯れている。
三つの音と戯れてれているさまは、ちゃんと聞いている風には思えない。
テレビでは、1988年今年、何回も繰り返される予備選のアトランタ大会の、グレッグ・ハートマンという一人の男が、本選に出れるかどうかが焦点とされている。
それでもきちんと耳にしてはいたらしい。
タキオンはブレーズに向き直り、テレビの画面を携えた弦で指し示しながら論評を加えてきた。
「どうも苦戦しそうだな」

半ズボンにブーツ、ストッキングとシャツには、レースの折り返しがなされ、戦に臨むナポレオンの将校もかくやといういでたちながら、きらきらした緑を基調としたその姿は、どちらかといえば、羽を畳んだ細身の孔雀を思わせ、胸には勲章代わりといわんばかりに、報道代表団の一人を示すジョーカータウンクライ誌のプラスチックIDがぶらさげられている。
ブレーズはクロワッサンに大口をあげてかぶりついてから、ようやく感情を口にした。
「つまんない」
「ブレーズ、13歳ともなればもう子供じみた振る舞いはやめて、広い世界に関心を持ってもよいころではないかね、タキスならば、母親のもとから離されて、ファミリーでの責任を学び始めるころだ」
「そうかもしれないけれど、ここはタキスでなければ、僕はFuck(くそったれ)なジョーカーでもないから首根っこをつかまれもしない」
「いまなんと」その言葉は冷たい響きを帯びていた。
Fuck(くそったれ)っていったのさ、アングロサクソンの言葉だよ」
「子供じみた言葉使いは紳士に相応しくない」
「あんたがいったんだよ」
「口にすることしかできないからね」
そうして自嘲を滲ませつつさらに言葉を継いだ。
「されど幼子よ、我ら異星の賓客たる身はジョーカー同様、よるべなき身となり果てるだろうね、
かのバーネット氏がホワイトハウス入りした暁には、ともに特殊療養所に招待されることになるのだから」
「なんで強制収容所と言わないのさ」
「地球で生まれたといえども、その内には我が種族の血潮が流れていて、その精神の力を宿していることには変わりはない・・永遠に地上人から隔てられた存在であるがゆえに、
より自然な配慮といったものが必要とされるのだよ」
ブレーズが欠伸をかみ殺しているのを見て取ったタキオンは、そこで言葉を切らざるをえなかった。
まだ若いのだ、退屈な話であり、現実感を伴わないのだろう。
若さとは楽観のみならず、鈍さをも伴うものなのだ。
タキオン自身はこれまで生きてきて、楽観できたことなどほとんどありはしなかったというのに。
1987年6月のあの晩、タキオンの内でも捩くれ、変異したものはある、それは休止状態とでもいえる状態で燻り続けているが、ストレスに強い痛み、喜びすらも引き金となりうる、ブラッククィーンを引き当てた方が幸運であったのではあるまいか、それはジョーカーになるとも、幸運なるマイノリティとしてエースとなるともしれぬまま、己の内に依然として……

そこでスイートのドアを叩く音が響き、想いは破られた。
驚きに眉をひそめつつ、バイオリンをケースにしまいながら、
現れた姿は見知ったものだった。
「ジョージ」
タキオンは湧き上がってくる怒りと不安を押しとどめながら、居間に続いている扉の柱石に手をかけつつ強いて感情を抑制しつつ、低い声音で疑問を口にした。
「なぜあなたがここに?」
その男ジョージ・スティール、あるいはヴィクター・デミエノフ、またの名をジョージィ・ヴラディミィロヴィッチ・ポリアコフが薄い瞼の奥に苦手意識を湛えたタキオンの視線の向こうに立っている。
「どこにいればおかしくないのかな」
ジョージは少年を抱擁し、両頬にキスをして、さらに言葉を継いだ。
「ブライトンビーチに監視員の仕事があってね、飛びついちまったったのさ」
「ロシアのスパイなら、ホテルに忍び込むのもお手の物というものなのだろうね」
タキオンはそう切り出したところでブレーズが聞き耳を立てているのに気づいて、胸に手を置いて息を整えてから必要な言葉を搾り出した。
「下へ行っていなさい」そうして懐から財布を取り出して言葉を継いだ。
「これで雑誌でも買うといい」
「行きたくない」
「黙って言うことを聞いたらどうだね」
「どうしていちゃいけないの」
「子供が立ち入っていい話じゃない」
「ついさっき、広い世界にもっと関心を持つべきだといったばかりなのに」
「Ancestors(何て聞き分けのない)」
タキオンが途方にくれてソファに沈み込むと、ポリアコフが笑顔を浮かべて後の言葉を引き取った。
「つまりだね・・難しくて退屈な話をするんだよ」
そこでブレーズの肩を親しげに叩いて、ドアの方へ自然に促した。
「行って楽しんでおいで、憂鬱な話は聞きたくないだろ」
そうしてどたどたと出て行ったあとタキオンが呟いた。
「それが賢明というものだ」
そしてクロワッサンにジャムを塗りつけて、そのまま皿に置いて不満を口にした。
「どうして私より、ブレーズの扱いに長けているんだろうね」
「あんたは愛情があるからだ、ブレーズはそれにつけこんでいるのさ」
「それはともかくとして、どんな憂鬱な話があるのかね」
ポリアコフもようやく椅子に掛けて、親指と人差し指で唇をつまみながらようやく言葉を搾り出した。
「話してしまえば引き返せなくなるが」
「もったいぶるのか、それとも何かを要求しているのかね」
「黙って聞くんだ」
そこで突然彼の口調は、ハンブルグの路地裏で、泥酔して放り出されていたタキス人をスパイに仕立て上げたヴィクター・デミアコフのものに戻っていた。
「頼みたいことがある」
その言葉にタキオンは不貞腐れたように両手を広げて応じた。
「もう充分に働いたはずです、私とあの子にもうかかわらないでいただけませんか」
「ロンドンでのことでは私だってひどい目にあったのだよ、Mrダンサー、投獄の憂き目をみたのだから」
「では私と同じ目にあったというわけですね」
そこでようやくタキオンの口から皮肉が飛び出した。
「逃れえぬものはあるものさ」
そこでドアの向こうを示しながら言葉を継いだ。
「過去を消し去ることなどできないように」
タキオンは再び唇を神経質に触りながら、頭を振りつつよぎった考えを振り払った。
タキス人には友人の精神には踏み込まないという規範がある。
数年といえど東西ベルリンをまたいでポリアコフには世話になったのだから、しかし
その数年においてもこれほど動揺して、落ち着かない姿を見たことはない。
タキオン自身は過去を思い出すたびに、ブレーズが寝静まったところをみはからって酒色に溺れていたというのに。
ポリアコフはタキオンとブレイズの前でピアノとバイオリンの調べに合わせ、ひらひらとハンガリー人の舞うように切り抜けてみせたではないか、そのうえブレーズには周囲の人間の意識に苦しめられないよう、力をコントロールする術を示してみせと、じつに惜しみない助力を示してさえくれたのだ。
タキオンはその年老いた男の下に駆け寄り、膝をついて傍に寄っていくと、
この憐れなロシア人はいったい何をかかえ、何を怖れているというのか
その想いに答えるかのようにポリアコフが突然右腕を掴んできた。
腕を通して内側から炎で焙られたような<痛み>が伝わってきて、血が沸き立ち、毛穴から汗が染み出してきて、床に大きく手をなげだしたまま倒れこみ叫んでいた・・・
Burning Sky空が灼熱に(非常事態だと)」と。
「まさに的確な言い回しだな」ポリアコフは冗談めかして答えながらも、その顔には笑みの兆候すらみられない。
「タキス人にはさぞ豊富な語彙があるのだろうね」
タキオンはハンカチを取り出し、迸る汗を拭っていたが、しまいには涙すらあふれ始めた。
なんとかそれを押しとどめようとしていると、ロシア人はこともなげに眉をひそめて応じた。
「What the Devil wrong with you(いかがですか)?」
「それが君のエース能力なのだね」
ポリアコフは応えず、肩をすくめて胸ポケットから自分もハンカチを取り出してみせた・・・
涙が止まらず指で拭っていると、ようやくポリアコフが口を開いた。
「これは私が出せるものの、ほんの触りにすぎないのですよ」
「それでもウィルスの引き金を引くのに充分な刺激になりうる」
そこでようやく激しい熱がおさまったのを感じた。
無骨な手がタキオンから放されたのだ。
「もう抱え込まなくていい、そうではありませんか?」
「いつそのことに?」
「一年前になりますか」
「知らなかったんだ」
「わかっていますよ、これでも
かなり長く生きてきましたからね」
その言葉は、汗とともに染み付いた
恐怖をふりはらうかのように衣服を脱ぎつつ発せられた。
「どうして今回の党大会にそれほど関心を
お持ちなのですか?」
ワイルドカードに感染した事実以上に
厄介なことを抱えてしまったんだ。
私はロシアの人間だというのに」
「存じておりますよ」タキオンはそう応えながらバスルーム
に向かい、シャワーを浴び始めた・・それですべてが洗い流せるかのように、
ポリアコフがバスルームまできて、そこに備え付けられたトイレの蓋に腰掛けた気配をカーテンごしに感じたと同時、カチンという金属を弾くようなグラスの響きが耳に飛び込んできた。
「飲んでいるのか?」
「だからなんだ?」
「私にもいただけませんか?」
「まだ朝の8時だぞ」
「相身互い酒に溺れつというわけですね」
タキオンはそう答えながら、肩越しに受け取ったグラスのウォッカで喉を潤しつつさらに言葉を継いだ。
「飲みすぎじゃないですか?」
「それはお互い様だ」
「それもそうですね」
「党大会にエースが紛れ込んでいる」
「エースぐらいいるでしょう」
「正体を隠したエースだ」
「それならこの部屋にもいるじゃないですか」
カーテンの向こうからタキオンのいらだちまぎれの声がさらに続いた・・・
「まだ用心が必要だというのかね、信用するにたりないと?」
ポリアコフが重いため息とともに、髪をかきむしりながら応えた
「ハートマンがそのエースなんだ」
タキオンがカーテンの向こうで首をふりつつ応えた
Nonsense(ありえない)」
「本当のことだ」
「証拠は?」
「疑惑がある」
「それだけでは信用するにたりない」
タキオンがシャワーを止めて、カーテンから手を突き出し
「タオルを」と続け、ポリアコフが放り投げてそれに応じた。
タクがそこから出て、肩にかかった赤い髪を拭うと、鏡には様々な傷が写って見える。
左腕から手にかけての傷はエンジェルフェイスを救い出したときのもので、ふとももで皺になった傷は、パリでテロリストの凶弾にさらされたときのもので、右上腕の傷は従兄弟と争ったときについたものだった。
「生きることには代償が必要ということなのでしょうね」
「いくつになると?」
「地球の自転周期にして、89歳になりますか」
「あったときのままに思えるが」
「かもしれませんね」
「俺は老いた、脂肪のみならず恐れひとつ抱え倦ねている、
俺の言葉を妄想と断ずるならば、ハートマンの心を読めば
はっきりすることだ、頼む」
「私は友人の心を読みはしない、だから貴方の心を読まないのですよ」
「じゃ読んでくれていい、それで納得するのなら」
「Ideal(何を言い出すと思えば)、おそろしいことを」
「ハートマンは・・脅威なのだよ」
「雄弁をしてならしたあなたとは思えない物言いですね」
「それでも、否定できるものでもない・・そうだろう」
タキオンはバスルームから出て、ドロワーをまさぐりながらも、ジョージの恰幅のよい姿はそのままでいるのを感じながらようやく応えた。
「信じられる話ではありません」
「信じたくないというだけだろ、

ハートマンの過去を知っているかね、そこには死と破滅が満ちていたよ、高校時代のフットボールのコーチに大学のルームメートのことを調べてみるといい」
「不幸で暴力に満ちた過去があろうとも、それがエースであることを証明することになりはしませんよ、それはこじつけにすぎないのではありませんか?」
「それじゃこいつはどうだ、二度誘拐されて二度とも自分だけ無事だったという奇跡に彩られた政治家は他にいないだろう」
「シリアではカーヒナが弟に手をかけたから助かったのであって奇跡でも何でもありはしませんよ、ドイツでは混乱の隙をついて助かっただけでしょう」
「そのカーヒナと行動をともにしたこともあるんだ」
「本当ですか?」
「ああ、一緒にアメリカに渡って、ギムリと合流したんだが、
ギムリは死に、カーヒナは行方をくらましたままだ、おそらく
生きてはいないだろう、グレッグ・ハートマンを告発しようとしていたのだからね」
「あなたがそう考えただけではないですか?」
「誓って嘘はいっていない」
「嘘ではなく、都合のいいように捻じ曲げられた事実という
奴ではないですか」
「そのことに首をつっこんだギムリは死んだじゃないか」
「それではタイホイド・クロイドもグレッグの手のものだと、
彼の死因はウィルスによるものですよ、グレッグ・ハートマン
には何の責任もないことです」
「それじゃカーヒナはどうなったと?」
「死体がありませんから、証明することもできませんね」
「じゃドイツのことはどうだ?」
「ドイツがどうだと」
「GRUのトップエージェントが、まだ駆け出しのように逃げ帰ってきたんだぞ、彼の手にかかったということじゃないのか?」
「何の証拠になります、あなたのおっしゃっていることは、
噂や類推の類をでるものではありませんよ」
「だったらこころを読めばいいだろう、それなら間違いようの
ない証拠となるだろうから」
だがタキオンは強情に口を引き結んだまま答えようとはしなかった。
「事実を知るのが怖いだけではないのか、それはタキスの礼儀規範によるものではなく、単なる臆病風ではないのか」
「タキスでは、私にそんな口をきいて生きていたものはいませんよ」
肩をすくめたタキオンの口から飛び出したのは、醒めた諭すような口調のものだった。
「エースだとしてもそれが何の問題になる?
ワイルドカードとともにどんな野心を隠しているというんだね、フランスではないから、多少の瑕にはなるだろうが、それを秘密にしていたのはあなたも同じではありませんか」
「彼は他人を死においやっているといっているんだよ、タキオン、彼が隠しているのはその顔なんだ」
「誰が聞いているかわかりませんよ、血に飢えた獣たちを食いとめる唯一の希望がまさにグレッグ・ハートマンなのだからね。
もしハートマンがおとしめられることあらば、バーネットとその狂信者たちがつけこむことでしょう、もしあなたが正しかったとしても、あなたはその面白みのない顔で自分のことを隠して逃げおおせるかもしれませんが、下にやったあの子は、そして歪な体を抱えたものたちはどうなりますか?
そんな彼らに、20年にわたり彼らを庇護し、擁護してきた男が、本当は悪人で、破滅させなければならない、なぜなら彼がエースで、それを隠していたからと、そんなことを言えるとでも」
そこでタキオンの目は何かを悟ったように見開かれた。
「そうか、クレムリンにとって脅威となる人間が大統領候補になるのを阻止するためにあなたは派遣されてきたというわけですね」
「冗談はよしてくれ、スパイ小説の読みすぎじゃないかね、
クレムリンは関係ない、私は彼らに、死んだと思われているのだからね」
「それにしても信じられる話ではありませんし、信ずるべきでもないと思えますよ」
「過去を思い返してほしい、少なくともあなたに悪いようには
振舞ってこなかったはずだよ、敵ではない、そのことだけは信じて欲しいんだ」
ドアに向かったポリアコフにタキオンが声を重ねた。
「それもどうだか」
「堂々巡りのくりかえしはうんざりなんだ」
「まるでワルツですね、くるくる回りながら、
グレッグ・ハートマンは人殺しのエースだと繰り返してばかり
いるのですから」
「手の内はすべてさらけだしたのだよ、君にかかっているんだよ、ダンサーの活躍にね」
ポリアコフはわずかな間、葛藤を繰り返していたが、ようやく戸口で言葉を抉り出した。
「君が行動しないなら、俺が捨て身になるしかないことになる、それだけのことだ」と。
















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