ワイルドカード6巻 その36

           スティーブン・リー
           1988年7月19日
             午後9時


  マリオットのロビーでビリー・レイに呼び止められた。
上院議員、まだバーネットと話をする気をお持ちですか?
レディ・ブラックからホテルに戻ったと伝えきているのですが・・」
なんて日だ
エーミィにジョン、デヴォーンが散々無駄足を踏んでいたというのに
いきなりこれだ・・・
・・・フルールに何度もつなぎを頼んでいたが・・・
バーネットに話すつもりはない、とすげなく突き放されていたのだ・・
何があったというのだろう・・・
バーネットかフルールのどちらかに何らかの政治戦略の転換でもあったと
いうのだろうか・・・
それが何であれ党綱領にジョーカーの権利条項を盛り込むことに影響を
もたらすものであることに違いあるまい・・・
ジャクソンの協力が得られなかった以上、それが不可能といってもいい
局面に立たされているのだから・・・
そうなれば党綱領は曖昧模糊で骨抜きとなることだろう・・、
たとえ控えめに<微妙な勝利>と報道されたとしても・・
それはハートマン陣営にジョーカー、それに街に溢れる怒れる群衆にとって
何の意味もなさないものとなる・・・
そんな綱領が成立したならば、もはやバーネットと話す意味はなくなることだろう・・・
これは千載一隅のチャンスだ
内なる声が囁いている・・・
やるしかあるまい
上院議員、我々が立ち会えないなら、万一の場合も・・」
この男も無意識の内にパペットマンの感情に影響を受けていると見える・・・
気づかれているのではなかろうか・・・
ジャクソンにも・・・
エレンとて、グレッグが視線を向けていないときでも誰かに見られれているような気がする、
といっていたではないか・・・
エーミィにブローン、それにデヴォーンなどは容易くあしらえているにしても・・・
この選挙に勝ちあがるためには、パペットマンを使うことは用心せざるをえまい・・
とはいえ集中を保つにもいい加減限界が来ているとも思える・・・
「ありがとう、ビリィ・・傍にいてくれたほうがいいかな・・それはそうとしてそれまでに
時間はあるかな?少し顔を洗ってきたいのだがね・・」
「それぐらいでしたら大丈夫でしょう」
それからバスルームに行き、鏡を見ていると・・・
「だからといって何だというんだ・・」
消耗しきった自分の姿を睨みながら
冷たい愉悦を伴って響くギムリの囁きに声を荒げてしまったのだ・・・
バーネットをよこせ
まずパペットにして操る
ゲファルトやバビットにしたように・・・

そう仕向けるだけでいい
試したことはあったじゃないか、討論する機会があったが・・・
なぜか握手ができなかった、さけられているようで・・・
手を触れることすらかなわなかったではないか・・・正気とも思えない・・・
パペットマンが嘲笑と共に応えた・・・
今度はうまくやるさ、それしか勝つ方法はあるまい・・、
しかしギムリがいるではないか・・・
やるしかあるまい、抵抗しなければ可能となるだろう・・
そうとも、そうとも・・・
独白は続いていたが、グレッグはそれに耳を貸すのはやめると・・・
ようやく何も聞こえなくなった・・・

ビリィ・レイは数分後に戻ってくるとのことだった、バーネットのいる階に出向いてそこから戻ってくれば
そのくらいにばなるということだろう・・・
エレベーターのドアが開き、レイはそこにいる守衛にIDを見せて出て行った・・・
そこからバルコニーに出て、そこに立ってロビーを見ていると、足元のカーペットにグライダーが降り立った・・・
ミストラルを象ったものだった・・・
それをつまみ上げ、そっと放り投げると弧を描いてから遠くに飛び去った・・・
それに対してか、下からは喚声のような声が響いている・・・



そうして五分後に響いたエレベーターの到着音に視線を向けると・・・
レディ・ブラックが降りてきて、その後にフルール・ヴァン・レンスラー、
そしてレオ・バーネットが着いてきた・・・
グレッグは笑みを張り付かせ進み出て・・・
「鉄壁のガードを誇っておられるようですね・・」
と声をかけると・・・
レディ・ブラックは横に退いたが・・・
フルールはグレッグとバーネットの間に立ちふさがって・・
なすすべをもたないグレッグを嘲笑っているようにすら思える・・
それをさけるようにして横合いからバーネットに手を差しだすと・・・
パペットマンが屈んで、飛び掛ろうとしているではないか・・・
バーネットは整いながら愛想のないブロンドの・・・
典型的な南部伝道師といった顔をした男だ・・・
その男が唇全体で消え入りそうな笑みを浮かべて・・・
そこから柔らかく出自のよくわかる声が響き渡った:・・
「ハートマン上院議員ですね、どうも私どものスタッフがいらん気を回して
いたようでして申し訳ない・・彼らは主が行うごとく私を守る必要があると
考えることがあるようでして・・・」
再び唇に薄い笑みを浮かべてから続けた・・
「私としては喜んでその手をとりたいところなのですけれどね・・・、
不幸な成り行きとはいえ、それをすると心を痛める向きもありはしませんか・・・」
その一言でパペットマンの悪態と共にグレッグは手を引っ込めることになって・・・
「はっきり<ジョーカーども>といってやったらいかがですか・・」
そこにフルールがひったくるように言葉を被せてきた・・・
「罪人の手をとるときは、そいつを叩き潰すときに限るといいますからね・・
病院に行って消毒が必要になるでしょうけれど・・」
「剣呑な物言いだね、穏便に頼むよ、シスター・・」
バーネットはそうしてグレッグにまるで悪戯坊主がその共犯者に向けるような笑みを
向けつつ言葉をついだ・・
上院議員とて同意してくださることでしょう、不用意な握手などというものはときに・・・
政治家にとって身の破滅になりかねないということをね・・」
「そういうこともあるでしょうね」
グレッグはそう応じながらも、笑顔を浮かべることに疲れを覚え始めながらも、
しかめっ面のフルールに頷いて答えた・・
「確かにジョーカー達に申し訳ないことになりかねませんな」
「ジョーカーはあなたにとっていいキャンペーンバッジの一つでしょうからね」
とフルールがさらに嫌味ったらしく言葉を被せてきた・・・
「バッジなどどこにでも配られていますよ、ありふれたものじゃありませんか・・」
そう受け流してからバーネットの方に向き直って言葉をついだ・・・
「少なからぬ誤解があったとしても、私の陣営からならば諸手を挙げて協力する用意は
あります、つまり党の綱領成立のためならば妥協をも辞さないということです・・」
バーネットの表情が渋いものになった・・・
どうも気に障ったとみえる・・・
「私はModified plank(修正項目)になど同意する気はありません」
そして言葉をついだ・・・
「魂の弱い者ならばそれを受け入れるかもしれませんが、それは過ちというものです、
私とて見栄を張って後悔することぐらいはありますが・・・
しかしそれは主から試されて道を誤ったのだと受け止めています・・・
その教訓から学んで政治的駆け引きになど応じることはしません・・
これもまた試練の一つなのでしょうから・・・」
それを聞いていて気持ちの高揚するのを感じていた・・・
うまく付け入ればバーネットは出馬をとりやめるだろう・・・
その結果彼の擁する代議士がデュカキスかジャクソン陣営に流れたとしても構わないじゃないか、と・・・
ところがバーネットは微笑み返して・・・
上着の内懐から使い古された聖書を取り出しその金で飾られた表紙を
軽く叩いて言葉を発した・・・
「私は神の僕なのですよ、上院議員・・・
それは変わりはしません、最善と思われることをして、そして祈るのです・・・
この世界での扉が閉じられて魂の扉の開かれることを望みながら・・・」
グレッグは混乱したまま応じることになった・・・
「あなたの敗北もなければ、私の勝ちもないという提案をしているのですよ・・
何も世をはかなむ必要などありはしません・・・
私達が手を携えることは党の利益に適うのではありませんか・・」
バーネットは厳かに頷いて応じた・・・
それはグレッグの言葉が納得できたという仕草に思えたが応えは意外なものだった・・
「あるいはあなたが正しいのかもしれない・・・
それでも私は神の与え給うた直感を信じようと思います・・・
私は祈り続けますよ・・・
政治的駆け引きになど煩わされることをせずに・・・
そういったことを寄せ付けずにいたこれまでのフルールの判断は正しかったと思います。
私はこれで結構意固地な性質でしてね・・・
妥協はしません・・・
神のしろしめす正しい道以外に関心はありませんよ・・・
聖書に綴られた神は妥協などしませんし、理解を示すこともありませんから・・・
現世での政治的利益に譲歩することもないのです・・・」
バーネットはその広い額を際立たせるような特徴的な眼差しをグレッグに据えてから応えた・・・
「あなたを非難しようというのではないのですよ、上院議員・・
私は自分の信じることを率直に述べているにすぎません・・」
「なら我々の信じる神は同じではありませんか、神ならぬ人の身ならば、
最善を尽くそうではありませんか・・・
我々は敵ではないのですから・・・
プライドにとらわれることなく・・・
まず指導者同士が互いの違いを乗り越えて手を携えるべきではありませんか・・」
グレッグは誠実な信念に基づいたように聞こえるよう気を配りながら言葉をついだ・・・
「皆のためになることならば、キリストの教えに適うのではありませんか・・」
そしてグレッグはわざとおどおどした仕草に見えるように・・・
今一度おずおずと手を差し出してみせた・・・
「悪いようにはしませんから」と言い添えて・・・
パペットマンは不安に身震いしているが、グレッグ自身はうまくいったと思ったところで・・
バーネットが迷いの感じられた様子で躊躇を示してから、思わせぶりに両手で聖書をしっかりと
握り締めて応えた・・・
「分かち合えるとしたら、祈ることです・・・
Vigil不寝番にご招待いたしますよ、政治を語らないならば、代議士とも
共に跪いて祈ることもできるでしょうから・・・」
「師父・・・」グレッグは思わず首を振って応じていた・・・
なぜだ?どうしてこうも避けられるんだ?
それにバーネットは悲しげに頷いて応えた・・・
「それはできないのですね?」そして続けた・・
「でしたら我々の道は異なるものですよ、上院議員
そして部屋に戻ろうと歩き出しながら続けた・・
右手で聖書をしっかりと掴みながら・・・
グレッグは両手を力なく脇に垂らして訊ねていた・・・
「敵とは握手をしないということですか?師父・・・」
パペットマンの激情がそのまま噴出したかのように・・・
バーネットの後ろに控えたフルールが怒りを顕にくってかかろうとした
ところで、バーネットが悲しみに満ちた謎めいた微笑を浮かべて応えた・・・
「神の僕というものは聖書の引用に基づいて行動するものです・・」
そして続けた・・・
「驚くまでもなく、聖書には物事に対する正しい判断というものが綴られているもの
です・・・
たとえばこういった言葉でです・・・
ティモテへの1の手紙>で曰く・・・
信仰に背を向け偽りに満ちた声に耳を傾けようとするものには・・・
精霊は時としてまことしやかな嘘を口にする悪魔を遣わしてその良心を試し
教え諭すと語られています・・・
それは単なる比喩の上だけではありません・・・
あなたの言葉には、悪魔の影がちらついているのですよ・・・
我々は敵ではない、上院議員、そう少なくとも私はそう考えていますよ・・
そしてもし敵であったとしても、あなたが光の下に歩み出て
身の穢れを祓うよう尽力されることを祈ってやみません・・・
救済の希望はいつでもあるのですからね・・・」
グレッグは去り行くバーネットをひきつけられたかのように見つめていた・・・
さながら致命的な一言が・・発せられたかのように・・・