その8

       ウォルトン・サイモンズ
          午後6時


スペクターはマリオットを出て、ピードモント公園に入って
注意深く散策してみると、
数多のジョーカーがひしめいているが、今まで見たことのない
ほど幸せそうでいて歌い、抱き合い、互いにキスしあったり
していて夜っぴいてそうしていたようだが、少なくともその内の
半分程度は陰になる場所を見つけて寝ている姿も見て取れる。
とは言っても、どのジョーカーであろうともこれからスペクターが
やろうとしていること、そう考えているということを知っただけでも、
スペクターを八つ裂きにしても飽き足らないに違いない。
そんなことを考えながらそぞろ歩くにも飽きてきて、公園を出て、
オークランド墓地に入っていって、大理石の句碑や雨ざらしの墓石の
間を彷徨い、そこに刻まれた文字を読んで、何らかのインスピレーションを
得ようとしたが、何も思い付きはしなかった、結局単に時間を潰していたに
すぎなかったのだ、そう悟り、
タクシーを捕まえてモーテルに向かい、
そこを引き上げて、また別のタクシーを拾って病院に向かった。
持っていたウィスキーも空にしていて、別のボトルを調達した、気持ちを
落ち着けるにはまだ飲み足りないと思えたからだった。
そして病院に入り、受付の女に目くばせをすると、年配で幾分重量級の
灰色がかった茶色の髪をきつく結い上げているその女は頷き返したが、
そこで関心を失ったようだった。
タキオンの病室は何号室だ?」とそこで偽のIDカードをちらつかせて
そう訊ねると、
「あの気の毒な御仁をそっとしておくことはできないのですか?」と
と幾分感情過多に返された言葉に、
「すまないね、あんたは労わるのが仕事かもしれないが、俺の場合はネタを
掴まなくては商売あがったりなんだ……」
そう言ってIDカードをひらひらさせながら、
「部屋番号を教えてくれるだけでいい、そうすればこれ以上あんたを煩わせる
ことはしない、これで納得してくれまいか?」と言葉をぶつけ、
「435号室です」そう女が伏し目がちにそう応えたところに、
「礼を言うよ」そう声をかけて、視線を反らしつつ、
「公益に適うというものさ、そうとも・・・」とぶつぶつ己に言い聞かせるよう
呟いて改めて病院を見てみると、
トニーの入院している病院とは別の星にあるかのように違っているようだ、
なんせ壁には花がふんだんに飾られていて病院特有のあの消毒臭い匂いも
なければ、ジョーカーの気配もまったくないときたものだ。
壁には注意書きが貼られていて、院内放送で聞こえる女の声は実に心地の
よいものだった。
そうして夢心地になりながら病室の前で立ち止まり、
辺りで誰も見ていないのを確認してから、素早くウィスキーをがぶ飲みしつつ、
ストレッチをして身体をほぐすように腕を振って、深く息を吸い込んでから
病室に一歩を踏み出したが、
そこで思わず笑みを漏らすことになった。
タキオンはベッドの上でスペクターからは背中を向けた格好でいたが、
着ている蒼い病院着の背中は大きく切れ込みが入って開いていて、そこから
白い尻をつき出して、無事だった方の手でおまるを抱え悪戦苦闘しているよう
だったのだ。
もう一方の手は包帯で包まれているのだから、何の心配もないというものだろう。
そこでスペクターはドアを閉めて、
それでも振り返ることさえできずにいる気の毒な異星の男は、
「どなたか存ぜませんが、この有様でして、水をとってきていただけませんか?」
などと言ってきたではないか。
「俺を誰だと思ってるんだ、ドク」と声をかけると、
タキオンはびくっとして身構えながらも、
「理想の名にかけて、わかりかねますが……」
そう言って振り返ってスペクターを見るやいなや、
「あなたは!」と言って慌てているタキオンの枕元に近づいて、そこにある
看護婦を呼ぶためのボタンのついた四角い物体を素早く取り上げて、
「落ち着け、それじゃ点滴が外れちまうぜ」そう声をかけ、タキオンの腕に
つながったチューブを指し示してから、
「手を貸してほしいと思ってね……」と言葉を継ぐと、
タキオンは首を振って拒絶を示しながらも、
「お断りいたします、ジェームス、あなたに手を貸すわけがないでしょう、
大体あなたときたら……」
「俺がどうだって?」
スペクターは比較的冷静を装ってそう言葉を絞り出しつつも、やはり嫌悪の
感情は滲ませたままで、
「あいつが殺されて当然の行いをやってきたことはわかっているだろ、そうとも
ハートマンだ、あんたは何人かの精神を捜査してあの男に近づけるようにして
くれるだけでいい、後は俺に任せてくれたらいい……」
「ジェームズ、あなたという人は……」
そう言いつつもこちらをみようとしないタキオンは、
「うまくいくわけがないでしょう、死体を検めればわかるというものです、大変な
騒動になりますよ.......」そう言葉を継いで、
「それはワイルドカード保菌者を狩り出す口実となって、彼らの隔離が始まることに
なるのです……」と言い放ったが、
スペクターはそれには耳を貸さず、タキオンの包帯に包まれた方の腕をきつく掴んで
みせると……タキオンは叫ぼうとしたが、その口に手を多い被せるようにして塞ぐと、
タキオンは血が引いたようすだったので手を緩めてから、
もう片方の掌をタキオンの貌の前に翳すようにしたまま、
「こいつを見るんだ、ドク」
「祖先の名にかけて」そう呻くように呟いているタキオンに、
「あんたは結局わかっちゃいないんだ、腹を決めたらどうだ、いつまでも自分を哀れんで
いてどうなる、あんたのその気の毒な一物を英雄を崇拝したがる娼婦にしゃぶらせる以外
にも力の使い道はあるというものだろう……」そう言ってタキオンを話し、少し身を
離すと、
タキオンは聞きたくないというように首を振って、
「あなたにはわからないことです、安息も必要なのです、そっとしておいてください」
そう言ってヒステリーを起す寸前の異星の男に、
「安息なんてものは墓の中にしかなかったのにな」
もちろんこんなことをタキオンにいうのはお門違いだというのはわかってはいたが、
構わず、タキオンの頬をぴしゃりと幾分加減して打ち据えて、
「痛いか?俺は過ぎる日の瞬間瞬間を常にそうした痛みを抱えて生きなきゃならなくなった
んだぜ、それはいつまでも終わることがない……」
そうして屈みこむように顔を近づけつつ、
「小さな女の子を殺したこともある、それも母親の前でな、こんなことをしなきゃならなく
なったのは誰のせいだ、あんたが俺の安息を邪魔して生き返らせたからじゃないか……」
これはもちろん嘘だ、そんな少女など殺してはいないが、タキオンの心にナイフのように深く
切り込めるならそれも方便というものだろう。
「あんたが手を貸してくれないなら、さらにあんな女の子が殺されることになる。
ドク、そうとも、あんたのせいでこの地獄は永遠に続くことになるんだ……」
そう言い放ったが、
「申し訳ありませんが」タキオンは無事な方の手で枕をぎゅっと掴みながら顔を起して、
「私には協力しかねます」そう返された言葉に、
「だろうな……」と応え、
スペクターは立ち上がると、ドアを目指そうとしたところで、
TVの画面が目に入って足を止めることになった。
そこにはインタビューを受けている一人のジョーカーの姿が映し出されている。
たしかトニーの部屋で見かけた私服警備員の男でなかったか。
「それでハートマン上院議員の指名受諾演説はマスクを被って聞くことになったの
ですね……」
そう聞いているリポーターはそれでも可能な限りジョーカーからは離れていようとして
いるのが見て取れるが、
確かコリンといっただろうか、その男は咳払いしてから、
「そうです、上院議員からそういう要請がありましたから、それは現在のアメリカの
社会情勢を現すものであるとお考えのようですね……」
「あなたもそうなさるのですか?」そうリポーターが訊ねると、
「はい、私もそうした情勢はひしひしと感じとっていましたからね」
そう言ったコリンの言葉はリポーターに対する激しい怒りの感じられるものだった。
「悪習というものはたちがたいと申しますが、私もそうした面がないとはいえません
からね……」
それを聞いたタキオンが何かぶつぶつ言っていたようだったが、何を言っているか
までは聞き取れはしなかった。
それにスペクターは己の考えに沈み込んでいたのだ。
おそらく仮面を被るというのはトニーが売り込んだアイデアに違いあるまいが、仮面
を被った連中がたむろするステージというものはちょっとした見ものというものだろう。
そしてそういう状況ならば近づくのも容易いというものか。
そう一人ごち、ベッド脇に引き返して、おまるをタキオンに手渡してから、
「ハートマンが片付いたら、次はあんただからな……」
そして踵を返して、
「あんただけが無事でいられるとは思わんことだ」
そう言い添えて病室を後にしたのだ。
器を撃つ流れる水の音を耳にしながらも……