ワイルドカード「手繰られしものたち」その2

          手繰られしものたち
                 ヴィクター・ミラン

雨がじとじと降りしきる、そうしてメルセデス製リムジンの屋根を濡らしていく。
上院議員、会食では影響の強い方々と大勢お会いになるのでしょうね」
まだ若く見える黒人の青年がひょろりとした面を輝かせて、運転席の後ろから話しかけてきた。
「友愛と寛容を示す絶好の機会となるのでしょう、ジョーカーだけではなく、抑圧されたすべての人々にとって
重要な会合になるのですね」
「そうなるといいのだけれどね、ロニー」顎に手をかけ、視線をそのまだ年若いaide秘書からそらし雨で
曇った窓の外の、モノクロと化して、けだるげに流れていく住宅に視線を流しながらハートマンは答えた。
ベルリンの壁に近づくにつれ息が詰まるように感じられてならない。
Aide et Amitieエイド・エ・アミティエは寛容を啓蒙する活動で国際的に知られていますから」
ロニーはさらに続けた。
「そのベルリン支部長Herr Plahlerプラーラー氏は、トルコ人外国人労働者>問題の社会的
認知度を高める運動に対する尽力で高名な方であり、むしろ論客として名高い方で・・」
「ただの共産主義者だろうぜ」フロントシートに座るMollerモーラーが気勢を上げて割り込んできた。
モーラーはがたいのよいブロンドの青年で、拳が大きく、突き出た耳は
ハウンドの子犬を思わせるPlainclothesman私服刑事の若者だ。
アメリカの上院議員に対しても物怖じせず英語で話し掛けてくる。
もっともハートマン自身は祖母の母国語であり、大学でも専攻していたゆえ
ドイツ語にも精通しているのだが・・・
「プラーラー氏はrote hilfeローテ・ヒルフェ、すなわち赤色救援会(国際的人権団体)の構成員だ」
後部座席から異論が飛んできた。
ハーレム・ハマーと渾名されるモーデカイ・ジョーンズの隣に座ったブラムだ。
モーデカイ・ジョーンズはというと、<ニューヨークタイムズ>紙のクロスワード
に集中し、我関せず、といった風情を貫いている。
「法律家で、アンディ・バーダー(ドイツ赤軍バーダー・マインホフの創始者のひとり)
が駆け出しのころから急進派を擁護していた」

「テロリストが鉄拳を振るうのに手を貸してただけじゃないのか・・」
そのモーラーの暴言にブラムはただ笑って肩をすくめてみせた。
ブラムはモーラーよりも痩せた浅黒い男だ。
Berlin Schultzpolizeiベルリン・シュルツポリツァイ、ベルリン都市警察は比較的リベラルで知られているが、
ブラムはその中でもシャギーをいれた黒い巻き毛で、ひときわとんがった印象があり、その茶色で注意深い瞳は芸術家的
気風をもたたえていていながらも、ドイツ仕立ての大仰なグレイのコートから覗く、その肩から吊るしたホルスターに
収まった小さな銃を伺うに、その腕を披露したがっていることを隠す気もないようにすら思えてくる。
「急進派といえども意見を示す権利はあるさ、ここはベルリンだからな、俺達は自由を真面目に受け入れているさ、
隣(隣国を匂わせながら、実は黒人、つまりモーデカイを揶揄している)に模範をしめさなきゃならないからな、
Jaヤー(そうだろ)?、Mensh メンシュ(相棒)」
ブラムが声のトーンを落として、とんでもないことを口にしているかのような演出を加えたところで、
ロニーが居心地悪げに、時計に目をやりつつ口を挟んできた。
「もう少し早くいけませんか(ブラムとモーラーに付き合いきれない、という
ニュアンスをこめている)遅れるわけにいかないので・・・」
そこで運転手が肩越しの苦笑とともに答えた、トム・クルーズを小柄にしてフェレット
混ぜたような男だった、おそらく見た目よりは若いのだろう・・・
「道が狭くてね、事故に会わないとも限らない、そうなりゃもっと遅れることになる(耐えるしかない)から・・・」
そうしてハートマンの秘書は口をつぐみ、ブリーフケースを開けて、そこから出した書類を眺め始めたところで、
ハートマン自身は、視線をハマーの巨体に移したが、変わらず他の人間をうすぼんやりとしか認識していないかの
ように無視し続けている。
驚くことにパペットマンは動こうとしない、この恐るべきエースですら内にもぐろうとしないのだ・・・
ジョーンズは傍から見ると、まったくエースには見えず普通の人間に見え、禿頭で顎鬚を生やしたがっしりしたさまは、
むしろ30年代後半の類型的な黒人のようにすら思える。
コートを身につけタイを結んでいることに居心地の悪さを感じている以外は、何一つ普通でないところは見受けられないぐらいだ。
もちろんメルセデスの中央に収まりきらない470ポンドの巨体の持ち主であり、実際はゴールデンボーイすら凌ぐと噂されている
最強のエースなのだが、力を比べるといったことには一切係わることを拒んですらいる。
エースであることも、セレブであることも嫌悪し、このツアー自体も時間の無駄と考えているのであろう。
おそらくこうして同行していること自体、彼の隣人と称する連中が彼の類の人間をしめだす口実として、スポットライトのあたるところに
蹴りだし、それに抗えなかったにすぎないのだろう・・・
それにジョーンズが恨もうと、彼が実際にどんな能力を秘めていようと実は重要ではない、この「Aide et Amitie Luncheonエイド・エ・アミティエ友愛と援助の午餐に連れ出したのはスケープゴートの意味合いが大きい、友愛といった偽善的仮面を纏いながらも、実際ドイツ人のほとんどは黒人を嫌っていて、彼らが身近にいることは好まない。
たとえそうでないように振舞おうとも、そういった嫌悪の感情はパペットマンから覆い隠せるものではない、ハマーの居心地の悪さと、招待した連中の不興の両方を楽しむことができる、ならばハマーをパペットにするのも悪くはあるまい、いやまて、確かにハマーは単なる力自慢のエースとして知られてはいるが、どのような力を実際に秘めているかは知られていない、パペットマンの存在を知られる可能性がある以上、やはりそのリスクを冒すべきではないのだ・・・
それよりわずかな一突きで刺激が生じ、バランスが崩れるものだ、そこでまずはカーニフェックスことビリー・レイの
怒りで荒れ狂う感情を味わう方がいいだろう・・・
ベルリンの壁から戻った、ハートマン婦人と二人の上院議員の秘書をホテルに帰させ、その護衛をさせたのだ。
もちろん黙って従いはしたが、護衛の人間は他にもいるだろう、といわんばかりの感情を立ち上らせている・・
こちらはハマーがいるから、何も問題はない、と踏んでいた・・・
そんな矢先だった、運転手が「Sheisseシャイセ(くそ)」と悪態をついた、角を曲がろうとしたところで、白とグレイの
Telephonvan電気工事車両が開いたマンホールの傍に停められ、道を塞いでいて、慌ててブレーキを踏むことに
なった。
「まぬけどもが・・なんてことをしてやがる」モーラーが悪態をついて、ドアを開け放った。
ハートマンの傍にはブラムが付き添って、バックミラーで様子を伺っている。
「Uh-oh(やれやれ)」そう柔らかくぼやきつつも、右手はしっかりとコートの中に差し入れて用心を怠らない。
ハートマン自身もおそるおそる様子をうかがってみると、通路を塞いでいる2台のバンの内、一台とは30フィートも離れておらず、
そのドアが開け放たれ、雨の中、ザッザッと音を立て、水溜りを蹴り散らしながらわらわらと人影が降りてくる、その手には銃器を
抱え、何やら叫び交わしている・・・
まるで車の周りにぼんやりと人影がわいたように不気味に感じられ、リムジンの中に鉄を裂いたような金切り声が広がっていき、
ハートマン自身も喉に固形の空気が詰まったように思え、車中ながら水中から水面を目指すかのような強烈な感情が己を支配する
のをただ感じていた。
そこでモーラーが弾かれたように、肩のホルスターからMP5Kを抜き放ち、窓に押し当て引き金を引き、ガラスを外に飛び散らせたが、その手は弾かれることになった。
Jesus Christ(このくそったれが)」銃弾が撃ち込まれたのだ。
ドアを開け放つと、顔全体をスキーマスクで覆ったテロリストが、工事車両の前からアサルトライフルを使っているのが見て取れる。
騒音は次第に高まり、薄い窓を叩いて震わせたが、音自体は奇妙にも遠くに感じられた。
閃光がガラスごしに瞬き、どさっという音と悲鳴が屋根の向こうから響いてきた、モーラーメルセデスのバンパーのところに崩折れ、
踊るようにわずかにのたうちながら舗道に落ちて悲鳴を上げているのだ。
はだけられたコートの内側から覗いた胸元には、のたくる蜘蛛のような紅いものが滲んでいるではないか・・・
そこでアサルトライフルの弾が切れたと見えて、突然の静寂が辺りを支配して、
パペットマンの指が、モーラーの精神のドアのつまみを掴み、その内を支配する凄まじい速さの感情という
ものに触れ、その熱く狂おしい快楽に息を呑みながらも、冷たい己自身の恐怖をも感じていた・・・
Hande Hochハンテ・ホーホ」そのパペットマンの愉悦に割り込むような叫びがバンを囲んだ連中から届いた。
「手を上げろ」という意味だ。
そこでモーデカイの手が肩に乗せられ、そっとハートマンを押し倒し、上に覆いかぶさったが、
つぶさないようドアにも手をかけ体重を逃がしてくれている・・・
そうして鉄のドアは軋み、蝶番は捻れ、車体から離れて扱いやすくなりはしたが、ドアを手に盾に
していたブラムも外に放り出されることになった。
ブラムはドアの名残に手を掛けながら、MP5Kを構えて狙いを定めるのを見てハートマンは叫んでいた。
「撃つな」と・・・
そこで覆いかぶさっていたハマーが電気作業車に向かい突進し、モーラーを打ち抜いた男に狙いを定められたが、
それは咄嗟のパニックから生じたもので、引き金を引いた指はパントマイムのように虚しいものとなった、弾薬は
つきていたのだから・・・
ジョーンズはその男をやりすごし、次にはビルの前の舗道に弾むように辿り着き、テロリストたちの前にゆらり
立ちふさがることになったが、次の瞬間場は凍りつくことになった。
突然屈んで、電気作業車の車体の下に手をいれ、力をこめ、恐怖に悲鳴をあげる乗り込んだままのドライバーの
声を伴奏に、徐々に持ち上げ、まるで重たいバーベルでも持ち上げるかのように頭上にまで高々と持ち上げて
見せたのだ。
そこでもう一台のバンから銃火が巻き起こり、その銃弾がジョーンズが羽織ったコートの背中を切り裂いた。
巨体が揺らぎ、落としかけ、何とか頭上で持ち直し踏みとどまったが、そこで銃火が再び巻き起こり、
苦悶とともに後ろに崩れ落ちて、バンがモーデカイの上に突き立つことになった。
リムジンの運転手がドアを開け、小型で黒いP7を構えた。
ハマーが倒れたところで、バンの後ろからブラムが、素早く打ち返したところで、
一人の男が薄い鋼鉄に開いた9㎜の風穴を避けるようにひょいっと姿を現した。
ハートマンの目に映ったその男は・・ジョーカーであり、
どうしてこんなところにいるんだ
と思わずそう呟いていた。
そこで窓枠の高さに屈んでブラムの傍で様子を伺っていると、何かをくらったような衝撃がリムジンに走り、
運転手がうめいてそこから逃げ出した。
そこでハートマンは何者かが英語で叫び銃撃を止めたのを耳にし、彼自身も叫んでブラムに打ち返すのをやめさせた。
ブラムはハートマンに向き直り、「Yes Sir(了解しました)」と答えたところで、開け放たれたドアを通して衝撃が走り、
窓ガラスが砂糖を散らすよう砕け散り、ブラムの身体をハートマンから離すように放り投げた。
運転席に叩きつけられたかたちになったロニーが呻きつつ、「Oh(嗚呼)」
「Oh Dear God(こうなったらもう)」
、そう言葉を漏らし、ハマーが引きちぎったかたちになるドアから飛び出し、
ブリーフケースから書類を撒き散らしつつ駆け出すと、
モーデカイ・ジョーンズに圧倒されていたテロリストが膝をついて、AKMのマガジンを入れ替えて肩に担ぎ上げ、
空になるまでその弾薬をロニーに向けて撃ち放ったようだった。
ロニーが血と叫びを霧のように噴き出して、滑るように崩れ落ちた。
そこでハートマンは床に突っ伏しながらも、恐怖と官能の織り成すFugueフーガに打ち震えている・・・
ハートマンの腕の中で、ブラムの生命の灯火が消えかかっているのを感じる・・・
その胸に空いた穴から、ラミア(吸血蛇娘)の口付けを受けたようにライフフォース
ようなものが、不気味な鳴動とともにハートマンに押し寄せてくる・・・
「やられた・・ああ、ママ、ママ・・」そういいかけたところで、堰をきったように最後の一欠けらが流れ込む
ような感覚とともに、ブラムはもはや冷たくなっていた。
ロニーは片腕に被弾し、眼鏡をずり落としながらも、歩道に血の跡を残しつつよたよたと歩いているのが見える。
そしてきゃしゃなテロリストが、マガジンを再度入れ替え、ロニーの前に立ちふさがるのも・・・
そこでロニーがハートマンに目配せをしてみせた。
近眼のロニーは眼鏡をちゃんとかけなければ暗闇と同じだろうに、とそんな間抜けな思いに
とらわれていると・・・
「Please(やめて)」ロニーが血を口から滴らせながらその言葉を
搾り出したが、テロリストの一人がその言葉を遮り言葉を重ねてきた。
Negerkussネーゲルクス(黒人のキスの意:チョコレートコーティング
されたメレンゲ菓子、黒人であるロニーを暗に示している)もおつなもの」
その言葉とともに放たれた一発がロニーの額を貫いた。
「Dear God(何てことだ)」影が覆いかぶさり、
それが死体であることは重みで認識できた。
そこで顔を上げると、そこには灰色の雲に覆われた空の果ての
暗黒を思わせる、人間性の乏しい瞳を供えた黒い影・・・
それを認識したと同時に腕を掴まれ、雷に撃たれたような
衝撃がグレッグの身体に炸裂し通り過ぎた・・・

 ・・・ロニーの額にしたたるのは赤い雨・・・
雨がじとじとふりしきる、グレッグはそうして意識を失いながらも
感じていた・・・それは当分やみそうもない、と・・・