ワイルドカード4巻 スリランカ インドの涙適(仮)その1

まだ早朝であるにも関わらず、コロンボのドック付近にはかの【猿】の到着を
一目見ようとして集まった人々でごったがえしていた。
そこに安全確保の観点から、警察によって木製のバリケードが築かれていて、
それを乗り越えた者も何人かいたが、速やかに逮捕され、黄色の原色が目に痛い
警察のバンの中に押し込まれたりしていた。
とはいえ大概の人々は、警察車両の配置された向こうに立ち尽くし、地方新聞
報じるところの<グレートアメリカンモンスター>の姿を首を伸ばすようにして
窺うことしかできない状況で、二基の武骨なクレーンがゆっくりと輸送船から
巨大な【猿】をゆらゆらと吊り上げた。
【猿】は何やら暗い網のようなものに包まれていて、僅かにそこから突き出した
毛が見える他、15フィートにも及ぶ巨大な胸板が上下していることで、生きて
いることがわかるばかり。
そうこうしているうちにクレーンの金属音のみが響いて、【猿】は横に移動され、
鮮やかな緑色をした鉄道車両の、大きく平らな鋼のベッドの上に下ろされると、
人々の間から盛大な拍手や歓声が沸き起こっていた。

数か月前に,一度見たヴィジョンと同じだ……
群衆、静寂の海、晴天、頸筋を伝う汗の感触までも同じだ。
ヴィジョンに齟齬はない。
これから15分の間に起こることは全て正確にわかっているということだ。
その15分が過ぎた後、ともかく気を取り直して、ネールシャツの襟を正しつつ、
傍に立つ警官にIDカードを示すと、警官は頷き返して、道を空けて通してくれた。
内務長官の元特別補佐官だけあって、責任感が強く、気配りも行き届いている男だ。
それは20数年の間、外国の大使館で、海外の要人を迎えるには好ましい特質で
あっただろう。

列車には12~3人程の人間が乗り込んでいて、ほとんどが警備の人間であることを
示す紺のスーツに身を包んでおり、彼らは【猿】が列車に下ろされ、鎖に繋がれている
作業に問題がおこらないか注視し続けているが、今のところさほど心配はないように
思える。

アロハシャツに縞模様のバミューダパンツといったいでたちの背の高い男が、彼らから
少し離れたところで、明るい青色をしたコットン生地のサンドレスを着た女と話していて、彼らはどちらも赤と黒の<キングポンゴ>ヴァイザーをつけているようだ。
 
彼は背の高い男の傍に行き、肩を叩いて、「ちょっといいですか」と
声をかけたが、気にもとめなかったとみえて、振り返りもしなかった。
「ダンフォースさん」
再度そう呼びかけ、今度はさっきより強く肩を叩いてみせ、
スリランカへようこそ、俺はG C ジャヤワルダナ。
先月映画の件で電話をくれたのはあんただろ?」
ジャヤワルダナが英語でそう話しかけた。
ジャヤワルダナは英語に、シンハラ語、タミル族の言葉、オランダ語を話すことが
できる。
それは政府の仕事に必要であり身につけたものだった。

映画プロデューサーである男はようやく振り返ると、ぽかんとした表情を浮かべつつ、
「ジャヤワルダナだって?ああ、そうか。政府の人間だったっけ。
会えて嬉しいよ」ダンフォースはジャヤワルダナの手を取ると、数回大袈裟に
振るポーズを見せてから、
「今は取り込み中なんだよ、見てわからんかね」と応えた。
「もちろん、さほど心配があるわけではありませんが、【猿】の移動に同行
させていただきます」

勿論ジャヤワルダナとてかの【猿】の大きさが気にならないと言ったらうそになる、
なにしろ50フィートはあるかのアウカナ大仏(スリランカ中部の石仏)より大きいのだから。
「何かあってなどたまるものか。こいつを引っ張り出すのにどれだけ苦労したことか」
ダンフォースはそう応えると、親指でモンスターを指さすようにして、
「こいつはGreat pub(グレートパブ:客寄せパンダ:いい宣伝)になる」
そう言ってのけた。ジャヤワルダナはその大袈裟な言い回しに対し、さぞ感銘したかの表情を浮かべ、大仰に手で口を塞いでみせると、
「宣伝になるということさ」ダンフォースはそう返して笑顔を浮かべ、
「どうも古い言い回しを使う癖があってね。ともあれあんたには特等席を用意するとしよう、かの毛深い友人のすぐ前の席だ」
「これはどうも」と応えたところで、
かの巨大な【猿】が口から吐き出した息は、土埃の中の小さな雲のように見えて、
「Great pub(たいした余興:宣伝:張子の虎)だな」ジャヤワルダナは口にだしてそう言っていたのだ。