その17

    ウォルター・ジョン・ウィリアムズ
          午後7時


ジャックは選挙本部から階下に通ずる階段に腰かけて
ピザを頬張って、
タキオンがハートマンと話し終えるのを待っていた。
情勢は概ね悪くないといえる。
勝つのに必要な2062票にあと100票くらいまで
迫っているのだから、秘密のエースが党綱領変更に
持ち込むべく策を弄していたとしても、今のところは
効果を発していないといっていいだろう。
そこに飛行エースグライダーがふわっと滑り込んできて、
エーミィ・ソーレンスンは壁際でルイス・マンクスマンと
と笑い興じているようだ。
チャールズ・デヴォーンでさえ、いつもの苦虫を噛み
潰したような表情が幾分和らいでいるように思える。
それでもジャックの気は晴れなかった。
タキオンにバーネットのことを相談して迎え撃たねば
なるまい。
そう考えながらピザを食べ終えて部屋に戻り、
ジャーナリストと話しているエーミィのところに行って、
「ちょっといいかな?」と声をかけてから言葉を継いだ。
「まだタキオンとの話は終わらないのかな?」
エーミィはその言葉に穏やかな笑みを浮かべて、
タキオンは、まだあそこにいるのじゃないかしら、
ちょっとわからないけれど……」と応えてくれた。
「ありがとう」と幾分簡単に返したことで
驚かれたようだったが、
その白いスーツについたトマトソースとチーズの染みを
落そうとナプキンで擦っているビリィ・レイの前を
通り過ぎてドアを出て、
エレベーターに乗ってハートマンの部屋に向かい、
見慣れない痘痕面の男がハートマンの部屋のドアノブに
手をかけているのを見て、
悪い予感と共に「おい」と声をかけ、
「誰だあんた?」と訪ねると、
男は驚いて顔をあげて逃げ出したではないか。
ジャックは一瞬呆気にとられたがともあれ追うべきだと
思い定め、
カーペットを蹴るようにして駆け出した。
今度ばかりは
逃すわけにもいくまい。
そう思い定めていると、
廊下に通ずる唯一の階段に向かおうとした男の前に、
アレックス・ジェームズが立ちふさがって、
アレックスとジャックに挟まれて逃げきれないようになったと
思ったが、
その男は吹き抜けに通じる金属のドアに突進したとみえて、
激しくぶつかる音が静寂を切り裂いて、
それからドアが閉じられ、
その向こうから風を切る唸りと、組み合う音が耳に届いてから、
叫び声が聞こえてきた。
骨の髄まで冷たくなるような、恐怖と絶望の入り混じったそんな
声だった。
そうして叫びが聞こえなくなったところで、
ジャックはセカンドベースに飛び込むランナーのような勢いのまま
ドアに両手をついて押し開けると、
ドアはヒンジから引き千切り飛ばすことになった。
そうして黄金の光をまき散らしながら出ると、
アレックス・ジェームズが下に倒れていて、
手に拳銃を握ったまま、その顔は断末魔の表情のまま固まっている。
そこでジャックは恐怖とともにこいつはワイルドカード持ちの仕業
だと悟りながら、
まずいことになった、と内心ぼやきながら、
それでもあの背の盛り上がった男のときのように逃がしはすまい。
と己に言い聞かせたところで、
おそらく段飛ばしであろう駆け下りていく音が響いてきた。
あのひどい面をした男は、4歩か5歩で下に降りてしまうこと
だろう。
そこでジャックは手すりを掴み、一気に下めがけて飛び降りると、
丁度落ちたところに男がいて、覆いかぶさるかたちになった。
そうして顔を上げると、痛みと驚きを浮かべた表情でコンクリート
床を叩いて逃れようとする男の顔があった。
勝利を確信して男から飛びのくと、
男は必死で逃れようとしたが、ジャックの渾身の一撃が顎を捕え、
男は二回壁にぶつかってから階段の三段目に落ちて止まった。
男の傍に立ち、
上体に手を沿えて逸る心臓の鼓動を感じながら気を静め、
拳を改めてみると、血が滴っていて、踏み出した足元が何かを踏んだ
感触に目をやると、男の歯を踏んでいて、
さらにひどい面になった男の顔から血がしぶいているが、
ちぎれかかった顎はかろうじて顔につながったというありさまで、
己のしでかした結果に顔をしかめずにはいられなかった。
こんなことはスタックド・デッキでパリに行って以来か、
男の傍に膝をつき、血にまみれた顔を確かめようとしてまさに
顔を見た時だった、男の目が開き、
ジャックと視線を合わせた、その瞬間死そのものを思わせる視線が
ジャックと、そしてその心臓を捉えてしまっていたのだ。