ワイルドカード4巻 スリランカ インドの涙適(仮)その2

車輪のキーキー軋むリズミカルな音は耳に心地よく、
気持ちを落着かせていた。
ジャヤワルダナはまだ幼かった頃に最初に列車に乗って以来、
ここ40年の間、何度となく列車に揺られてきたものだった。
そこでようやく青いドレスを着た娘が名乗って、ポーラ・
カーティスという名であることを知ることができた。
ポーラは窓から見える茶畑の方を眺めていて、ダンフォースは
赤いサインペンで地図をこつこつやっていて、
「よし」と一声発すると、ペンの尻を唇にあてたまま、
「このまま乗ってて目的地まで行けそうだ。
カル川の源流をぐるっと回っていくコースだな」
そう言って広げた地図上の一点をペンで示し、
「ウダワラウェ国立公園まで行くんだ。ロジャーが先に行って、
撮影スポットを探してくれているから、まぁ心配いるまい」
そう言葉を継いだダンフォースに、
「それはそれでいいとして」とポーラは応え、
「ロジャーは信用できるの?」と問い返してきた。
「監督だからな。信用するしかあるまいて。
もちろん財布の紐を固くするに越したことはないだろうがね」
ダンフォースがそう応えたところで、
客室係がライスカレーと蒸した米粉でつくったイディアッパムの
載ったトレイを持って近づいてきた。
ジャヤワルダナは笑みを浮かべ、トレイを受け取ると、
「Es-Thu-Ti(イストゥーティ:ありがとうの意)」と
シンハラ語で謝意を示していた。
丸い顔に平たい鼻の若い客室係はジャヤワルダナよりも
シンハラ人の特徴を備えているように思えたからだった。
ポーラは外を見飽きたといった気怠い様子でプレートに手を
伸ばしはしなかったから、ダンフォースが手を振って合図し、
ボーイを下がらせた。
「どうもよくわからないんですがね」
ジャヤワルダナは口いっぱいにご飯を頬張って、少し噛んでから
すぐに飲み込んだ。
カレーはもう少しシナモンが聞いていた方が好みだ、などと
もごもご思いつつ、
「なんで特殊効果を使わずに、50フィートの猿なんて代物に
大枚はたいたりなさったんですか?」とおずおず言葉を添えると、
「さっきも言ったとおりだよ、このモンスターはいい宣伝になると
ふんだんだ。
もちろんこいつに演技をさせるのは骨だろうし、危険であることも
当然織り込み済みというわけだ。あれだけ大きければミニチュアを
使わなくても撮影できるというのもあるな」
ダンフォースはポーラがそのままにしたプレートに手を伸ばし、
ご飯を口に放り込みながら、肩を竦めてみせて、
「映画が封切られたら、批評家の連中も、本物の猿を使ったとは
思わんだろうし、その事実が知れたら、その試み自体が、話題に
なってチケット売り上げの弾みになるに違いないんだ」
「なるほど、地球の裏側からはるばる連れてきた獣とあっては
かけた金額以上の宣伝効果があるというわけですね」
ジャヤワルダナはナプキンで口の端を拭いながらそう応えると、
ダンフォースは上目遣いで、笑みを浮かべつつ、
「当然あの猿が何事もなく届くというのが前提だがね。
もし逃げ出しでもしようものなら、目も当てられん。
賠償問題になれば大損害になるからね、もちろん何も
起きんにこしたことはないさ。
厄介払いという面もあるだろうが、動物園の連中がメインの
見世物の一つであるあいつを手放したのが無駄になっちまうのも
どうかな?」
「あの猿が逃亡したとして、その法的責任はあなたの映画会社に
あるものでしょうか?」
ジャヤワルダナがそう言葉を継ぐと、
「ずっと麻酔が投与されてるから、気にするにも及ばんさ」
と返されたところで、
「気になるのは金髪の女だけでしょうね」と
ポーラが栗色の髪を指さしてそう言って、
「私にとっては幸いと言えるでしょうけれど」と言葉を継いで、
窓から視線を外し
「ところであの山はなんて名なの?」と訊いてきた。
「Sri Padaスリパーダ、アダムズピーク山ともいうね。
あの山の山頂には仏陀その人の足跡があると云われていて、
一種の聖地とみなされていますね」
ジャヤワルダナは毎年この山に巡礼していて、今年も
スケジュールに余裕ができたら、近い内に登って、
その浄化を期し、ヴィジョンなどみないように祈る
つもりだった。
「そんな大層なつもりはないの」ポーラはダンフォースに
肘鉄をくわせながら、
「観光に行くのもいいと思っただけなの」と言葉を添えていて、
ダンフォースも「それもいいな」などと言いながら、
ご飯をぱくついている。
ジャヤワウダナそらろそろいいころ合いだろうと腰を上げ、
「では失礼」と言い添えて、列車の後部に向かい、ドアを
開けて、貨物車の中に入った。
巨大な猿の頭はジャヤワルダナのわずか12フィートばかり
上にあるが、その瞳には生気が感じられ、アダムズピークを
みつめているように思っていると、かの猿は口を開き、
唇を捲り上げ、巨大で黄ばんだ歯を剥くと、エン往査圏でジンの立てる
音より、大きい咆哮を放っていた。
「目を覚ましたぞ」そう叫んで守衛を呼んで、
注意深く、猿の手が届かない距離を保っていると、
駆け付けた守衛の一人が、ライフルを猿の頭に向け、
他の一人は猿の腕につながっている4本のプラスチックの麻酔の容器を
交換していて、そこで守衛の一人が手を振りつつ、
「助かったよ」と声をかけてきた。
「もう心配ない、後数時間はもつだろう」と言葉を継いだところで、
猿は頭を首を巡らすと、ため息のような呼気を吐いて、その瞳を
閉じていた。
もちろんその怪物の茶色い瞳が何を映していたのか、何か思うところが
あったのだろうか、などと一瞬思いはしたが、客席に戻ることにした。
喉の奥に残った、カレーの味を妙にすっぱく感じながら……