ワイルドカード4巻「手繰られしものたち」その4

          手繰られしものたち
                 ヴィクター・ミラン

NECのラップトップを片手で支えたまま、注意深くあたりをうかがいつつ、
Bristol Hotel Kempinskiブリストルホテル・ケンピンスキイのロビー
を忙しくセイラは駆けていく。
おそらく情報の信憑性を確かめるべくoutside observer他の人間からも
裏をとっているのだろう・・・
誤認の苦さというものは過去に味わいつくしているのだ・・
そうしてベルリンで最高級を誇るホテルのバーに滑り込んだ。
少なくとも印刷されたうえでのものながら、旅の流儀は熟知している
そう己に言い聞かせる。
ならばこの感覚はなんなのだろうか・・
印刷の範疇を超えた旅の輪郭を正確に捕らえるべく選ばれた人間だというのに

その思いは耳の奥に篭る熱のように感じられた。
バーの奥は薄暗く、当然ながら同じSong音で満たされていて、
セイラの聞き耳には、磨かれた硬質なブラス材にしなやかなレザー、といった
様々に立てられる音のリフレインが分かちがたく、半ば白く見える髪の、きつく
結い上げたポニーテールの生え際までサングラスを跳ね上げ、視界を慣らす、
それは光というよりも、むしろ闇に目を合わせたといえよう・・・
バーは混み合っており、袖をまくしあげ、のりのきいた襟を高く立てた
二人のウェイターが、テーブルの間をレーダーのように忙しく立ち動いて
いる。
三人の日本人ビジネスマンが新聞を指差し話し込んでいる、株価に為替の
レートについて話しているようだ・・
一方店の端では、ハイラムが立ち止まって誰かと話している、フランス語の
ようで、ハイラムより背が低く、幾分丸みを帯びた男で、どうやらケンピン
スキーのCordon Bluコルドン・ブル(シェフ)のようで、手を振り回しながら
早口でまくしたてるさまは、ピーチクいいながら太った小鳥が飛べずにのたうって
いるかのよう・・・

クリサリスはというと、バーの中で隔離されたかのように一人で喉を潤している。
ドイツにおいてはジョーカーのための流儀などというものはありえない、もてはや
されること、というより人目につくこと自体を慎重に避けているのだろう。
そのセイラの視線に気づいてウィンクをした、乏しい灯りの中でも、マスカラで
縁取られたその眼だけは際立っているように思える、そうしてプロの仕草として
身についた笑みを向けてきた。
ジョーカータウンでその笑みを浮かべ、さながらゲームのように情報のやりとりをする。
それはセイラたちにとって商売敵とも呼べる存在ながら、旅の間には、不思議なことに
友人と呼べる存在になっていた。
その姿は職業上の関心とは別に、Debra-joデブラ・ジョー(プレイボーイモデル)の
ごとき魅力を伴って映ってくる。
ジョーカータウンではヨーロッパの生まれであるように装っているが、
ドレスを身に着けているとはいえ、今は違った顔を見せているように思える。
実をいうと、時々クリサリスが妬ましく思えることがある。
エキゾチックな魅力とグロテスクな容貌を兼ね備えたジョーカーの姿を
人々の目はとらえるかもしれないが、真の姿はその透明な皮膚同様、
誰の目にも囚われることはないのだろうから・・・
「俺を探してたんじゃないのかい、Liitle Lady(お嬢さん)」
その声に驚いて振り向くと、セイラから5フィートほど離れたバーの奥、そこには
ジャック・ブローンがいた。
まったく気が付きはしなかった、どうもこの男には居心地の悪さを覚え、意識から
締め出していたとみえる・・・
「今出るところです」そう答え、まるで刺すように激しく、必要以上に強くキーを
叩いてから続けた。
「中央郵便局に行かなければ、最新のネタを保存するためにデータをごちゃまぜに
しない大西洋間接続ができるのはあそこだけですから…」
「グレッグ上院議員と同衾してないのは驚いたよ」
潤んで顰められた眉の下の、胡乱な目とともに返された言葉は意外なものであり、
頬が赤くなるのが感じられた。
「ハートマン上院議員の会食というのは、セレブ好きの雑誌編集者にとっては
おいしいネタかもしれないけれど、あまり重要なニュースになりはしないのですよ、Mrブローン」
もちろんここで過ごす平和な午後自体、WHOツアーに関心を持っている人々にとっても重要な
ニュースになるはずもない。
ニュースといえば、西ドイツ当局は、訪問者に対し、この国にはワイルドカード問題は存在しない、
とそっけなく告げながらも、ツアーの人々をその証人として利用しようとしているのだろう・・・
それは結合双生児の片割れたる、東ドイツと繰り広げるゲームの一環なのやも・・・
そう考えると繰り広げられるセレモニー自体が湿っぽく、くだらないものに思えてならない・・・
もちろん、まさに彼らのいうとおりなのだろう。
ドイツのワイルドカードの被害者の数は、相対的にごく小数といえるのだから。
実際、きわめて哀れな、あるいは見苦しい数千人のカップルというものは、国家住宅か診療所に慎重に
隔離された、60年代と70年代のアメリカのジョーカーに対する治療を嘲笑していただけに、彼らは
自分たちの恥部として扱ったということだろう・・・

「そこで何を話しているかによると思うがね、ネタを保存したあとはどうするんだい、Little 
Lady(お嬢ちゃん)」
そういって笑みを浮かべたその顔は、B級映画の主演の顔そのままであり、そこに彼のエースの
名の由来となった光が筋肉の伸縮により発生して重なっていき、彼の顔の輪郭をぼやかしていくの
を見ていると、目にいらだちが滲むのをおさえきれなくなってきた。
本当に関心があるかどうかは別として、そういう芸当じみたことまでされるのは我慢ならなかった
のだ。
「片付けねばならない仕事があります、それに一人で息をつく時間も必要となるでしょうね、
誰もがとはいいませんが、だいぶ忙しい時間を過ごしてきましたから・・・」
たしかにグレッグは慎重を期し、会食にブローンを同行させなかった、それには何らかのほのめかし
があったのではないだろうか、それなのにわたしは気が緩んだような感覚を味わってすらいたのだ

その突然湧き上がった感情に不快さと驚きを感じながら、踵をかえそうとしたところで、ブローンの手が
迫ってきたのを、激しい怒りとともに振り払いながらも、軽いパニックに襲われていた。
そしてその状況を客観的に分析している自分をも内に感じていたのだった。
バスをも持ち上げることができる男に対して何ができるだろうか・・・と
その一方でこの状況の不自然さにも想いが及んできた・・・
たしかにかつては憎んでいたグレッグが、今は唯一気の許せる男となっているというのも不思議ながら、
その感情自体が皮肉に感じられてならない・・・
ジャックは不快を顕わにしながらも、ホテルのロビーに行くのを邪魔しはしなかった・・・
ロビーには、コートとスーツに身を包んだ意思の強さを感じさせる男たちでごったがえしており、
その一人の何か紙片を手にした男がバーに向かい、ブローンに声をかけているのを視界に捉えた。
「ヘル・ブローン(ブローンさんですね)?」
「ああそうだが、何かようかね」
「ベルリンLandespolizei州警察からきました、
防犯の問題が発生しました、このホテルから離れないでいただきたいのです」
顎に手をかけブローンが問い返している「そりゃまた何があったんだい?」
そうしてその言葉が耳に飛び込んでしまったのだ・・・
「ハートマン上院議員が誘拐されたのです」と・・・


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エレン・ハートマンは卵を扱うように慎重にドアを閉め、部屋に向き直る。
そうしてスイートに入り、カーペットが花のつるのように踝に絡みつくのを感じながら、
ベッドに腰掛けた。
目に乾いたものを感じている、視線が突き刺さるかのように感じられ、奥に乾いたものを
感じるのだ。
そこでようやくかすかに微笑んだ。
ふだんはカメラに対し、感情を抑制する術を身につけている、もちろんグレッグに対しても・・・
          グレッグのことは理解している、それで十分じゃないの
そう己に言い聞かせながらも、テーブルに載っていたハンカチを取り上げ引きちぎり始めた・・・
               ・・・散り散りに、かつ細心に・・・