ワイルドカード7巻 その18

         ジョージ・R・R・マーティン

             午前11時
 
  
ディガーの部屋は、ウエストヴィレッジ、Horatioホレイショに
あるエレベーターの無いアパートの5階にあり、
通りに面した場所には公園があって、
シャツを肌に貼り付けた十代の若者がバスケットに興じて
いる。
ジェイが立ち止まってその光景を眺めていたのはほんのしばらくの
ことだった。
その内女性は二人きりで、些か侘しいものだった・・・
そしてビルの戸口にある階段には鬚の剃り跡の目立つ強面の男が
腰掛けていて、
Rheingoldラインゴールドの缶を持って飲んでいた。
ジェイが上ろうとすると、
立ち上がってドアの前に立ちふさがって、
「ここに何の用だ?」
そう言い放った男はジェイより3インチ程度背が高いが体重は
50ポンドは余分にありそうで、
盛り上った右上腕筋に鷹のタトゥー、片方の耳に金の輪っかを
ぶらさげているときたものだ。
「ディガー・ダウンズを探している」とジェイが言い放つと、
「帰ってないぜ」
「そいつは自分で調べるさ」
「五体満足じゃすまなくなるぞ」
ジェイはそうして押し問答しながら嫌になる感覚を堪えて訪ねた。
「何か問題でもあるのか?」と、
その男は持った缶を握りつぶして答えた。
「貴様自身がそうだといっているんだ」
ジェイは使われていない地下鉄にこいつを飛ばすという誘惑に
駆られつつももっと単純な手を使ってみることにした。
「何が起こったか知りたいだけなんだ]
そう言って、ポケットから札を数枚出して見せた。
「それならミスター・ジャクソンに聞くといい」
「ミスター・ジャクソンがどいつだか知らないんだがね・・」
男が応えた。
「ならTen-spot(10のふだ:10ドル札の意)でどうだ、
そうすりゃたちどころだぜ」
10ドルですむなら願ったり叶ったりといったところか。
ジェイは10ドル札を広げて、薄くて硬い男の手に捻じ込んでいた。
「来な、あまり手間はかけられんからな」
入り口の通路は小さく暗い。
中に入ると、
呼び鈴の下に郵便受けがあって、
そこから男が手探りで鍵をとりだした。
そしてダウンズの部屋の呼び鈴を鳴らしたが返事はなかった。
「ディガーに用があったとしてもだな」
そうぶつぶつ言いながら、中の保安扉を開けて続けた。
「さっきも言ったがな、やっぱりいないぜ」
ドアを通り抜けると手すりが視界に飛び込んできて、
「血の跡が見たいならそこに4つだか5つ着いてるぜ。
俺は通るたび見ないようにしてるがね」
「何が起こったか話すまでに、一体何回質問したらいいの
だろうな?」
「おいおい、誰だって知ってるこったぜ、ここに警官が乗り込んで
きたなんて話はな、あんたポストは読んでないのか?
二人殺されたって話さね」
Oh shit(なんてこった)!」
ジェイは胃の底に冷たい塊があるように感じながらそう呟いていて、
「ダウンズなんだな?」そうようやく言葉を被せると、
Nah違うね、Mrs Rosensteinミセス・ローゼンシュタインだった、
ダウンズの向かいの住人さね、それに管理人のJonesyジョンジーだ」
「とどのつまり」逸る気持ちを抑えながら、
「殺されていたと?」そう言って促すと、
「どうだかな」と返された言葉にいかにも驚いたというように、
「違うのか?」そう訊ねると、
Nahありゃ違うだろ、なんせばらばらに切り刻まれていたんだ、二人ともだぜ、
チェーンソウをもったNutcaseまともじゃない奴が滅茶苦茶に
破壊したって感じだった、俺もそいつを見つけた一人だったんだぜ、
Godくわばらくわばら、あんたも自分で見たら吐き気が抑えられんだろうな、
昨日の朝早くに、家に帰ってきたら、玄関前に転がっていてまともに見ちまったんだ、
Fuckまったくたまったもんじゃない。しかももう少しで踏んじまうとこだった、なんせ血溜まりに覆い隠されていたからな、
肉屋のゴミ箱もかくやという有様だった。
無造作に散らばっているって感じだ、わかるだろ?
脚で踏みかけてようやくそいつが何か気づいたのさ」
前屈みになって話す男の口から酒の饐えた匂いを感じていると、
「ジョンジーの貌だった、しかも全部じゃない、半分だけが、
おそらく手摺りの辺りから落ちてきたんだろうな、残りは4階の踊り場のところに
転がっていたからな、どうしてそんなことになったかしったこっちゃないが、
腹は切り裂かれて、中身がよれよれになったクーパーの玄関マットに飛び散ってたんだぜ、
手はそいつを押し戻そうとするようなかたちで固まっていて、
ありゃ何て言ったかな、そうだ腸だ、そいつが5階まで散らばっていたんだ。
こっちはミセス・ローゼンシュタインだったというわけさ、あんな長いなんて知りたくも
なかったがね」そこで男は肩を竦めてみせて、
「警察は死体を片付けていきはしたが壁に飛び散った血はそのまんまでね、大家も
新しい壁紙を張らねばなるまいて、半年は我慢しなきゃならんだろうがね」
「それじゃダウンズはどうなったんだ?」たまらずそう口を挟むと、
Fuckくそ何度も言ってるじゃないか、帰ってないのさ。
警察は鍵も調べていたようだったが、かかったままだったという話さ。
あのFuckingくそ雑誌に載せる話でも集めてたんだろうぜ。
まぁ出た先で家の方で事件があった日にゃ目も当てられんだろうがな、
とんだお笑い草だ」
「ひどい有様には違いないがね」そう応えながらも、
人が死んでいるのだ、ディガーとて笑いごととは思うまいが。
そう思いつつ。
「そういやNewark city jailニューアーク市留置所に行ったことはあるか?」
そう声をかけ、
Fuck No(あるわきゃないだろ)」
そう怒気を含んだ言葉が返されたところに、
「それじゃよかったな」こともなげにそう言って、
「一晩過ごしたことがあるが、本当にひどいとこだったぜ」
そう駄目押ししつつ指を向け、
しゃっくりを思わせる<ポン>という音が響くと同時にそこには
ジェイ一人になっていた。
ジェイは階段を見上げ、微笑みつつ、
まったく無駄な時間をすごしたものだ。
ともあれこんなことをしていたらいつか訴えられる日がくるかもな。
そう自嘲しつつ、
これでよし、
と己に言い聞かせ、
三階の踊り場に残された赤茶けた染みに目を留めていた。
三階と四階の間にある木製の手摺にも飛沫は散っていてるが、
特にひどいのは四階の壁で、
二箇所に亘り赤黒い縞になって壁紙が消えかかってすらいる。
おそらく出血したまま壁を背にして逃げようとしたところで
手を振り回してつけたといったところか。
それもまだどうやら序の口だったらしい。
5階の踊り場ときたら身体だかその一部だかで壁一面が赤黒く
なっていて、カーペットもまるで血に浸されたように赤黒く
染まっていて、廊下に飛び散った血が蕁麻疹か何かのように
思え、
上を見上げると天井に出ることのできる跳ね扉があるが、
そこにすら染みが飛び散っているのだ。
そうして現場を見渡しながらも、ジェイは昨日クリスタル・
パレスで見た惨状を思い起こし、あれもひどかったがこっちは
滅多切りといったところか、などと不謹慎にも考えていた。
確かにあの喧しい男の言ったとおりの惨状だ。
<ウエスト・ヴィレッジチエーンソウ虐殺>なんて見出しを
ポスト紙ならつけるのではなかろうか。
ともあれ比べてみるならば、クリサリスの方はほとんで出血
していなかった、バラウスに僅かばかりの血痕がついていた
くらいか。
壁にも少し散ってはいたが、これに比べれば殆どなかったと
言っていいくらいだろう。
どちらも凶悪な犯罪であることは間違いないにしてもクリサリスの
身に起こったこととはまったく一致するところはありはしないのだ。
あえていうならどちらも胃がむかつくくらいか。
そう内心ぼやきながらディガーの部屋のドアを見つめていた。
確かに仰せの通り鍵はかかっているが、
ジェイならばばね仕掛けの鍵ならばクレジットカードを使うように簡単に
開けられるし、この手の安全錠もお手の物とはいえ、
ピッキング道具と10分もあれば開けられるというものだろう。
ジェイは慣れた手つきと具合の良いピッキング器具の助けもあって、
なかなかしっかりした鍵ではあったが、
ついにガチャッという音と同時に扉は開いて、
チェーンがついてはいるが、どうやら見たところそいつは駆けられて
いないようで、警察の非常線も貼られていない、ということは中から
ロックされていたことを意味する。
そこで中を一瞥したジェイは、
Oh shitなんて有様だ!」と呟いていた。
中は相当にとっちらかっていた、というよりひどく荒らされていた、
という表現が相応しい有様だった。
そこでジェイは用心しつつ中に入ってみると。
中はあらゆるものが放り投げられ潰されたといった状態で、
死体か、もしくはその一部でもあるではないかと身構えて
入りはしたものの、
リビングはそこでブリザードでも巻き起こったかのように
散らばった紙で床が覆われていて、古めかしいZenithゼニス社の
console televisionディスプレイモニターが床にたたきつけられた
ようでガラスを散らばらせている中、古いLPのようなものを
踏んでしまい割ってしまっていた。
そこで寝室を見てみるとベッドは真っ二つになっていて、
シーツは切り裂かれ、破れたマットの中身が散乱し、背表紙
から真っ二つにされた本も散らばっていて、
キッチンは腐ったジャンクフードで覆われていて、食べ残しに
虫がたかってしまっている。
食器棚はすべて叩き割られていて中身は乱雑に散らばっていて、
古くて大きい冷蔵庫がリノリウム張りの上に鎮座していて、
ジェイが屈んで調べてみると、
鋼鉄のドアにまでギザギザの裂け目がついていて、
Jesus Christなんてこった!」
と悪態をついて立ち上がり、
振り向いてリビングを見返すと、窓に格子がついているのに
気づいた。
この手のアパートの窓に格子が嵌められているのはけして
珍しくないとはいえ、全ての窓に鋼鉄の格子が嵌められていて、
タイル張りのバスルームの窓にまで嵌められいるのだ。
しかもそれはここ一年に施されたように新しく思えるものだった。
つまりディガーは身の危険を感じてこれをつけたのではなかろうか、
そうクリサリスと同じように。
つまり鍵をかけておくだけでは充分ではないと考えたということ
ではなかろうか。
とはいえ窓も鍵がかけられていたにも関わらず、そいつはこの部屋に
入れたということになる、もっともジェイ自身は鍵を開けて正面から
入ることができたのだが。
勿論壁をすり抜けることができたなら話は別だが。
そこでジェイはスペードエースのカードが置かれているのではないかと
探し回ってみたが、見つけることはできなかった。
ヨーマンは確かに非常な男かもしれないが、彼の殺し方はプロの手際で
あり冷徹なまでに効率を重んじたものだ。
これはどちらかといえば人の所業というより獰猛な獣が暴れまわった
ように思える。
ジェイには容易くその殺し屋の人物像が想像できていた。
そいつはおそらく口から泡でも吹いて手当たり次第に破壊の限りを
尽くしていたに違いない。
それからジェイは最後に室内を念入りに調べていて、ベッド脇の床に
有名人達の身の上や、ヴィクトリア風の下着に身を包んだ女がぼんやりと
写されている表紙の作者不明のペーパーバックに混ざって何冊かのノートが
あるのに気づいた。
5冊の内一冊はましな状態に復元することができた。
背表紙に結線が貼られていたノートで、散らばったページをつなぎ合わせる
ことができたのだ。
そこでハードカバーの本が目について、三冊、いや4冊分のパーツといった
ところか、ともあれ急いで判別できる部分には目を通しておいた。
一冊などは大きく斜めに切り裂かれていたがあらかた読むことはできた。
ノートには日付を振られていて、ジェイはディガーのマットの残骸に慎重に
腰を落ち着け、
最近の日付のついているものを開いた、ディガーが最後に書き残したものは
<パーク・アヴェニューの農夫>というもので、
8歳の女の子がパーク・アヴェニューにある父の別荘の床一面にミニチュアの
農園を作り上げたというものだった。
その農園には模型の家に、川も描かれていて、草におもちゃの車やトラックも
もあって、農地の周りには電車も走っていて、家畜たちは本物に見えるほどだった。
牛などは4インチ程度ながら、小さくてかわいい牧羊犬や子豚などがcockroache
油虫サイズで再現されている。
小型の農夫の染みだらけの顔には動物たちを愛する気持ちまでそっくり縮めた
ように思えるほどだった。
もちろんジェイとて8歳のJessica von der Stadtジェシカ・フォン・
デル・シュタットが何らかの容疑者だと思っているわけではないから、意識を
本来の関心に戻すことにした。
そうクリサリスの殺され方についてだ。
何らかの口封じか。
それとも愉快犯の仕業か。
チェーンソーは使われたかそうでなかったか。
それから大統領候補を護衛しているエースの経歴や、胸を舐めるように写した
ペレグリンの経歴写真を写した人間の連絡先やハイラムのチョコレートマンゴー
パイのレシピやらミストラルが父から初めて飛び方を教えてもらったときの
話やらを最後に目に留めてから、
しまいにはうんざりして放り投げ、何かに突き動かされるようにこの部屋を後にした。
いたたまれない思いを胸にいだきながら。