ワイルドカード7巻その7

            ジョージ・R・R・マーティン
  
             1988年7月18日

                午後4時

ジューブはEldridgeエルドリッジにある宿屋の地下に住んでいる。
壁は剥き出しの煉瓦で、じめついた雨と腐肉の絡んだような匂いが
染み付いていて、
ジューブの部屋には手製の家具があり、
それと床から天井まであるEscherエッシャー
騙し絵から抜け出てきたような奇怪な現代彫刻が目をひく中、
その真ん中にボウリングの球を思わせる球体が据えられており、
その球は明滅を繰り返しているときたものだ。
Jokers Lust<渇望するジョーカー>と呼んでいる」
そうしてジューブは言葉を重ねてきた。
「不思議な眺めだろ、こいつを作った女性にわけを尋ねたくなる代物だろうが、
あんまり長く眺めていると頭痛のしてくるのが困りものでね。
何か飲み物は?」
彫刻の表面を見ているとセントエルモの火がちらついていて気分が悪くなる中、
ジェイは長いすの端に腰掛けてようやく応えた。
「スコッチのソーダ割を頼むよ……ソーダはあったらでいいのだが……」
「ラムならあるがね」
ジューブはキッチンによたよた向かいながらそう応え、
Yumそうだな」と言いながら無感情を装い言い添えた
「それでいい」と。
そうしてジューブは半分ダークラムの入って、氷が一欠けら浮かんだ
ウォータータンブラーを持ってきてから尋ねてきた。
「新聞じゃスペードエースの男がやったという話だが?」
ジューブは自分の分のラムのグラスを手に持って、
気を静めるように巨体をリクライニングに落ち着け言葉を継いだ。
「ポスト誌とクライ詩はそう報じている」
「死体の傍にスペードのエースがあったからな」
ジェイはそう応えてから、ラムをちびちびやりながら続けた。
「警察は認めていないがね」
「あんたはどうなんだ?」
ジェイは肩を竦めて応えた
「わからない」
ジェイは数時間の間、ヤフーに上がった己自身が署名した
調書を眺めていたのだが、
「ヨーマンか」
そう呟きながらも結論はまだでていない。
MO監察医にだって見立て違いはあるさ。
床を埋め尽くす死体に喜んでいるうちに……
感覚が麻痺してしまって……
解剖から明白な証拠が突き出していようとも気付かない、
ということもあるのかもな」
「新聞でも、弓矢を使う殺し屋をたしかヨーマンと呼んでいた」
そのジューブの言葉にジェイは頷いて返してから言葉をついだ。
「奴はあまり融通の効くタイプじゃない。
剃刀のような刃のついた弓で眉間を貫くか、
先端に爆薬をつけて破裂させることがありはしても、
狙う相手は常にアジア系のマフィアに限られている。
そのことから目的は怨恨であり、
そのやり口を考えれば素手のパンチ一発、
もしくはナイフをもった一人か二人の警官もいれば
取り押さえることができるという報告があがっているそうだ」
ジェイはそこでため息をついてさらに言葉をついだ。  
「つまり一つ問題があるんだよ。
クリサリスを死に追いやった人間は超人ともいえる腕力の
持ち主とされているが、
カードフェチのあの男はナットにすぎないということだ」
「間違いないのか?」ジューブが尋ね返してきた。
「一度唐突にでくわしたことがあるからな」
ジェイはさらに言葉を継いだ。
「概ね間違いはないだろうと思う。
それでも確かめる必要はあるだろう。
精神に潜れて・・・そいつがエースならさらにいいだろうね」
ジューブは思案気に牙の片方をさすりながら言葉を搾り出した。
「それなんだがなぁ」
太って小柄なジョーカーは躊躇しているようであった。
「何だい?」ジェイは即座に先を促していた。
「たしかにそうかもしれんがね・・」ジューブはしぶしぶ言葉を継いだ。
「クリサリスはあの男に怯えてはいたと思うんだが」
「話してくれないか?」
「確かにスペードのエースを残す殺しは一年前が最後だったわけだが……」
ジューブがようやく語り始めた・・・
「ストップしただけで、同時にクリサリスにも何か変化があった。
そいつは請合える」
「どう変わったと?」引き込まれるように尋ねていた。
「うまく説明できないんだがね、同じであるように装ってはいたようだった
けれど、毎晩あの人の様子を見ていたら、そうじゃないと気付いただろうね。
以前より・・・そう何かに強くひきつけられているように思えたんだ。
つまりだね……
情報を売りに行ったらけだるげに装いはしても、
以前なら……些かでも興味を示していたのに……
関心そのものを失ったようになった。
ことにヨーマンに関する情報なら食いついて、支払いも良かったんだ」
Shitあの野郎」
ジェイは努めて平静を装いつつも、悪態をついてから応えていた。
「つまり何にか怯えていて、
それどころじゃなくなったと、
あのクリサリスがか……」
「クリサリスはあんたのいう通り、常に己を抑えていたよ……
様子がおかしくなったのはディガーの方だ」
「ディガー(掘り出し屋)だって?」
「通称ディガー、つまりトーマス・ダウンズのことさ。
エーシィズ誌のレポーターであるあの男が、
去年の世界ツアーから戻ってきて、それから足しげくクリスタルパレス
週に二回か三回訪れるようになり、
上に上がってクリサリスに会っていた」
「それでどうなっていたと?」
「朝までそこで過ごしていたんだろ、
エルモかサーシャが朝までそこにいたなら
実際どうだったか聞いてみるといいな」
ジューブは頭から垂れ下がった赤い髪を掻きながら言葉をついだ。
「いたとしたらエルモだ」
ジェイにはその言葉が奇妙に響いてならなかった。  
「サーシャはいなかったと……彼はテレパスなんだぜ、
サーシャがいたなら何が起こったか明白だっただろうに」
「サーシャはいつもパレスにいるわけじゃないよ、
ハイチ出身のあの男はイーストリヴァーを下ったところの
どこかだかに住んでいて……時々あそこに通っているんだ、
あの男には何人かひもというか同居人がいて、
その内の一人、近くで夜倉庫警備をしているレジナルドという
男がいて、
彼が言うにはサーシャは出入りは激しいものの、
パレスに出向くのは夜明けすぎだそうだよ」
「そうなのか」
クリサリスがボディガードを必要としていた事情が
おぼろげながら見えてきてはいるが、
(サーシャがテレパスとはいえ、
その能力はあまり強いものじゃない、
精々精神の上っ面をなぞって簡単な感情を読み取る
くらいの代物で、
トラブルが近づいて初めて警告するのが関の山の
はずだ。
とはいえ夜いなかったとなると……)
「何か事情があったとみるべきだろうな」
ジューブが薄く青黒い指で牙をいじりながら応じた。
「10ヶ月だったか11ヶ月くらい前に、クリサリスが
新しいセキュリティシステムを導入して、
最先端の技術が用いられているということでかなり高く
ついたという話を。
作業した工員が知人でね・・・彼から聞きだしたんが。
聞いたところによると、
クリサリスから特殊な注文があったんだ。
しかけを頼まれたんだと……
壁を通り抜けようとしたら殺せるようにと」
ジェイはグラスを持ち上げて、氷が解けるのを眺めながらも、
ラムを味わう気分になれずにいたが、
それから一度口をつけ、ゆっくりと喉に流し込んだ。
湧き上がる怒りの感情を飲み込むかのように。
(ヨーマンはクリスタルパレスの正面から入る、夜であろうともだ。
だとしたら考えられる人間は……そこ以外から出入りする人間、
すなわち奴の相棒の女、際どい紐ビキニに身を隠したブロンドの女が、
たしか壁を通り抜けられて、バーの鏡から姿を現したことがあって、
ヨーマンをテレポートさせたときも同じようにして逃げおおせている)
「どうかしたかい?」ジューブが尋ねてきた。
「なぁに俺の欠点がまた首をもたげてきちまっただけだ」
ジェイのその言葉には苦いものが染み出している。
「捕らえるためだけじゃなかったと」
「どうやらそのようだな」
ジューブが言葉を搾り出した
Pity憐れでならないね」
その言葉は……ジェイが己の欠点と考えている感情と同じであり
口にだして繰り返していた。
Pityそう憐れでならないんだ」と。