ワイルドカード7巻 7月23日 午前11時

       ジョン・J・ミラー
         午前11時


アンジェラ・エリス本部長は吸殻の盛り上がった
灰皿で煙草をもみ消して、さらにもう一本に火を
つけて目の前で座っているブレナンに対し口を開いた。
それは不快感を隠そうともしない高く跳ね上がった
声だった。
「いつまで黙っているつもり?」
そこに連れ込まれ20分立っていたが、
そこでようやくブレナンはまっすぐに視線をすえて
応えた。
「いつまででも構わない」
「大体あんな朝早くにクリスタルパレスで何をして
いたというの?
そもそもクリサリスとどういう関係かしら?
あなたが殺したのじゃないの?」
ブレナンは視線を逸らし、その顔にいかなる
感情の痕跡も感じさせないよう気を配っていると、
部屋の奥で控えていたマセリークが咳ばらいをしてみせて、
「失礼を承知で申し上げますが、本部長。
その男は何も話しませんよ」と言いだした。
そこにさすような視線を向けつつ、
「話さなくとも構わないわよ、弓矢の殺し屋、ヨーマンが
逮捕されたという情報を漏らす間抜けがいないとも限らないわね。
そうなればマスコミが押しかけて、捜査官も送られてきて身柄を
引き取ろうとするのじゃないかしら、それでも構わないのね」
そう矢継ぎ早に継がれた言葉に、
「もちろん俺の思い違いでなければの話だが」
ブレナンは柔らかくそう切りだすと、
「車に乗っているだけで罪に問われることがないように……
弓と矢をもっていたからといって犯罪を犯しているとはかぎらない」
そう淡々と継がれた言葉に、
「無実だとでもいうつもり?あなたがヨーマンじゃないと言い張るつもりなの?」
ブレナンが何も答えずにいると、
「あなたには身分を証明するものもなければ、軍隊を除隊した記録もない」
焦れてそう言いだしたエリスに、
「そういうことになる」ブレナンがそう応えると、
「それで充分じゃないかしら」エリスは吐き捨てるようそう言い放ち、
「捜査官なら脱走兵の記録ぐらいあるかもね。もちろん指紋も含めてだけれど」
「かもな」ブレナンの味気ない答えと揺るがない視線にエリスは持っていた
煙草を灰皿に放り投げ、空になった煙草の箱を握りつぶすと、
「まぁいいわ」エリスはそう言うと、ドアを開け、外に立っていた警官を
呼びつけると、
「独房にご案内して頂戴。そこで数時間も過ごせば、多少は話す気に
なるかもしれないから」それに警官は頷いて応じ、
「了解しました。さぁTough guy旦那。こちらへどうぞ」
「あまり良い考えとは思えんがね」マセリークがそう言いだしたが、
エリスに向けられた視線を受けて、黙りこんでいた。
警官に連れだされ狭い取調室を出て、事務所を通り過ぎて下の階に
降りていくと、そこには独房があった。
1ダースはくだらない独房には、釈放される日を持つ者もあれば、
判決が下されるのを持つものもいるに違いないが、どちらにせよ
それはつらい時間であるに違いあるまい。
看守と思しき奴がドアを開け、にやけ面で中に入るよう促してきた。
そしてご丁寧に「さてこの御仁がどなたかご存知かな」と言い添えて、
「通称ヨーマン。弓矢の殺し屋として名高い男だ」そう言って
忍び笑いを浮かべてみせて、ブレナンを中におしこめると、
よたよたと上に戻っていった。
そこでブレナンは鋭い視線を感じつつ、何かが起こるのを待ち受けて
いたが、あまり長く待つ必要はなかったようだ。
「押さえつけろ」奥からそう声が響いてきて、
「大した奴じゃなさそうだが」と言葉が被さってきた。
それに「へなちょこ野郎だ」と誰かが言い、
「弓も矢もとりあげてやろうぞ、とんだ玉無しのできあがりだ」
それに低く押し殺したような笑いが巻き起こり、
ブレナンが鉄格子に背中を預け立っていると、最初に話した男が、
人々を押しのけ姿を現した。
そいつは大柄で屈強な感じのナットで、腕には這うように入れ墨が
彫られていて、鼻も何度がおられたようで平たく潰れている。
次に話した男は、ブレナンより背が低いものの、身体は鍛え上げられていて、
禿げ上がった頭には、傷が何筋も見て取れた。
連中はわらわらとブレナンに群がってくると、
最初の男が「玉無しだ」と言い、
「そうとも玉無しだ、それがふさわしい」などと他の連中が囃し立てている中、
ブレナンは手の届くところまで近づくのを待って、右足を踏み出し、
素早く背が低い方の男の股間を掴むと、男が痛みに泡を吹いたところで
離し、もう一人の腕を掴むと、捻り上げて顔から鉄格子にぶつけてみせた。
激しくぶつかって鉄格子の向こうに飛び出したかたちなった左手を、
ブレナンが掴み、鉄格子を二本抱え込むようにしてがつんとぶつけ、
呻いたところで離した。
次に髪を掴むと、力一杯頭を鉄格子にぶつけてみせると、肌と耳と
わずかな部分を残して、頭髪が監獄の向こうに飛び散ることになった。
そこで高鳴る唸り声を受けながら、顔を上げ、
「次はどいつだ」ブレナンが無感情にそう言い放つと、
「私ならどうかしら」と聞こえてきた。
それは女の声だった。
するとそこが旧約聖書の海が割れるシーンのように人々が道をあけると、
独房の奥の壁を通り抜けるようにしてジェニファーが姿を現した。
それからブレナンに駆け寄ると、両手でブレナンに抱き着くようにして、
「息を大きく吸って」そう言うと、そのまま監獄の床に沈んでいった。
気が付くと羽のように静かに床に降り立っていた。
下の部屋に出たようだ。
ブレナンはジェニファーから身を離すと、油断なく辺りを見回したが、
闇と静寂があるのみで、人の気配は感じられない。
「服を調達せねばなるまい」ジェニファーにそう告げたが、
ジェニファーは応えはしなかった。
かなり消耗して疲れ切っているようだった。
人一人を余分に幽体化させ、なおかつ再度実体化させるのは、
自分一人と違いかなり堪えるものなのだ、と思い至り、
そこでジェニファーの手をとると、「大丈夫か?」と声をかけると、
ジェニファーは頷き返したものの、それすらもやっとだというのが
感じとれた。
そしてばたんと床に倒れこんでいた。
屈んでその姿を見守っていると、ジェニファーは長く浅く呼吸を
してはいるものの、鼓動が弱くなっているのがわかった。
すぐに医者に診せる必要がある。
もちろんそれはタキオンでなくてはならない。
しかしその信頼できる医者はアトランタにいるのだ。
ともあれここで思い煩っていてもどうにもならない。
ともかくここからは離れ、どこか身を隠し、回復を待つ場所が必要だ。
そう庇護してくれるような、聖域ならば尚いいというものだが……