ワイルドカード7巻その3

       ジョン・J・ミラー

1988年7月16日

午前8時


そこには丘がある。
腕を振り、軽く息を弾ませて、
険しい斜面を駆け上がる、そうすると朝露に
濡れる青々とした芝地が広がっていて、
コースを定めてはいないが、行き着く場所は
決まっている。
舗装されていない田舎道の先、
暑すぎず心地よい風の吹く場所、
砂利敷きの私道に囲まれた、
<アーチャー園芸&造園>という看板の
掲げられた玄関、

そこに帰るのだ。

そしてつながった私道に囲まれて三つの
庭がある。
ブレナンの造園技術の粋を示すものだ。
最初のひとつは日本のtsukiyama築山様式の小型庭園で、
次は英国風の生垣で覆われたもの、
三つ目は様々な種別、様々な色で彩られた花のベッド、
その花のベッドに彩られた私道沿いには温室が二つある。
一つは熱帯植物の、
もう一つは砂漠の植物のもの、
そうA型枠の小屋だ。
そこの回りを全速で駆け、後ろで歩みを止め呼吸を数分整える。
そうして身体をリラックスさせ、kare sansui枯山水
視線を遷し精神を瞑想状態にして、
微風にそよぐ水の 流れが凍りつき、三対の石の周りに敷詰められた
子砂利に姿を変えたかのような、
そこで時を忘れ。zazen座禅をし入り込んでいくのだ。
そこで岩を見ているわけではない。
その影、苔が覆うさま、その成長を見てから、
ゆっくりと腰を上げ、そのリラックスした状態で一日を迎える。
それから手入れのいい木の床に、Futon布団のしかれ、ゆったりできる椅子、
それと書見ランプと本棚のあるサイドテーブルに大き目の籐のあまれた洗濯かごのある
寝室に戻ると、ジェニファーはもうそこにはいない。
そしてバスルームからはシャワーの音が、
ブレナンは汗にまみれたTシャツを脱いで洗濯籠に放り入れ、
リビング兼オフィスに向かった。
そこでTVをつけ、朝のニュースを眺めながら、デッキチェアに腰を落ち着け、
PCの電源をいれてスケジュールをチェックする。
ニュースではアトランタにおける本日の党大会のことを大きく取り上げられている以外は
さして事件らしい事件はないものと思われた。
もっともそこで語られている選挙予報はかなり先走り誇張されたものに思われはするが、
グレッグ・ハートマンが候補としては好ましいにしても、その道は容易でないといえる。
なぜなら彼の政治信条と信念に対して真っ向から対立する候補、レオ・バーネット牧師の
存在があるからだ。
正直政治家という人種は信用できたものじゃないと考えているが、
もし選挙権があったとしたら、ブレナンはハートマンに投票することだろう・・
正直で労わりに満ちているように思える人間だからであり、少なくともバーネットのように
デマを撒き散らしたりはしないだろうから。
ハートマンにはジョーカーの支持者も少なくない。
ニュース画面のカメラは、アトランタ公共公園にパンして、そこに集まった上院議員
多くの支持者とその熱狂を映し出した。
それから街中でのジョーカーのインタヴューが流されたところで、ボリュームを絞って、
ハートマンとジョーカーたちの善戦を願いつつ、コンピューターのスクリーンの方に
集中することにした。
時間を無為にすごしつつある、己のスケジュールにこそ集中すべきだろう。
スクリーンに示された本日のアーチャー造園の仕事は二件、
どちらも懸かり中のもので、
一件は岩から伝い落ちる水の流れを子砂利で表現したtsutai-ochi伝い落ち様式のヒルガーデンで、
最近越してきた日系アメリカ人銀行員の依頼によるもの、
もう一件は何層にも連なる植え込みに囲われた魚の泳ぐ池のある庭園で、 
道を下った先に住む医師、ヨアヒム・リッツの依頼によるものだ。
ヨアヒムはこの辺りの医者の顔役とも呼べる男で、自身の手のふさがって
いるときは、他の医者を手配してくれたりもするが基本かかりつけの医師といえる。
日本庭園には多少熟達したといえるか。
そうひとりごちながら、椅子に深く腰掛け、
このところの安らかで充実した日々に軽いとまどいを覚えてもいる。
死と破壊にまみれた生活を捨て、己の人生に向き合うようしたことは悪くないどころか
最良の選択であったといえる。
血の匂いのしない平和な日々をおくることにはこれまでにない満足を覚える一方、
キエンとシャドーフィストに対する復讐に目を背けることに罪の意識を感じないでもないが、
ここ数ヶ月に至り、徐々に緩やかであるとはいえ、それも薄れつつあるように思えてきたのだ。
Tachibana Tosutuna橘俊綱Sakuteiki作庭記を手にとった。
造園に対してよく参照している古典的論文ながら、そこから新しいイメージを掴むには至らなかった。
TVになじみの深い女性の姿が映し出され、その集中はとぎれることになったからだ。
TVのボリュームを上げてリポーターの声に意識を向ける。
「……ナイトクラブ、クリスタルパレスにおいて今朝未明、そのミステリアスな支配人、
クリサリスが、遺体で発見されました・・・警察は明言を避けていますが、現場からは
スペードのエースのカードが押収されていて、弓と矢を用い、1986年から1987年初
頭にかけて50余人の死にかかわったとされている正体不明のヴィジランテ、ヨーマンに、
何らかの関与があるものとみて調査を進めているとのことです・・・」
そうしてスクリーンを眺めていると、シャワーを浴びて濡れたままのジェニファーが壁をすりぬけ、
お茶を二杯持って現れた。
「どうしたの?」ブレナンの深刻な表情をみてジェニファーは聞きなおした。
「何があったの?」
目に冷たい光を宿したまま、スクリーンをみつめ、厳しい表情のまま言葉を搾り出した。
「クリサリスが死んだ」
「死んだ?」
ジェニファーが信じられない調子を滲ませながら繰り返しているとブレナンがそれに応えた。
「殺されたんだ」「誰が?どうして?」ジェニファーは椅子に沈み込みながろうそう尋ね、
カップをひとつ手渡すと、ブレナンは自然とそれを受け取って、脇に置いてから応えた。
「詳細は語られていないが、死体の傍らにエースのスペードがあった・・
つまりはめられたということだ・・」
「誰が?あなたをはめるというの」
そこでようやくジェニファーに視線を向けて返した。
「わからん、だがそいつをみつけださねばなるまい」
「警察に……」
「やつらは俺が犯人だと思っている」
「そんな……」息を呑みながら、ようやくジェニファーがを言葉を継いだ。
「一年、いえそれ以上この街をでていないのに・・」
ニューヨークを出て、シャドーフィストを仕切る犯罪王キエンに対する復讐から
手を引いてそれほどたってはいないはずだが、何しろ忙しかったのだ。
ジェニファーとの旅で互いを愛し、過去の傷を癒すすべを学び、
ニューヨークから見て北の地、Goshenゴーシェンを出たところの小さな街に腰をすえたのだ。
そこでジェニファーはロバート・トムリンの伝記を書くことに思い至った。
死をもたらし、破壊しかもたらさない生き方に飽いていたブレナンは造園業を始める
ことにした。
なにより何かを作り上げる生き方に惹かれてやまなかったのだ。
そしていささか造園に対する才能もあったとみえる。
ジェニファーは研究を重ね、執筆することに喜びを感じているようだ。
静かで平和な日々、
「誰かが俺を犯人に仕立て上げた」声を潜めて囁いた。
「誰なの?」
ジェニファーに視線を移して応えた。
「キエンだろう」
すこし思案して尋ねるジェニファーに、
「それじゃどうしてクリサリスを……」
肩をすくめてブレナンは続けた。
「奴がシャドーフィスト会のボスであることを掴んだのかもしれん、そこで
口封じと同時に俺も始末しようと考えたのかもな」
「ここにいれば警察に見つかることはないわ……」
「かもな」
「だとしても真犯人はみつけださねばなるまい」
「ここでの生活はどうなるの……」
「捨ててしまうというの……」
過去の方を捨て去るべきなのだろう、そうするほうが容易いだろうから。
その内の迷いに対し、ブレナンは応えた。
今と未来を生きるべきなのかもしれないが、俺にはその道を選べはしない、と・・
クリサリスは誰かに殺された、その事実を忘れ去ることなどできはしない。
そいつにはめられたとするならば、なおさら許すわけにはいくまい、と。
ブレナンは立ち上がって結論を口にした。
「みすごすわけにはいくまい、それはできない話だ」
ジェニファーのまっすぐな視線を感じながら、視線を外して、弓と銃のしまってある
納戸の鍵をあけてとりだし、ヴァンに積み込んでから、ジェニファーがついてくるのを
しばし待った。
それからブレナンはエンジンをかけ、違う道に踏み出したのだ。
たった一人で。