ワイルドカード7巻 7月24日 午後3時

   ジョージ・R・R・マーティン
       午後3時


ジェイは階段の方から聞こえる足音に、
目を開けた。
実に静かだ。
どうやら眠っていたらしい。
さもなくばうつらうつらしていたか……
気を失っていたか……
そいつは定かじゃないわけだが。
そこでマットの敷いてあった方に視線を向けると、
ブレーズもこちらに視線を向けてはいるが、
少年の目は虚ろに開ききっていて、恐怖が
こびりついているかのように、口の周りには
血の泡のようなものがぶらさがっている。
チャームにしこたま殴られて、歯でも折ったと
いうことだろうか。
それはわからない。
いや何もわからないというべきか。
そんなことを考えている内に、足音は大きく
なっていき、長椅子の上でもがいてみたものの、
両手は背中に回されて縛られたままながら、
それでも音がした方向を見てみると、
ハイラム・ワーチェスターが地下に入って
きたのが見て取れて、
まばたきして確認したが、それは消えなかった。
どうやら夢ではないらしい。
そこで残った体力を振り絞り、
「おい!ハイラム!ここだ!」と叫ぶと、
ハイラムがこちらを向いたところで、
チャームがよろよろと動いて闇から忍び出て、
ゆっくりとその足元に動いていって、
Watch outあぶない」
そう叫ぶと、
エジリィの笑い声が聞こえてきた。
ハイラムはスーツケースを持っている。
大きく、きらきらした真鍮の留め金が
三つ付いて、それで閉じてあるようだ。
いやこれだけ大きければトランクと
言うべきだろうか。
ともあれ普通の人間が書類鞄でも抱えて
いるかのように軽々と持ち歩いていて、
そういえば軽くすることができたんだった、
と思い出したところで、チャームがそこに
這い寄っていて、6本の腕を留め金の上で
もぞもぞ動かし始めた。
ジェイはそれを見て背筋が凍るような思いに
囚われていると、
ハイラムはどこか遠くを見るような視線を
向けてきた。
えらく消耗して疲れ切っているようで、
完璧にしたてられたと思しきスーツには
汗が滲んでいて、視線を合わせると、
その瞳からは痛みと、いたたまれないような
感情、そして恐怖のような何かが感じとれ、
泣き出すのじゃないかと思っていると、
見慣れた様子で手を上げて、
首の横の痣を掻きだして、
それを見て泣き出しそうになりながらいると、
サーシャがハイラムの横に立つと、水を
味わう鳥のように頭をゆっくりと動かしていた。
確かあれがテレパシーを使うときの仕草では
なかったか。
そこでサーシャは安全を確信したようで、
頷いて、「開けろ」と命じると、
チャームはスーツケースを開けていて、
中には若い女の子が入っていた。
4フィートか5フィートくらいの身長の、
小柄で、色白の金髪の一糸纏わぬ少女が
微笑んでいて、そこには何かが纏わりついていた。
未成熟な嬰児を思わせる何か、白い虫のようでいて、
虫より大きな何かが、ジェイの見ている前で、
口を開け、女の子の首筋に吸い付くと、
わずかな静寂を破るように、微かなちゅうちゅういう
ような音が聞えてきた。
それでも目は開けられていて、しっかり辺りに気を
配り、ジェイの存在を闇の中に認めると。
明らかに飢えた視線を向けてきた。
あの悪夢そのものじゃないか。
ジェイはぼんやりとそう思い、
叫びだそうとしていると、太腿の辺りに暖かいものが
触れて、ズボンの下のものが手繰り出され、
「こいつは実に怖がっていますぞ。マスター」
サーシャがそう呼びかけると、
「後でこいつの恐怖も味わうとしよう」
女の子はそう応えると、ぎこちない様子で
スーツケースに這い上がり、か細い手をチャームに
据え、宥めすかすようにしながら、
シャーリーテンプルの映画に出てくるような声で、
囁いている声は、おそらくこの子のではなく、背後の
何かの声といったところか。
「ハイラム」ジェイが声を絞り出し、
「なんとかしてくれ」と言葉を継いだが、
「どうにもならないんだ、ジェイ」穏やかともとれる
声でそう応え、「すまない」などと言いだした。
ジェイは必死に体を捩り、手のロープを緩めようと
したが、無駄で、手の感覚もないときたものだ。
わかるのは、数時間前から感覚がないということぐらいか。
「こいつらは強壮よ、マスター」エジリィはそう言って、
「どっちもエースだからな」サーシャがそう言葉を継いでいて、
何か言おうとしながら、それを見つめつつも、結局
目を逸らし、壁を見つめ始めたハイラムに、
「ぶっ飛ばしちまえばいいだろ。ハイラム。
こいつらじゃあんたには敵わんさ。
あのヒルのような野郎も床に抑えつければ
ペラペラのフィルムみたいにできるだろう」
「あんたはわかっちゃいないんだ」ハイラムはそう言って、
「ティ・マリスは私のマスターなんだ。
あの方の口づけなしでは生きていられない。
どうしてあの方に危害が加えられようか?」
ハイラムはそう言葉を継いでかぶりを振りつつ、
「私には、けして……あの方には敵対できない」
「最初はあの小僧からいこう」女の子はそう宣言すると、
ブレーズは聞こえているのかいないのか、何の反応もない。
そこであのハイラムがティ・マリスと呼んだ何者かは、
最初は女の子のところでぬらぬらのたくっていたが、
それからサーシャ、ハイラム、エジリィ、百足人間の肌を
移動し、残りは他の部家に戻ったハイラムだけとなったところで、
女の子のところに戻り、ブレーズがようやく虚ろな視線を向けてきて、
ようやくまどろんだような状態が覚めたとばかりに、
「いやだ」そう叫びだし、ぼろぼろのマットの上で、
必死に這って逃げようとしたが、
ティ・マリスからは充分に逃れることはできず、
「やめて、お願いだから」と言い募ったものの、
「実に興味深い」女の子はそう言って、
依代に触れることで、その精神を感じることができる。
この女はこれまでだ」
しなびた手足の名残のようなものが微かに震えたかと
思うと、ティ・マリスは新たな宿主に移動しようと
し始めた。
「やめろ」ジェイは女の背中にいるそいつに叫んでいた。
そこにブレーズが絶望しきった一瞥を向けてきたことで、
ジェイはその恐怖が何を意味するかを悟っていて、
「そいつを抑えろ」ティ・マリスがチャームに、
その嬰児のような唇で命じ、
巨体のジョーカーがよろよろとのしかかっていって、
少年の菫色の瞳が窄められ、寄生しようとしている
そいつの精神を捉えようともがいていたようだったが、
結局ブレーズは叫び声を上げ始めたのだ。
精神を引き裂くような叫び声で……