ワイルドカード7巻 7月24日 正午

   ジョージ・R・R・マーティン
        正午


      「ブレーズ!」
ジェイは小声でせわしなくそう囁きかけていた。
少年の目は閉じていたが、筋肉の強張りぐわいを
見てわかった。
気を失ってはいない。
そう確信していたのだ。
もちろんふらふらしているだろうし、おそらく
恐ろしい思いはしているに違いないが。
それでも意識はあるに違いない。
隣の部屋から、チャームの歌声が聞こえている。
そう呼ばれているので知った名ながら、チャーム、
というのはあの結合双生児のような奴のことだ。
その名を聞いて言いえて妙だ、と思いつつも
いたたまれない思いにとらわれたものだった。
サーシャは20分程前に姿を消していた。
小耳に挟んだのだが、どうやら誰かが必要だとか
何とか言っていたが、そういや昨日公園で飛び掛かって
きた奴を飛ばしはしたが、あいつを探しにいったという
ことではあるまいが、あのお方とやらの計画に関わりが
あるということだろうか。
逃げ出すにはサーシャのテレパシーは厄介と思っていたから
好都合というべきだろうか、行動するなら今しかあるまい。
そう思い定め、他の部家には5人残っているということに
なるか。あの母親に抱かれていた赤子をいれるなら6人に
なるが、あれは勘定にいれなくていいか。
後はエジリィと趣味の悪い肉団子のような輩が
いるが、こいつらはたいして危険ではあるまい。
となると残るはチャームと百足人間ということになるか。
百足人間は別の部屋の窓際にいて、左手に砥石のような
ものを握っていて、右側の6本程はナイフを握っていて、
リズミカルに動いているのが見て取れた。
どうやらナイフを研いでいるようで、金属を石にあてる
音が響いていて、チャームの歌に妙なアクセントを加えて
いるときたものだ。
「ブレーズ!」再びそう囁いて、
「おい、dammitくそったれが、起きやがれ」
そう言ったところで、少年は目を開けたが、その顔からは
あの傲慢な感じはすっかり拭い去られてしまっている。
暗闇の中でも、怯え切っているのが見て取れた。
そうしていると人を小莫迦にしたような態度はなりを潜め、
年相応の子供に見える。
ともあれ「ここを出なければ」精一杯声を低く抑え、
「チャンスは今しかない」と言葉を継いだが、
「ひどい目にあうよ」
そう応えたブレーズの声はむきになったかのように甲高く
耳に触るものだった。
おまけに隣の部屋から響いてくる歌声に顔をしかめつつ、
「違いない」ジェイはそう囁いて、「ブレーズ。
少し声を落とした方がいい。気づかれたら厄介なことになる」
「怖いんだ」そこに返された今度の声は今度は低く
抑えられてはいたものの、まだ充分とはいえないものだった。
「帰りたい」そう弱音が漏れてきたが、
「しっかりしろ」ジェイはそう言って、
「能力が必要になる。どいつでもいいからマインドコントロール
してもらわなきゃならんからな」そう言葉を継ぐと、
「やってはみたんだ」ブレーズはそう応え、
「昨日の晩に……サーシャの精神は何とかなったけれど……
他の連中がね……特にあのジョーカーときたら……
精神がいくつもあるのに……動物のような精神ばかりと
思ったら、一つだけえらく抜け目ない精神があって、
そいつはとらえることができなかっただけじゃなくて……
ひどいめにあわされた」
そう言ってすすり泣きはじめた。
頬の片方に赤い線が浮き出ていて、涙と共に流れた血が
固まって、それが目をも閉じているのが見て取れた。
「ここから逃げなきゃもっとひどい目にあうぜ」
ジェイはそう言って、
「相手をするのは一人でいい。あの百足のような野郎に
『捕虜を見てくる』とか言わせてくれたらそれでいいさ。
できるな?」
「『捕虜を見てくる』だね」ブレーズはそう言って繰り返した。
どうやら唇が切れていて、言いにくいようだった。
「もっと自然に頼むよ」ジェイはそう言って、
「不自然でないように頼むよ、なんせあいつの持った
ナイフで縄を切ってもらわなきゃならんからな。
あれさえ切ってもらえれば、ここはとんずらできるというものだ。
まず思えをマリオットに飛ばすから、助けを連れてきて欲しいんだ。
いいな?」
「わからない」ブレーズはそう言いだした。
「お前はタキスの血をひいてるんだろ?」ジェイは精一杯の
嫌味をこめてそう伝え、
「だったら泣き言を言う前にできることがあるはずだ」
ブレーズは一瞬絶句していたが、ゆっくりと頷いて返し、
「やってみるよ」と応えると、表情を歪めて集中し始めた。
ジェイは聞こえてくる歌声が永遠に続くようにすら思いつつ、
気を静め、耳を澄ましていると、椅子を引く音と、
幾分ぎこちなくはあるものの、「捕虜をみてくら」
という低い声が聞こえて、
歌が止み、
足音が聞こえてきた。
複数の足音だ。
そして夢遊病者のような足取りで、近寄ってきた百足人間が
ジェイの傍に膝をつくと、ナイフでロープを切ろうとしたが、
手を縛っていたのが、紐ではなくワイアーであるようで
うまく切れず、そうしているうちにチャームがその後ろに
立っていて、ふらふらとよろめくようなぎこちない動きで、
頭の一つで、ジェイとそして百足人間を見つめたが、
気に留める様子もなく、他の頭の目は座ってように
ブレーズに据えられていて、
「やめて」ジョーカーの暗い影に押し包まれるようして
少年は弱々しく呻いて、慌ててマットの上で後ずさったが、
当然隠れることもできず、
チャームの手の一つが天井からぶら下がったパイプの
方に伸び、そこに掛けてあった野球のバットを掴みとっていて、
それは少年の頭に振り下ろされ、バキッという嫌な音が
響き渡っていたのだ。