ワイルドカード7巻 7月24日 午前11時

  ジョージ・R・R・マーティン
      午前11時


闇の中から誰かの声が響いてきて、
「不公平と言うものだろう」
そう聞こえた後に、
「口付けが必要なんだ。
あいつは充分に一緒に過ごしたでは
ないか。
このうえまだ待つ必要はあるかね?」
「それがあの方の望みならいたしかたあるまい」
そう返された言葉に、
「あの方は気が向いたときに、気が赴くままに
行動される。
ティ・マリス様はそうした方です……」
さらにそう返されて、
「このままでは殺し合いになりかねない」
最初の声がそう応え、
「危険な状態だ」そう継がれた言葉に、
「そうはならないわ」別の声がそう応えていた。
それは女の声だった。
「実に甘美だわ。あの方はそれを味わうことを
望んでいるわ。
それには依り代に宿り、その感情を己のものと
し、その叫びを味わう、それこそを求めておられる
のですから」
そこまで聞かされたところで、ジェイはたまらず
目を開くと、
「どういうことなんだ?」
百足人間が神経質な甲高い声でそう言いだしていて、
「そいつの方がお気に召したというのか?
それじゃ口付けはどうなる?あれなしではいられない」

ジェイは長椅子にうつぶせで押し付けられたように
なっていて、見える視界は限られているが、腐ったような
嫌な匂いが気になっていた。
手は背中に回されていて縛られているようだ。
感覚のない指をともあれ動かしてみようとしたが、麻痺
しているようでピクリともしない。
クッションのすえた匂いを感じ、頭がずきずき痛み、
わずかな動きでも脇が悲鳴を上げている。
どうやら同じ地下室にいるのは、数フィート向こうにある
使い古された温水ヒーターを見て確認できた。
どうやらその熱風でパイプに錆が浮いているようだ。
隣にはここより広い別があって、そこにも何人かいるのが、
良く見えない窓から見て取れて、数えてみようとしたが、
動いているようで、集中しようとしても、頭が割れるように
痛いときたものだ。
ジェイはうめきともため息ともつかない声を漏らし、
諦めざるをえなかった。
そこで突然口論が途切れ、足跡が聞えたかと思うと、
乱暴に掴まれて、頭を上に向けられたかと思うと、
サーシャが見下ろしているのが見えた。
テレパスのこの男はあまり具合がよくないようで、
手は震え、滴る汗で髪が青白い額に張り付いている。
Whatなぁ」ジェイはかろうじてそう漏らし、
Whatなぁおい」そう繰り返すと、
「水を飲ませてやれ」サーシャがそう言って、
少し経ったところで、エジリィが膝をついて屈み
唇にグラスを押し付けた。
エジリィの手は熱く感じられるものの、水は冷たく、
ジェイは貪るようにそれを飲むと、
Suck無様ね」エジリィは体温が感じ取れるほど近くで、
耳元にそう囁いて笑い声を立てていた。
アトランタまでのこのこ来るべきじゃなかった」
サーシャがそう言ったのを聞いたところで、
残った水を吹き零しながら、
「紐を……」そう言いだして、
「緩めてくれたら嬉しいんだがね」そう言葉を継いでいた。
「目は見えないかもしれないが、間抜けではないつもりだよ」
サーシャはそう応え、
「手が自由になったら、能力を使うつもりだろう。
縛られている限りはその心配はないからな。
あんたは手を銃のかたちにしなければ、その力を
使えないはずなんだ」
「騙そうとしていたんだな」百足人間がサーシャの
後ろで立ち止まり、背中を丸めると、巨大なクエスチョンマ−ク
が立ち上がったように見えた。
頭には剃り残しのようなわずかな髪しかなく、
グロテスクなまでに薄く長い手に、骨と筋肉が
張り付いているが、恐らく見た目以上に力は
強いのではなかろうか。
「こいつは危険だと言っただろう」ジョーカーはそう言うと、
「殺した方がいい」数多ある腕の一つに長い鋸状のナイフを
抜き放っていたが、
「駄目だ」サーシャがそう言って、
「こいつは使い道がある」そう言い添えると、
「とっておかなくちゃね」エジリィもそう囁いていて、
「あのお方はエースをお好みだ」サーシャもそう応え、
「他の奴にすればいいだろ」そう叫び返した百足人間に、
「俺の処遇は決まったかな?」
ジェイがつい軽口を重ねると、
エジリィは笑い、サーシャはその目のない頭をジェイに
向け、
「口は慎んだ方がいい」サーシャは厳粛にそう言い置くと、
「ためにならんというものだ」そう言って、首筋の大きな
痣を掻き始めた。
「悪い子ね」エジリィが宥めるようにそう言って、
「この指はどうおいたをするのかしら」
からかうようにそう口にしたところに、
「言っただろ」サーシャはそう応え、
「テレポートさせることができるんだ。
ニューヨークでもどこにでもね」
「あのお方はお怒りになるわね」エジリィは
そう言うと、ジェイの頬を指で軽くなぜ、耳の辺りで
円を描くように添わせると、
依代が不足したら、あのお方から罰を受けるわよ」
「あのお方とは」ジェイは被せるようにそう言って、
「誰のことだ?ハートマンか?」
そう言い添えると、エジリィは感情の籠らない視線を向けてきた。
パペットマンだな」ジェイはタキオンの口にしていた名前を
畳みかけるように口にしていたが、
百足人間はサーシャに心底驚いたという顔を向けていて、
「どういうつもりか知らんがね」サーシャからそう切り出され、
「実に悲しく憐れな話だが、何に首を突っ込んでいるか
わかっていないのだろうね」そう言葉を継ぐと、
少しもおかしくないといった渇いた笑い声を
立ててみせた。
「話を元に戻そうじゃないか。さてこいつをどうするかだ」
サーシャは苦笑しつつ、そう言い添えていて、
「もう少し相手をしていたいわね」エジリィはそう言うと、
ジェイのベルトを外し、服の下からそれを探り出すと、
「今はそんな気分じゃないんだがね」ジェイが弱々しい声で
そう言い立てて、「俺は頭痛持ちなんだ」そう言い添えると、
エジリィは微笑んで、それから手を離すと、
「あの方の口付けを受けたら」そう囁いて、
「そのときに相手してあげるわ。あの方は新しい依代の具合を
確かめたいでしょうから。あの方の宿ったあなたを相手してあげるわ」
「そいつは愉しそうだ」ジェイはそう応えると、
エジリィは下唇を舐めてみせた。
そこにも首同様の痣があるようだった。
そういえばこの痣を前にも見たことがある。
今日より前にどこかで、あれは古い痣だった。
サーシャと同じような。
そこで百足人間の首筋を見ると、首筋にはやはり
紅い穴が生々しく開いていて、その周りが赤黒く
腫れあがっている。
全員そうなっているということは。
ジェイは考えを巡らせ始めた。
ハートマンを狂信的に崇める単なるジョーカー
テロリスト集団などではなく……
他の何かということか。
あの夢に出てきたような……
もっとおぞましい……
何かではあるまいか……
胃が縮みあがるのを感じ、再び眩暈を感じていた。
そうまるであの悪夢を見ているときのように……
「そうはいくものか」そう虚勢を張って己に言いきかせ、
「ブレーズが話してくれるさ。そうすれば助けが
来るだろう、タキオンか……ハイラムか……」
名前を並べることで己を奮い立たせ、
「ただじゃすまないだろうな、サーシャ」
掠れる声でそう言い立て、
「ここにいる誰一人として」
そこまで言ったところで、
エジリィがおかしくてたまらないといった声で
笑いだし、百足人間までも笑いだした。
「あの小僧は誰も呼べはしないよ」そう言った
サーシャの声は嘲りに満ちたものだった。
そしてジェイのシャツの胸倉を掴み上げると、
長椅子に座ったかたちにすると、
「そこを見な」そう言ってソファーの後ろを
指さしていた。壁際に黒い物体が転がって
いると思ってみつめていると、手に触手、
捻じれた身体が見えてきて、それはあの
結合双生児のような奴だとわかったが、
彼らが示しているのはそいつじゃなかった。
マットの上でブレーズまでのびていて、
その手首と足首までが近くのパイプに
つながれているではないか。
顔を殴られたようで青あざが浮いていて、
渇いた血で片目が覆われ、閉じられていると
きたものだ。
そうして思わずにはいられなかった。
タキオンが見たらさぞやがっかりするに違いない、と。