その16

     メリンダ・M・スノッドグラス
         午後4時


まるで水星のよう(涼しい名前に係らず実際地表は
50度ほどの高温)ですね……
エアコンの効いたマリオットのドアから外に
出て、背中に感じたアトランタの熱気にたまらず
そう呟いていた。
汗が顔に滴ってくるのを感じつつ、
赤く<ジェシー>と染められたたすきをつけた人々が
歩道を埋めているのを眺めていると、
その向こうから現れたリムジンからジャクソンが出て
きて、
タキオンの手を掴み抱えあげたかたちになって、
タキオンは脚をばたつかせることになった。
そうしてたいした長身だ、と恐れ入っていると、
歓声が沸き上がり、笑顔で握手を求める人々が
群がってきて、
ジャクソンがそれを注意深く捌いているさまを、
タキオンがまぶしく感じていると、
アクロイドはドアのところで待ち構えていて、
「それで何が始まるんだ?」
そう訝るアクロイドに、
ジェシーはオムニの外でジョーカー達と話したい
と言ってくれたのです……」
タキオンが説明すると、
ワイルドカード問題に対する関心がハートマン同様
だとしたところで、はたして彼らは耳を貸すかな?」
そう言ってつらく重くため息をついているアクロイドに、
「あなたが他の候補を推すというのでしたら、何もここに
いてくれなくていいのですよ」そう声をかけると、
ジェイは肩を竦めて、
「かもしれないがね……」そこで言葉を切って言葉を
継いでいた。

「そううまく立ち回れない性質なんだ」と。
その言葉を聞いてリムジンに入って、車内はエアコンが
効いているにもかかわらず、ジャクソンのボディガードでストレイト・アローと呼ばれ
ているエースの男に胡乱な視線を向けられて、己がひたすら
間抜けに思えていたたまれず感じていると、
もちろん話が聞かれているわけでもあるまいが、この男抜き
で話したいものだ、と思いつつ、
「そううまくいくわけもないか……」と上ずったトーンの
まま呟いていると、
「信じることですよ、ドクター」
とジャクソンが応えてきて、
ジェイ・アクロイドと牧師の間で所在なげに視線を彷徨わせ
つつ、
「彼らには嫌われてしまいましたから……」と零すと、
リムジンが停車して、
ジャクソンはジョーカー達の沈黙に応えるように呟いていた。
「何もバーネットに鞍替えしたというわけではないのだから、
私ではいけないという理由もないというものでしょう……」と。
「問題があるなら私の方でしょうね」タクがそう返し、のっぽな
男の手に縋るようにしていると、
「私はそうは思わないがね」
「だったらどんなにいいこことか……」
「最善を尽くすまでです」
そんな会話を交わしているとストレイト・アローが黒いリムジンの
ドアを開けてくれて、ジャクソンと連れ立って熱い大気の下に降り
立つと、
群がろうとするジョーカー達が警官に制止されているなか、
音響装置の施された平台トラックでしつらえれた長い通路の向こうは、
信じられない暑さで、それに辟易しつつ周りを眺めてみると、
八本の脚を身体にまきつけたアラクネがナットの娘とため息をついて
いて、無我夢中といった体で丸めた新聞を握って振り回している女の
姿も見える。
「あんなに嫌われているのですね」その菫色の瞳に憐れな色を滲ませて
「あまりにも不憫で、それでいて恐れを知らぬときているのだから……」
そう零していると、
気づかれたとみえて、おこりのようなさざ波が押しとどめようとする警官
たちに伝わったと感じたところで、ジャクソンが進み出た。
決然としたその姿に、タキオンも従って前に出ていくと、
Gillsギルズの姿が視界に飛び込んできた。
ギルズは薄い首の幕を震えさせつつ、人込みを縫って前に出てきて、
白い粘液の塊をタキオンの顔に浴びせかけて、タキオンは咄嗟に避けよう
としたものの、意を決して前に出て、手を広げてみせたときには、すでに
ギルズは踵を返したと見えて姿を消していた。
そこでかかった粘液を拭い人ごみの中に入っていくと、向かう先から
ジェシーの声が響いてくるのを耳にしつつも、その声から意識を背け、
急いで人込みに意識を向けると、そこに誰がいるかを、明らかな悪意を
示しているか、同情を滲まているか、などを探っていると、
いきなり陰に覆われることになった。
上空にタートルが浮かんでいるのだ。
一方地上でも二人の警官が格子縞に覆われた巨体を阻もうと躍起になって
いる。
おそらく煉瓦の壁のあったところで、この男、600ポンドのダウボーイを
阻むことはできないのではあるまいか。
ダウボーイはちびの異星の男の姿を見て取ったと見えて静止して、
「ドクター」と声をかけてきた。
「ここにいますよ、愛し児よ」
そして気が進まないながらも、
「ダウボーイですね」とジョーカーの名で改めて呼びかけていた。
「あなたとセ、セイラはう、裏切り者だというけれど、僕にはわからない」
「込み入った事情というものがあるのです」
「もうじ、上院議員は好きじゃないの?」
タキオンは手で顔を覆うようにしながら応えていた。
「あなた方に対する好意に変わりはありません」
「その報いがこのざまか?」
その声に続くように、
「裏切者、裏切り者!裏切者!」と叫ぶ声が巻き起こって、
タキオンは崩れ落ちるように頭を抱え込んでいると、
ジャクソンがそこにいて、肩をしっかりと抱きしめられていて、
「しっかりなさい、彼らの下に歩み寄って、きちんと話せばいい、
それだけでいんだ……」
「私は……恐ろしいいのですよ、もはや取り返しがつかなく
なっているのではないかと思えて……」
そう漏らしながらも、なんとか己を鼓舞し、人々の中に歩み寄ろうと
した。
人智を超えた姿をした人々、触手や鉤爪のあるものもあれば、
できそこないのお腹の辺りから悪臭を迸らせているものも
あって、
そこに手を差し出していると、
そこに差し出されていた普通に見える者の手をついほっとした
気分になって掴んでいた。
この暑さに拘わらず革ジャケットを着た若い男の手を、
その男の目がぎらりとした光を帯びたように思った、それは鮫の
目を思わせる光だと、そう思ったまさにその時であったのだ。





     ヴィクター・ミラン
       午後4時


ジョーカーが通りを埋め尽くしているさまは、
騒々しくなかったところで身の毛のよだつもの
であり、
熱と光に息のつまるような感覚は、まるで
胴体に毒蛇が巻き付いて締め上げられている
ように思える。
そう言えばハンブルグの夏もこうだったな。
故郷を思い出すと気分が悪くなる。
だが気が滅入る理由というものは、昼日中にしては
高温多湿であることそのものよりも、
ジョーカーたちの存在そのものにあるのだろう。
そうして胸がむかむかするのを感じながらも、
一方で血管の内に浮き立つような感覚をも同時に
覚えてもいる。
Der Mannあの方が再び俺を必要として
くれた。
マクヒースの出番がきたのだ。
泡が沸き立つがごとく、マントラの呪文のように
喉からあの調べを迸らせながら人ごみを通り抜けて
いる。
異形の者たちの中にあって、マッキーが何ら目立つことが
ないのは足りない身長のお蔭というものだろうか。
熱気が触手のように絡みついて、滴る汗が、古びたTシャツと
ジャケットの下の肋骨まで濡らしちゃいるが、
その匂いすらも、ジョーカーたちの臭気に紛れては際立つこと
はないようだ……そんなことを考えていたのだが、
そこで突然掠めるような衝撃と、
「おいこのクソ野郎!」
という言葉と共に羽のある手で腕をつかまれていて、
「誰にぶつかったと思っているんだ、貴様何様のつもりだ?」
「マッキィ・メッサー(匕首マッキィ)だよ、この腐れ外道が」
漲る怒りのままに、腕を振動させはじめたものの、
駄目だ!今はそれどころじゃない!
そう己に言い聞かせ、位相を変えて腕をすり抜けていた。
間抜けに立ち尽くす男に微笑み一つを残して、
そうして人のふりをした連中の間をすり抜けて、
泡のような身体をした巨体のジョーカーを一気にすり抜け
ようとして押し戻されかけたことがあったが、それでも
気にも留められることはなかった。
そうしているとぺちゃくちゃ囀る声が聞こえ始めた。
低く嫌らしい声だが、擦れていてうまく聞き取れはしないが、
聞き取ろうともしなかった。
ジョーカーが何を話すというのだ、身体をすり抜けたところで
わかりもしない獣ではないか。
俺は死を齎す不滅の男。
そうともマッキィ・メッサーなのだ。
それにしてもだ、あののっぽの黒い男を大統領に押そうなどと
いうのは正気のこととは思えない。
ましなところは鼻もちならない金持ちでないことくらいではある
まいか?
どうせたいした主張もなしに身内におされて出てきたといったところ
であるまいか?
彼らを卑しい人々と呼んだのはカール・マルクスだったと思うが、
おそらくAlte Karlカール爺さんはそのことを思い知らされて
いたのではあるまいか?
ふとタキオンに視線を向けると、その傍に見覚えのあるような奴が
いるが、おそらくジョーカータウンからついてきたごますりの一人
といったところだろう。
そうして見ているとタキオンは流れるような優雅なしぐさで握手だか
何かだかをし始めた。
そうしてジョーカーに触れることを考えると怖気がくるというものだが、
タキオンに近づくには用心が必要というものだ。
唄のように細心に、口元に鋭い牙をぎらつかせつつも、
極限まで注意深くなければならない、とあの方も言っていたではないか。
タキオンはこころを読むことができる。
接近を気づかれては一巻の終わりというものだろうから。
うまくやれるとも、マック・ザ・ナイフは姿を見せない……
気づかれないことなどお手の物なのだ。
位相を変えて人込みをすり抜け、背後から忍び寄り、
手の振動ドクター・タキオンの高貴な心臓とやらを貫くのもお手の物と
いうものだ。
もちろん宇宙人を手にかけたこともありはしないし、タキオン程の
VIPを手にかけたこともなかったにしてもだ。
そうして近づいて行って、
タキオンと視線が合わせられる距離で姿を現した。
誰にやられたか思い知らせることができるように、
ジョーカー達がタキオンに殺到していく流れに紛れ、
必要なタイミングを推し量り、
おそらくタキオンは正常な世界がひっくり返ったように
驚くに違いない。
そうほくそ笑み、タキオンに手を差し出したのだ。