その18

     メリンダ・M・スノッドグラス
          午後4時


タキオンは何の気もなしにその手をとっていたのだ。
すると激しく叩くような衝撃と共に男が口火をきった。
「マッキィ・メッサーたぁ俺のことだ……」と。
その口上と共にチェーンソーを思わせる振動音が響き渡って
いたのだ……



    ウォルター・ジョン・ウィリアムズ
         午後4時


骨の軋む音に血しぶきと共に、チェーンソーのような
振動音を聞いていた。
ジャックもかつて聞いたことのある音だった。
そしてタキオンの叫び声が、阿鼻叫喚の叫び声に
まぎれていった。
おそらく、ジャック自身も叫んでいたのではあるまいか。
そこでジャックは気を引締め、男に向かっていこう
としたが、人ごみに阻まれて思うように迎えずにいると、
よろめき落ちるような感覚の後に、
ジョーカーの中に取り囲まれていて、
銀色の目をしたジョーかーに足を掴まれ怒りに叫びをあげ、
振り払おうとしていると、
タキオンはよろめいて、手首から血をしぶかせていて、
ストレイト・アローもようやく何が起こったか理解したと
みえて、
革ジャケットの小僧に一番近いところにいるのは警官なの
だが、殆どの警官はタキオンの血にまみれて、まだショック
から抜けきっていない様子だったが、ようやくその一人が
革ジャケットの小僧を捕らえようと手を伸ばして、
あと少しで掴めるというところで小僧は顔を上げ、
警官を睨み付けていたのだ。
ちょうどその方向にジャックもいたが、小僧はジャックに
は気づいていない様子で、上唇についたタキス人の血を舐め
ながら、警官に対し凶悪な笑みを浮かべてみせつつ、警官の
右腕から肩まで切り裂いてみせて、
それから再びタキオンに視線を戻したが、やはりジャックに
はまだ気づいていないようだ。
ジャックは縋ってきたジョーカーの子供を振り払い、
拳を握りしめ、
革ジャケットの小僧はタキオンにとどめを刺そうとする際に
は位相を変えたままでは攻撃できないとあたりをつけて、
その瞬間に全力を叩き込めばいいと思い定めた。
革ジャケットの小僧はタキオンに迫って、
手をほとんど優しく愛撫するように差し出していて、
あと一歩で小僧に手が届くところまで迫り、
そしてジャックの拳が小僧の頭に叩き込まれ、20
ブロック向こうまで弾き飛ばせるはずだったのだ。
だがまさに拳が叩きこまれたその瞬間に……
ポン、という間抜けな音が響きわたって、
小僧は姿を消していて、
ジャックの拳はむなしく空を切り、
足にはタキオンの血をしぶかせたまま、
怒りの咆哮を上げて、
「誰の仕業だ?」と声を上げると、
ストレイト・アローはそばにいて、片手に
炎の矢をつがえていて、その姿はゼウス像の
ように神々しくあるものの、
私服警官達はジャクソンを庇うように覆い
被さっていて、
狙いを見失ったまま「アクロイドだよ」
そう応えたストレイト・アローの指から
すでに炎は消えている。
呻くような声の響くなか、
カメラは警官達の間で何が起こったか捉えよう
と躍起になっていて、そうして衆人環視の下、
タキオンが瞬きし、その目を地面に向けていると、
切り裂かれた警官が叫びをあげていた。
おそらく止血するには傷が深すぎるのではあるまいか。
ジャックは彼に歩み寄って、拳で額を軽く撫でると、
警官は意識を失っていて、
ジャックの隣にはストレイト・アローが立っているが、
青白い顔のまま、その手を警官の肩に手を伸ばし、
炎を迸らせると、ジュッという音が響いていた。
肩口を焼いて止血したのだ。
その血肉の焦げる匂いは、カジノ火災で、炎に包まれた
男が叫びながら焼死したときの嫌な記憶を呼び覚ますもの
だったが、この警官の場合はあと5分ショックししないで
いれば助かるのではあるまいか。
そうしてジャックが無力感に苛まれていると、
ストレイト・アローはタキオンに近づいて、傷ついた腕を
調べ始めた。
タキオンの顔も血まみれで、ジャックが必死に最悪の状況を
考えまいとしていると、
ストレイト・アローは警官に施したのと同じようにタキオン
手も処置していて、
ジャックはそこから顔を背けたが、肉の焦げる音と匂いは遮る
こともなく感じられ、
煙草に手を伸ばし……怒りを紛らわせようとした。
あと少しであの小僧の頭を卵のようにぐちゃぐちゃに潰すこと
ができたというのに、
そこでジェシー・ジャクソンが立ち上がり、ようやく状況を
把握したようで、私服警備員たちが無線で救急車を呼んで
いるようだ。
「アクロイド」ストレイト・アローが立ち上げって、
・「あいつをどこに送ったんだ?」と声をかけている。
アクロイドはこれといって特徴のない男で、タキオンやジャクソンと
リムジンから降りてきたらしいが、ジャックはこの男に気づかなかった
くらいだったのだ・・・
まだショックから覚めやらないといった様子で、所在なげに立ち尽くして
いて、
「ええと」と言ってから、「やっちまった」とぼやいているこの男に、
「おい貴様!」ジャックがそう叫び、
「貴様何者だ?」怒りをぶつけ訊ねると、
「ジェイ・アクロイド」ストレイト・アローが代わりに
「私立探偵だよ、ポピンジェイと呼ばれているね」と応えてくれた。
「あの小僧をあと少しで倒せたというのに!」怒りのまま手に持った煙草を
握りつぶして顔を突き出して、
「あいつをどこにやったんだ、アクロイド」と訊くと、
「飛ばしちまった」ととぼけた返事を返してきたアクロイドに、ストレイト・
アローが襟を掴むようにして揺すぶって、
「殺し屋はどこに飛ばされたんだ」と声をかけると、
「ああ」そう声を漏らし、
「ニューヨーク・トゥームズTombs(墓地の意:州刑務所のこと)だ」と
応じたアクロイドに……
ストレイト・アローはその手をとって、
「よくやった」などと声をかけているが、
ジャックは二人ともぶちのめしたい感情を抑えつつ、
「あいつは壁をすりぬけることができるのだぞ」と叫び、
「すぐに出てくるだろうな」と告げていた。
ストレイト・アローが気まずげに視線を落としたところに、
遠くから救急車のサイレンの鳴り響く音が聞こえてきた。
ジャックが二人の負傷者を見ていると、ジャクソンはタキオン
傍で膝をついていて、私服警備員たちが銃を抜いて取り囲んださまを
カメラはとらえているものの、
あいつがそこにもういない以上、また惨劇が繰り広げられることは
ジャックにはわかっていた。
もはや止めるすべなどないのだ。
すべてが砂のように指からすりぬけていくような無力感をジャックは
噛みしめていた。
これで得をするのはレオ・バーネットだけじゃないか。
とぼやきながら……