ワイルドカード7巻 7月23日 午前10時

    ジョージ・R・R・マーティン
       午前10時


タキオンは目に見えてふらふらした様子で
寝室のドアを開け、中に入ってきた。
冷や汗をかいたようで、髪が額にはりついて
いるのが見て取れた。
あまりにもひどい顔をしているものだから、
ブレーズでさえ、祖父の瞳を覗きこんでからは、
冗談を言ったり話したりをするのをやめて、
黙りこんでしまったほどだった。
「ミスター・アクロイド、こっちに来て
いただけますか、お願いですから」
タクはそう言うと、
「あなたに話があるのです」と言葉が継がれたところで、
ジェイが立ち上がるとズボンが足首のところにひっかかって
いるのを眺め、肩を竦めてひっぱってから、タキオン
着いていき、リビングに入った。
「それでハートマンは何と?」ジェイはルームサービスの
トレイを眺め、まだ何か食べられるものはないかと思いつつ
そう言うと、
「ミスター・アクロイド、一つお願いしたいことが
あるのです」そう被せられた言葉に、
「構わんさ」ジェイはそう応え、
「言ってみな」と言葉を継ぐと、
タキオンは宥めるように手を上げると、
「早まった真似はしないでいただきたい。
つまるとこところ私を信じて全て任せて
おいて欲しいということです」
そこでジェイはトレイに薄く切られたオレンジを
一かけら見つけ、
Jesus Christ(おいおい)タキス流の婉曲な
言い回しというやつかな、タキオン
つまりそれはどういうことなんだ?」
それを齧って果汁を飲んだところで、
「ハートマンは私を脅してきたのです、
もちろんきっぱり断りましたから……
とはいえまだ時間は必要でしょうね、
一日か、二日もすればすべては終わるのでは
ないでしょうか、これでハートマンは指名を
失うことにはなるでしょうね」
タキオンはそこまで話してから、しばらく
黙りこんでいた。
それから言葉を絞り出すのも辛いといった
様子で、
「その時間を、あなたに作っていただきたいのです」
と言いだした。
「それで?」そう言ってから、
「何をすればいいんだ?」と被せると、
「ある男をアトランタから遠ざけていただきたいのです、
あなたならば物理的にそれが可能でしょう」
えらく剣呑な話になったな。
ジェイはそう思いつつも、
「それで?」そう訊き返し、
どいつを飛ばせばいいんだ?」と言葉を継ぐと、
タキオンは目を逸らしつつ、サイドテーブルに
置かれた半分ほど残ったブランディを見つめていたが、
溺れた者がライフセーバーにしがみつくかのように、
それを掴むと、一飲みしてから、
「遠い昔の話になりますが」ゆっくりそう話してから、
背中を向けたまま、
私はその男に死にかけたところを
助けられたことがありましたが、それと引き換えに
取引をももちかけられたのですよ」と言葉を
絞り出した。
天使でも悪魔でもかまわなかったわけだ。
殺しができて、エースならなおいいと、
そういう類の話でもあったのだろうな。
そう思いつつ「Shitなんてこった」と悪態をついてみせ、
軽く肩を竦める様に手の平を上にあげてみせると、
「簡単に断れる状態ではありませんでしたから……」
タクは空になったブランディグラスを見つめ、
掴んで軽く回すように振ってみせると、
「あれは1957年のことでした、私はKGB
スカウトされたのです。
「そう断れる状態ではなかったのです、酒のためなら何でもすると
いう状態でしたからね、それで何年か過ごしたわけですが……
彼らの期待には到底及ばない体たらくと判断されたのでしょうね、
私は放り出されて、再び自由の身となったわけですが……
その男が再び私の前に姿を現したのです、それであの男は
アトランタにいるのです」そうまくしたてていた。
ジェイは驚いてタキオンを見つめ、
異星の王子がソビエトのために働くなんて正気の沙汰とも
思えない。
おそらくこれからタキオンが、自分が実はエルフだったと
言いだしたとしても、これほど驚かなかったのではあるまいか。
「なんのために?」ともあれそう言葉を投げ返すと、
「ハートマンですよ」タクはそう応え、
ハートマンの正体に気づいて、それを暴きに
来たと言っていました、別の姿に身をやつしてはいますが……」
と言いだしたところに、
「どんな姿をしているというんだ?」と訊き返すと、
「ブレーズの、家庭教師をしているのですよ」
そこまで聞いて、「Oh Hellなんてこった」と悪態をついていた。
そして笑えばいいのか叫べばよいのかわからないような
やりきれなさに襲われつつ座り込んでいて、ともかくタキオン
泣き出すのではないかと身構えていると、
「ハートマンはそれを知って脅しにつかってきましたから、
それが暴露されればただではすまないでしょうね。
だからせめてあの男を遠ざけておく必用があるのです」
そう継がれた言葉に、
「そいつをどこかに飛ばせと……」そう言い返すと、
「そうです、FBIやアトランタ中の私服警官も
動員してジョージを探しているでしょうからね」
タキオンがそう応えたところに、
「あんたはまだ共産主義者なのか?」と言葉を被せ、
タキオンにまっすぐ視線を据えると、
喉にまきつけられたナプキンを掴んで緩め、
肩を軽くつり上げてみせながら、
「どう思いますか?ミスター・アクロイド」
などと言いだしたではないか。
「まぁ大体わかったよ」ジェイはそう応え、
腰を上げ、
「俺にはそんな昔の話なぞどうでもいいことだからな、
さっさとそいつはどっかにやっちまおうじゃないか」
と言うと、タキオンは軽く頷いてから、寝室に向かい、
「ブレーズ」と声をかけていた。
「その子を連れていくのか、それでいいのか?」
驚いてそう言葉を漏らすと、
「もちろんです。おいで幼子よ」
タキオンはブレーズにそう言うと、
少年の目に毒を含んだような剣呑な光がよぎったのに
気づかずに「ジョージおじさんに別れを告げねば
なりませんから」と言葉を継いでいたのだ。