その21

   ウォルター・ジョン・ウィリアムズ
         午後5時


オーバープルーフ・ラムが胃を炎のようにちりちり
焼くのを感じながらも、さらにがぶ飲みしてから
ボトルをポケットに仕舞い込んだ。
それはタキオンが病院に運ばれたのを確認して、私服
警備員たちからも解放されてから買ったものだった。
ズボンの裾や靴にまだ血がついたままながら、それに
ついては考えないことにした。
オーバープルーフの助けを借りれば忘れることもできるに
違いない。
オムニの何か所かある裏口から外に出たところで、
おっと、とつい声を上げていた。
そこに潰れたような平たい鼻をした巨漢の守衛がいて、
目の前で通行証を振ってみせている白髪交じりの男に、
手を振る仕草をして、裏口から通らないよう遮っている
ではないか。
確かコーナリィという名だっただろうか。
どうやらその男とコーナリィは口論しているようだった。
「悪いがね、誰もいれるなと言われているんだ……」
「出ることはできたじゃないか、見ていなかったのかね?」
「入れない、と言っているんだ……」
「代議員をしている娘に会いにいくだけじゃないか、通行証も
あるんだよ……」
その冷たい声に、背筋が寒くなるのを感じ立ち止まると、
10フィートばかり向こうにいるその男がなぜだか見覚えのある
白髪交じりの男の肩越しに胡乱な視線を向けてきた。
それにしてもこの白髪頭の男とどこで会ったのだろうか。
そんなことを考えていると、
「いいかい」コーナリィがゆっくりと言い聞かせるように
言葉を継いでいた。
「例外はない、誰も通すわけにはいかないんだ……」と。
「私はいいんだよ……」白髪頭の男はいやいやをするように
首を振ってそういい募ったところで、コーナリィはベルトに
手を伸ばして鍵束を掴み、ドアを開けていた。
ジャックが驚きに目を見開いていると、
「ご親切にどうも」と言って白髪頭の男は中に入っていった
ではないか。
ジャックも何かおかしいと思いながら通っていこうとすると、
コーナリィが胡乱な視線を向けてきて、
「どこにいくつもりだ、このくそ野郎」
と言って絡んできたではないか。
そこでジャックは笑顔で受け流そうとして、
「俺は代議員だよ……」と言ってみたが、コーナリィは
聞く耳を持たず扉を閉め、鍵までかけて、
「誰も通せない、そういう決まりなんだ……」と言って
いる。
ジャックは扉のガラス窓越しに控えの間に向っている白髪の
男に視線をむけながら、
「あの男は通したじゃないか」そういい募ったが、
肩を竦めて取り合おうともしないコーナリィに、
「俺は代議員だぞ、あの男は代議員ですらないじゃないか」
と言葉を被せると、
「あの男はあんたのようなくそ野郎じゃないからな……」
などと言う始末だ。
その騒ぎに気付いたのか、扉の向こうの白髪の男が、手を
上げてコーナリィに向けて親し気に振ってみせたが、
ジャックの姿を見た途端、その手をだらんと垂らして、
髭面の貌の表情が石にでもなったかのように凍り付いたよう
に思える。
そこでジャックはようやく思い出した。
タイム誌の表紙を飾っているのをもたことがある、確かジョッシュ・
デビッドソンという名で、セントラルパークでリア王を演じていた
のではなかったか。
そこで奇妙なことに、ジャックは別の記憶を思い出していたのだ、
港湾労働者たちがテーブルの上で「ラム・アンド・コカコーラ」を
歌う光景を。
「すまない、シェイラ」そんな言葉もまた思い返されてきた。
「こんな好ましい老人には会ったことがない……」
そんな言葉すらも……
そうだ、確かにデビッドソンに会ったことがある、あれは確か50
年代のことでHUACの査問委にかけられる前のことで、共産主義者達の
集会に潜りこんだときのことだったではないか。
あそこにはアールがいてデヴィッドがいて、ブライズにホームズ氏も
いたではないか。
それなのに彼らは抵抗らしい抵抗もせずに彼らを通したではないか。
突然ジャックは駆けだして驚くコーナリィをしり目に、入り口の一つに
向うことにした。
ジョッシュ・デビッドソンだ、彼こそが秘密のエースなのだ……
扉に辿り着く途中でポケットからオーバープルーフのボトルを落として
割ってしまったが、構いはしなかった。
表向きはジャックこそがフォー・エィシィズ唯一の生き残りと
されていて、ほとんど知る者がいない事実ながら、一人行方不明と
なっている男がいるではないか。
連邦議会に対する法廷侮辱罪でアルカトラズ島に三年間収容されて
いたが、1953年に船に乗せられて、特別徴用という名目で出て
以来、その消息は不明となっているのだ。
それからあの男を見たものはいないとされていて、死んだとか殺された
とも噂されている一方で、モスクワに亡命したとか名前を変えてイスラエル
移住したとも囁かれていたではないか。
もし整形手術を受けていて、身体を鍛えて体形を変えて、髭も生やして
いたらどうだろうか。
ボイスレッスンを受ければブロードウェイ俳優になることもできたので
はあるまいか。
こんなに好ましい老人にはあったことがない……
そうなって当然なのだ。
誰からも嫌われることはないに違いない、そうデビッド・ハーシュタインならば、
フェロモンを使うまでもなく、誰も逆らうことはなく、
望む通りに行動させられるに違いあるまい。
ジャックは扉の傍に立つ男にIDを示しつつ通り抜けて、
人ごみを過り他の代議員たちの視線をものともせずデヴィッドソンを
探していると、
目指す相手がとある部屋に通ずる回廊でその男を見つけて、
追い縋ってその手を掴み、「おい」と声をかけると、
デビッドソンは振り返り、ジャックの手をはねのけて、
黒曜石を思わせるその瞳でジャックを見つめながら、

「あなたと話すことなど何もありはしませんよ、ミスター・ブローン」
そうつれなく向けられた言葉に、
苛立ちながらも向かっていて、
「俺が話したいんだよ、ハーシュタイン……」
そう言い放ち、
「40年ぶりじゃないか……」と言葉を添えると、
ハーシュタインは恐怖で耐えかねないとばかりに、心臓を掴むような大袈裟な
仕草でひるんでみせてから、肩を掴んだジャックの手を掴んで、
冷たくジャックの手を振り払うようにしながら視線をそらし、
壁にもたれつつも、
「今であるなら、後にはくるまい。後に来ないというならば、すなわち今くると
いうものだろう。今来ないにしても、やがて来るに違いない……」
そう言い放たれた言葉に、
「肝心なのは覚悟だ(ハムレットの一節)」とジャックは難なく言葉を継いでいた。
高校時代にLaertesレアテーズを演じたことがあったのだ。
ハーシュタインはそれに鋭い視線を返しながらも、
「見つかったというのは、そういう巡り合わせだったのかな?」
「どうだろうか?」
「何を話す必要がある、突き出せばいいじゃないかね?」
そう交わされた言葉の後にジャックは気を落ちつけさせてから、
「俺は誰も突き出したりはしないぜ、デヴィッド」と応えると、
その俳優は人を小莫迦にしたような顔をして、
「だとしたら、大した進歩といえるだろうな」
と放たれた言葉に、
「あんたは演じることに関しては一角の頭角を現したってわけか?」と返すと、
「三年の間、模範囚を演じていたからな」と返されて、
「だとしても俺のせいばかりとはいえまい」と応えてから慌てて言葉を継いでいた。
「第一あんたが収監されたのは、俺が証言する前だったじゃないか」と。
「それに何の違いがあるというんだ」デヴィッドソンはそう言って肩を竦めてから、
「精々あんたが多少気に病まなくてすむぐらいのことではないかね……」
と継がれた言葉に、
ジャックは目を白黒させつつも、その表情を悟られないように壁に視線を向けていた。
まるでハイラムに重力を制御されたときのように、
肩に重くのしかかる感情に耐えかねていたのだ。
確かにジャックが引き金を引いたことに間違いはあるまい。
それでブライズもあんなことになってしまったのだから、
ハーシュタインはその感情を読みすかしたかのように視線を向けてきて、
「刑務所からでてすぐに、ブライズに会いにいったんだ。
あれは1953年の11月だったな……
何食わぬ貌で看守と話しながら独房に入って行って、
何も心配はないと告げはしたが、
実際には心配ないどころではなかったわけだ。
それから三週間の後に、あの人は死んだのだからね」
「悪かったと思っている」とジャックが言葉を零すと、
「悪かった、だと?」
ハーシュタインはその言葉を舌の上で転がすようにしながら、
それ自体を返すかのように言葉を継いできた。
「あんたは簡単にそう言うがね、我々にとっては刻の砂を数え、
祈るように費やされてきた日々だった、それをあんたは……」
そこでハーシュタインは視線をジャックに据えたまま、
「ほんのわずかな風の一吹きさえも、そんな日々を簡単に帳消しに
できるのだよ、ジャック……」
そこでハーシュタインは抑えきれない感情をすべて押し殺したとでも
言うような冷たい視線でジャックを見つめていたが、
「構わないでくれないか、ジャック、そして二度と私の前に現れない
でくれないか……」
そう言い捨てると、視線を反らし歩み去っていった。
ジャックはそこで壁にもたれ、恐怖と悔恨の感情に震えていたが、
5分ほどでなんとか気を取り直して立ち上がり、
多量の汗を身体に感じ身震いしていると、
代議員達は憐れみと軽蔑の入り混じった視線を向けて取りすぎていった。
まるでどうしようもない酔っ払いを目にしたときのように……
もはや酔いなど残っていない、完全な素面と言っていいのではあるまいか。
おそらく体中のアルコールが冷や汗と共に抜け落ちてしまっているに違いない。
そんなことを考えてジャックが講堂に戻ったそのとき、ジム・ライトが丁度
代議員の集計を読み上げていて、
そこで知ったハートマンの獲得数はもはや見る影もないものになり果てていたのだ、
もはや地の底に落ちてしまったかのように……