その11

      ヴィクター・ミラン
        午後7時


演台の後ろには使われていない広間があるが、
そこには地響きを思わせる低温が反響している。
外のバスケットボールのコートにひしめいている
ハートマン陣営のノーム達の喧騒が響いている
ようだ。
なんて愚かなのだろう。セイラはそう思わずにいられなかった、
羽毛に覆われた仮面の下で鼻息の荒くなったのを
感じながらも、
童話にでてくる、新王の即位を歓呼で迎える民衆の
ようではないか。

笑顔の仮面の下には地獄の悪魔の貌のあることを疑ってすらいないのだ。

そこで右胸のにNBCのロゴ、背中にはゴシック体で
≪ROBO TEAM≫と書かれた青いつなぎを着たがたいの
よい男から特別入場許可証の提示を求められた。
勿論偽名で写真もでっちあげたものなのだ。
遥か頭上にある微かな光で、金髪に覆われた顔の写真
が見て取れるが、勿論その顔はセイラの貌ではなくて
ジョーカーの貌であって、
これで仮面も被っていれば特殊部隊あがりの強面な私服
警備員の目すらも疑いなく掻い潜れると計算して用意
した写真だ。
ル・カレのスパイ小説を熟読しているから驚くことも
なかったが、
流石トップレベルのKGBエージェントだけあって、ジョージ・
ティールのつてはたいしたもので、
そうして執拗に練り上げられたハートマン対策は一朝一夕の
ものにはない周到なものであるのは明らかではないか。
そう考えて頷きながら、
白いドレスに留められた通行証を示すと、
「それじゃ」
男はそう言うと、
前屈みになって、NBCのロゴの脇の小型カメラに向って、
「通すには確認させてもらわないとな……」と言って
いるではないか。
そうしてミニカメラに通行証を翳したところで、
ヘッケラー&コックP7拳銃が鈍い光、いわゆる黒光りを
放っているのに気づかれて、
男はそれを取り上げると、
薬莢を確認し、シリンダーを回転させてみせながら、
「この光が何かわかるかい?この3つの光の真ん中で狙いを
定めるようになってるんだがね。
もちろん横についている安全装置を解除しなければ撃つことは
できないようになっちゃいるし、グリップの後ろを強く握らない
限りもう一つの安全装置もかかったままだ、わかるかい?」
セイラはその言葉に頷いて返しながらもつい耐え切れず、
「私はコルトウッズマンも撃ったことがあるわ、あれは22の時
だった、実際いとこの銃だったわけだけど.......」
「9ミリじゃたいしたダメージは与えられないだろ、まぁせいぜい
脅しをかけるぐらいにしか使えまい。
実際あいてを仕留めようと思ったら何発も撃ち込まなければなるまいな」
これ以上この男にかかわっているわけにはいかない。
そこでさっさと返してもらおうと手を伸ばすと、
男はセイラに銃を返してきて、
セイラがパテント革貼りの白い財布を開けてそこに仕舞い込み、
留め金を閉じていると、
「世界平和というものはこいつで保たれているというものだからな……」
と言って悦に入っているではないか。
「アンディの復讐を果たすにはこいつがいるの.......
ソンドラ・ファリンもカーヒナもクリサリスも、そして私もこいつを必用
しているわ・・・」思わずそう口に出してしまって、
それに言い返そうとしつつも何も思いつかずにいる男に、
つま先で立つようにして手を伸ばし、
優しく包み込むようようにしてその頬にキスをしてみせると、男は視線を
逸らして足早に遠ざかっていった。
セイラはその背中を見つめながらも。、
なんて愚かな真似をしてのけたのだろう・・・
あの男もうまくごまかされたと思っているに違いない。
ちゃんとしたスパイになるには気が小さすぎるわね……そうぼやき、苦笑せずにはいられなかったのだ。