その27 完

   メリンダ・M・スノッドグラス

       午後11時


タキオンはベッドで横たわっていた。
泥でできた怪物に押し包まれるようにして
抵抗虚しく病院に連れ戻されて、ジャックに
によって医者に引き渡されていたのだった。
包帯は巻き直されていて、肋骨の辺りにも
包帯が巻かれているがそれだけだ。
痛み止めを飲むのすら拒否していたのは、
孫がまだ見つかっていないからで、
見つけ出すには頭をはっきりさせておく
必要があったからだった。
そうして精神を探っていると、頭蓋の中の
脳髄が揺さぶられるように思いながらも、
暗闇のみに意識を向けていると、
痛みすら己を保つよすがになるというものだ。
そう考えてベッドから身を起こし、
吐き気と共に党大会でのことを思い返して軽い
混乱をも覚えていた。
ハートマンの精神をマインドコントロール
檻に閉じ込めておくという体験は凶暴な獣を
相手にするようで精神を打ちのめされたように
感じていたのだ。
そこで悔恨の念に捕らわれはしたが、
ゆっくりと醜く切り落とされた腕を持ち上げて
いると、
悪意すらも悔悟の揺らぎの中に薄れていって、
そして悟っていたのだ。
もはや外科手術を施すことも適うまい

どうすることも適わない、呪うことしかできはしないのだ、と。
そうして口を厳しく引き結びながら、
ベッドから這い出して、
Nagyvaryナジヴァリィ(ヴァイオリン)がケースに
入ったまま、
カーテン越しの街の明かりの荒い粒子が綺麗に
磨かれた木目を照り添えているのを見て、
その光が弦を踊らせているように思えて、
溜息のごとき調べを解き放つべく、優しく
その弦に手を添わせたところで、
怒りが膨らんできて、
ヴァイオリンを掴み、激しく壁に叩きつけると、
木部の割れる音と同時に、弦の弾ける耳障りな音が
して、痛みを訴える叫びのようだと感じながら、
バランスを崩して、身体を支えようとついうっかり
右手を床に突き立ててしまい、叫びをあげて
いて、
暗闇の中に何かが踊ったように思っていると、
突然肩に手が添えられていた。
誰かが支えてくれているようだ。
「おいおい!一体何をしているのかな?」
それはポリアコフの声で、ベッドに身体を戻して
くれているではないか。
「一体……どうやってここに入ったのだね?」
そう声をかけると、
「俺はスパイだぜ、忘れたのか?」
そう返された言葉に、
痛みを堪えつつ、上唇を舐めて、塩辛い味を
感じながら、
「とてもまともに取引できる状態にありませんよ」
と言葉を絞り出すと、
「ともかく話そうじゃないか」
ジョージはそう言いながら、タクの脱ぎ捨てられた
衣服の間をひっかきまわしてフラスクを見つけ出し、
「まだ残っているようだな」などと言っているではないか。
異星の男が不平を漏らし、己の弱さを呪いつつ、
「ヨーロッパへ、そして極東に逃れた日々は私にとって
不協和音と呼べるものでしかありませんでした、また
それを繰り返すことになるのでしょうか?」
ポリアコフはブランディを一口呑むと、
「随分世話になったもんだったな」
そう返された言葉に、タキオンが唇を微かな
苦さを感じさせる形に歪めながらがね、
「それで?あなたはグレッグの悲劇的錯乱というやつを
信じていないのですね?」
「ちと腑に落ちないとは思っちゃいるがね」
溜息を洩らしながら・・・
「まぁそんなところでしょうか……」
ポリアコフは不満を露わにした顔をして、
「それで良いと思っているのか?」
タキオンは応えず、フラスクを受け取って、
一口飲みつつ、
「胸に収めかねると?表にでないにこしたことは
ないでしょうに。
ジョージ、さてこれからどうしたものでしょうね、
レーブンワース砦(カンザス州の都市で、ドイツに
似た街並みが築かれていた)にでも籠って独房でも
シェアして暮らしますか?」
「あんたはどうなんだ?」
「あまり言いたくはないのですが、お願いしたいことが
ありましてね、どうか手をお借りしたいのですよ、私の
性悪な孫はご存知でしょう、私がこうして監禁されている
間に、あの子がどうなってしまうかと思うと気が気では
ないのです……」
そこでポリアコフが腰を下しているマットを軋ませて身を
乗り出しながら、
「なぜ俺なんだ?」
「世話になったとおっしゃったではありませんか?」
「赤の他人ということにしといた方がよかったかな?」
「もちろんそれで構わないのですがね」
ロシア人はもう一口大きくブランディを飲み下し、
「どうやってブレーズの手綱を握れというんだ?」
ため息交じりにそう零したが、
「愛情しかないでしょうね、ところでジョージ、
あの子がどこに行ったか掴んでいますか?
いまどこにいるのでしょうね?どこかでひどい目に
あって私に助を求めているのでなければよいのですが……」
そうしてつい声を荒げたところで、ポリアコフはタキオン
ベッドに押し戻すようにしつつ、
「感情的になったところで何も解決しやしないぜ」
タキオンがそこで毛布の端を弄びながら、壁をじいっと見つめて
いると、
「一ついい話がある、FBIに話を通しておいたぜ、あんたを隔離
しなきゃならんからと言ってね・・・」
「ああジョージ、何とお礼を言っていいやら……」
枕に頭を深く沈めながら、
「お別れですね、ジョージ、本来なら握手でもする場面でしょう
けれど……」
「それじゃロシア式といこうじゃないか」
ポリアコフはタキオンを抱きよせると、両頬にキスをして、
タキオンはタキス式に額と唇にキスをして返すと、
ロシア人は寝室のドアのところまで行ってから立ちどまり、
「俺を信用できるかどうかわからないだろうに」
などともごもご言っているではないか。
「私はタキス人ですからね、少なくとも名誉というものは
信じることができますからね」
「そいつは過大すぎるお言葉だな」
「名誉などはどこにでもあるものですよ」
そして言い交わしたのであった。
「お別れだな、ダンサー」
「お別れですね、ジョージ」と......