6巻Ace in the Hole 第8章その8 完 

   メリンダ・M・スノッドグラス
        12時正午


タクが背筋が凍るような感覚を覚えていると、
「小さいころのことを思いだしたの……」
そこでフルールは微かな笑みを浮かべて見せて、
「中国で赤どもにちょっかいを出してから姿を
見せないと思っていたら、そんな髭で正体を隠して
いたのですね……」
そこで再び微笑んでみせて、ジャックに視線を
向けると、
「(断ちがたい)家族の古い友人達というわけね……」
と露骨に悪意を込めて言い放ったではないか。
巨体のエースが焦ってハンカチを取り出し眉の上
辺りを拭いつつ、
「それもいいかもな」ともごもご口に出していると、
ジャックが端を掴んだまま忘れていたアール・
サンダースンのグライダーが指から滑り落ちて、
タキオンがそれに手を伸ばし、掴み取って、
そっと手の平の上に乗せていると、
「そいつはあまり愉快な響きではありませんな」
とデヴィッドが口を挟んでいて、
「私の胸には良き友として思い返される人々ばかりですから」
タクがそう言ったデヴィッドに視線を向けて、
「過去の亡霊が集結したといったところでしょうかね」
と言い添えると、
フルールはとんでもないといった感情を表情に込めながら
視線を向けて、
「私はあの女ではありません!」と言い返したが、
「目なんか父親似だね」とデヴィッドは優しくすら感じられる
言葉を重ねていて、
それは叱責でも何かを仄めかすものでもない素直なものであったから、
フルールはかえって混乱し真意を掴みかねていてたが、
「あなたに私の何がわかるというの?」となんとか言葉を絞り出して
きて、
「知る由もない」デヴィッドはそう返し、
「哀しいことですがね」と言い添えると、
フルールは一瞬デヴィッドを抱き締めたくなる衝動に襲われている
ように思えた。
実際タキオンも同じ衝動を覚えていたのだ。
そこで4人の間に沈黙が絡みつくように流れ、
フルールはデヴィッドの暗くそれでいて慈しむような瞳を見つめ
ながら、涙を溢れさせていて、それがゆっくりと頬に零れ落ちて
いったところで、恐怖が呼び戻されたとばかりに頬に手を添えつつ
「なんてことを、私にその力は使わないでください」と
激しい調子で言い放っていたのだ。
タキオンはそれに溜息をつきつつも、
「話す必要があるようですね、フルール」と言葉にしていると、
「叫びだしたいくらいです」と激しい恐怖を滲ませた言葉が返されて
きて、
「お願いですから落ち着いてください」デヴィッドがそう言って、
「何も怖がる必要などないのですから」と言い添えると、
一瞬フルールは沈黙したように思えたが、
「いいえ、私だけあなたがたとは違うのですよ、怖くて当然でしょうに」
そう返された言葉に、
「何を怖れる必要がありましょう?」デヴィッドはそう言い返していて、
「年老いた俳優に片腕の男、そして臆病な人間がいるだけですよ」
そう継がれた言葉に、ジャックがぎょっとして、
「おい」と言いかけたが、言外の意味に思い当たって顎を掻きながら
沈黙していると、
フルールは肘を抱くようにして、
「あなたがたにはわからないでしょうね、実際理解できないのではないですか?」
3人の男に視線を向けられながら、
「人を痛めつけて捻じ曲げることのできる力のある人間にはそれを怖がる
人間の気持ちなどわからないのでしょうね」そう継がれた言葉に、
ジャックは視線を逸らしてタキオンの手に握られたグライダーを見つめて
いたが、
「ただ自分と違うだけの人間を怖れる必要などない、明確な境界線も引く
べきじゃない、ワイルドカードに感染しているから、違う信条をもつから、
違う肌の色を持つからと……確かアールはそう言っていたっけな」と
自分にいいきかせるようそう口に出していたのだ。
「暴力を振るわれるかもしれないことが怖いと言っているのですよ」
「暴力を振るう人間などごろごろいるがね」ジャックはそう言って、
「その中でワイルドカードに感染している人間などほんの一握りもいない」
「そう言うのは簡単でしょうね、あなたは振るう側の人間なのですから」
フルールはそこで言葉を切っていたが、
「あなたがたは私達をNatsナッツと呼ぶじゃありませんか?本来はNatural
短縮しただけの言葉かもしれませんが、そこにはGnatsナッツ、すなわち虫けらと
いう意味がこめられているのではありませんか?
簡単にぴしゃりと叩いてつぶすことのできる虫けらぐらいに思っているので
しょうけれど、我々は法に従って適切にあなた方を取り締まるまでです、
もちろんあなた方は虫じゃありませんから、その力を使って殴り返してはくる
でしょうけどね」そう継がれた言葉に、
「フルール」デヴィッドはそう呼びかけて、
「あなたにだって力はあるでしょう、私の人生をめちゃくちゃにすることが
できるではありませんか」
そう返された言葉にフルールは長い間ためらいながら、その顔を見つめていたが、
「その心配はないでしょうね」
それは頭にアイスピックを突っ込んだような冷たい声だった。
「私はそうするつもりはありませんから……」そう継がれた言葉にデヴィッドは
頷いていた、全てわかっているといった調子で、
「エレベーターを動かしましょう」そう促されタキオンが恐る恐るボタンを押すと、
ガクンという音と共にエレベーターが上がり始めた。
「まったく冷や冷やさせやがる」ジャックはそう言ってデヴィッドに視線を向けながら、
「中国で毛という男とあったときのことを覚えているか?あのときもひどいことに
なったじゃないか?きっとフルールはエレベーターを降りた途端、笛でも吹いて人を呼び、
騒ぎたてるんじゃないか?」
「あの人にはそうする権利がありますからね」
タキオンもそう言って夢から覚めたように身構えていると、
デヴィッドがその昏い瞳をタキオンに向けながら、
「それでも紳士的にふるまうに越したことはないさ、つけは充分に支払っているの
だから、それが増えたところでどうということもない」
そう言ったところで、着いたと見えてドアが開いて、フルールが外に出たところで、
「フルール(花の意)の・・」ジャック・ブローンは恐る恐るそう呟いていて、
「あの名の由来は平和なものだったがな、そいつが信じられたらそれにこしたことは
ないだろうがね……」と言っていると、
フルールはその姿をしばらく見つめてはいたが、
タクがあの人は今何を思っているのだろうか?
簡単に理解できることではないでしょうしね。
今は考えてもどうしょうもありませんが……
などと考えているうちに、
何も言わずに行ってしまった。
そうしてドアが閉じられて・・・
タキオンが皆の顔を見交わしていると、
「出ていく瞬間壽命が縮まったのじゃないかな」
ジャックがそう言い立てて、
「ちょっとしたギャンブルそこのけでしたね」
デヴィッドがそう返すと、
「やっぱり父親似じゃないかな」とジャックがまたそう言って蒸し返しているところに・・・
タキオンはアール・サンダースンのグライダーをグライダーをジャックに手渡して
車椅子に手を掛けながら、
「母親似でもありますよ」
そうして過去の亡霊を載せたエレベーターは昇っていったのだ、
青空の下目指して……