6巻Ace in the Hole 第8章その7 

   ウォルター・ジョン・ウィリアムス
         12時正午


Maitre d`支配人はさぞ苦い顔をしているに違いない・・・
ホテルはC-note(C‐ノート:10ドル紙幣)の出る幕がないほど
閑古鳥が鳴いていて・・・
ベロ・モンドももはや混んではいないときたものなのだから・・・
ジャックから昼食に誘われたタキオンはそんなことを考えながらも、
出された料理を食べられずにいて・・・
タキオンのプレートにはフィレ肉が半分ほど残ったままになっているにも
関わらず、ジャックの方はNew york cut
ニューヨーク・カット(フィレ肉を焼いたポーターハウスステーキ)を殆ど
たいらげていて・・・
「食え、たんと食え、ドイツではそうやって母からせかされたもんだったがな」
などと言っているではないか・・・
「お腹がすいていないのです・・・」
「力がつくぜ、まぁ食べな・・」
タキオンはそういうジャックに胡乱な視線を向けながら・・・
「私達二人の・・・」そう切り出して・・・
「どちらが医者でしたでしょうかね?」そう向けられた言葉に・・・
「どっちかが患者であることは間違いあるまい」ジャックがそう返すと・・・
タキオンは岩のように沈黙していたが、ジャックが酒を取り出すと・・・
ちなみにバーボンだ・・・
タキオンの目が細められて・・・
「申し訳ありませんでした、ジャック、ちとマナーに外れた言葉をぶつけて
しまいましたね・・・」
「それでいいのさ」
「むしろ礼を言うべきでしたね、あなたはブレーズを探そうとしてくれて
いたのですから・・・」
「俺だって見つかればいいと願っちゃいるんだがな・・・」
ジャックはそう言ってテーブルに肘をついて溜息をついてから・・・
「何か良い知らせがあればいいんだがな」と言い添えているジャックに・・・
「何でもいいんですがね」とタキオンも応えていて・・・
ジョージ・ブッシュの指名は固まったようだな」
ジャックはプレートを見つめながら・・・
「これが最新の情報といったところかな、世界が変わることを望みつつも
いつも禄でもない結果にしかならんわけだが・・・」
そうぼやいていると・・・
首を振りながら・・・
「それに関してはコメントしかねますな、ジャック」と言っているタキオンに・・
「やることなすことどうしようもないな、実際正しいと判断して選んだ男があの
ざまなのだから、いたたまれなくてどうしようもないな・・・」
そう返してバーボンを含んでいると・・・
「冥府を思わせるひどい世界といったところでしょうか・・・」
「少なくとも、不幸をだしにして小金を稼ぐしかできないときたものだからな」
ジャックはそう言って深くクッションにもたれながら・・・
回顧録でもだそうかな、そいつを読めばどう道を誤ったか気づけるかも
しれないようなね・・・」
回顧録か?
ジャックはそこでもの思いに沈んでいった・・・
俺はどれほどの時を過ごしてきただろうか?
確かジェットボーイが死んだときは、まだ22歳でもう少し
幼かったものだったが・・・
それでもそれから外見上はまったく年を取っていないようにも思える・・・
少なくとも・・・
映画スターになった頃はまだ世界を変えることができると考えていたのでは
なかったろうか・・・
世界が光を失って、その身に落ちかかってしまう前のことだったが・・・
朝鮮半島でも多くの人命を救いはしたものの、その後にしでかしたことで
総スカンを食らったのだった・・・
まぁジョルスン物語を観てはいたがね・・・
そこでジャックは回顧録のでだしを思いついていた・・・
最初はこうだ・・・
ジェットボーイが死んだのはそう・・・
丁度ジョルスン物語を見ていたときだった・・・
そんなことを考えながら黙っていると・・・
タキオンがうとうとしているのにジャックは気づいて・・・
レストランの勘定を済ませてから、車椅子を押してレストランを出て・・・
エレベーターに向かうと・・・
モールでもグライダーを売っていた男がテーブルを広げていて・・・
紙のグライダーを広げながら、友達と話し込んでいるようだった・・・
そこでジャックは車椅子から手を放し、一揃い買い込んで戻ってくると、
タキオンは目を覚ましたようで・・・
グライダーを掴んで見せて・・・
「ブレーズにと思ってね・・・」
ジャックはそう言って・・・
「見つかったらあげればいい」
「感謝しますよ、ジャック」
そんな言葉を交わしながらエレベーターに乗り込んでいた・・・
この一週間色々あったがまともにエレベーターに乗るのは初めてではなかろうか・・・
そんなことを考えながらタキオンの降りる階のボタンを押して、エレベーターに
身を任せていると・・・
足もとが覚束ないような眩暈に似た感覚に襲われて・・・
ともあれグライダーを落とさないよう気を配っていると・・・
掴んだアール・サンダーソンのグライダーのゴーグル越しに
険しい視線を向けられたように思えて・・・
アールに一体なんといったらいいだろうか、と考えていた・・・
勿論最初に謝るべきだろうが・・・
そんなことを考えていると突然エレベーターががくんと音を立てて
停止して、ジャックが己の胃が縮み上がったように感じていると・・・
ドアが開いて、あろうことかデヴィッド・ハーシュタインが乗り込んで
きたではないか・・・
そんなジャックに申しわけないといった視線を向けつつ・・・
「知っていたのですね」そう切り出したタキオンに・・・
「ああ知っていたよ」とジャックが応えると・・・
「知られちまってね・・・」
デビッドはそう言って温かくすら思える微笑みを浮かべている・・・
そこでガラス貼りのエレベーターが上に登り始めて・・・
ジャックがまた胃の辺りに違和感を覚えつつ額に汗を滲ませながら
何かいうべきかと考えていると・・・
またがくんとエレベーターが止まったかと思うとドアが開いて
あろうことかフルール・ヴァン・レンスラーが乗り込んできたのだ・・・
後ろを振り返って、友達にさよならを言いながら・・・
そしてドアが閉まって、フルールが前を向くと・・・
しばらく皆息をのんだような状態になっていたが・・・
エレベーターが上がり始まると、突然タキオンは右手の包帯をした方の
手で停止ボタンを押そうとして、獣じみた唸りで痛みを訴えていて・・
デヴィッドが屈んで代わりに停止ボタンを押していると・・・
「ともあれ心配には及びません」と取り繕ったタキオンが・・・
勿論心配などなく、少なくとも問題はないとばかりに・・・
瞳を湿らせようとするように瞬きのみを繰り返していると・・・
「デヴィッド・ハーシュタインだったのね」
全く面白くもないといった調子でフルールはそう言っていたのだ・・・