ワイルドカード4巻「背負いし獣」その2

                背負いし獣 


                  その2  
              
                ジョン・J・ミラー


ティ・マリスはことに性交によって得られる感覚を好んでいる。
特に女性をMount依代にした際に、その感覚は顕著に感じられる。
女性というものは総じて、快楽の感覚というものが、男性に比して
持続しやすく、興奮状態が長い傾向があるということだろうか。
もちろん性的感覚というものにも個体差はある、
シルクが乳頭をこする微かな感触を感じるものもあれば、
いきりたつ男性の欲望によってもたらされるオルガズムに対してさえ
鈍い固体すらある。
依代が代われば感覚も変わるということか。
とはいえもはやとりたてこれといった感慨もありはすまいが、
今宵は敏感な若い娘を依代にし、娘は己を慰め、ティ・マリスはその愉悦と
そこからもたらされるものを愉しんでいる。
依代から、<夕食のあとは皆ばらばらになり、各々の娯楽を求めにいく、
どれかを選ぶのは難しいものね>と」いう意識が伝わってくる。
それはティ・マリスにとっても肯ける話だ。
としてもそれは彼ら自身の世界であって、ティ・マリスは必要にかられ
宿っているにすぎない。
彼らの口唇から何らかの感慨が漏れでて、その意味を汲み取ったところで、
ティ・マリスは詞を返しはしない。
返そうと望んだとしてもそれは適わないはなしだ。
第一に、ティ・マリスの口に舌はそれをするようには作られていない。
第二に、口蓋を締めて依代の首に吸い付く必要があり、そこから管のごとき舌を
出し、それは頚動脈に差し込まれているのだから適うはずもない。
とはいえ依代を通じ、その精神を読むことで、外の世界を容易に知覚はできる。
二つの眼球に移された情景は、赤裸々なままに、瞬時に齎される。
依代の感じた快楽と同様に……
ただ口付けを与えるだけでいいのだ。
青白くか細い腕に促されるままに、男の依代が女の上に覆いかぶさって、
挿入された女は盛大な呻きのような声を漏れ聞こえさせ始めた。
その情動の流れをより強く感じるべく、一方の頸動脈に差し込まれた
舌を抜いて、その穴を閉じ、さながらやせ衰えた猿のように、男の背中に
よじ登ると、肩を掴んで、その首に多く残る瘡蓋の下に舌を差し込ませていた。
すると男はその感覚が性的興奮より勝るかのように呻きを漏らした。
そうして女に跨った状態の男の依代の背中で、その血液を通じて
生きるのに必要な酸素や栄養を得つつ、言い表せない程の快楽を
分かち合っていると、予期せぬことながら時々あることでもあることが
起こった。
女の依代の頸動脈が裂け、紅くねばついた鮮血がシャワーの如く噴き出して
いたのだ。
それはこれまで感じたことのない快楽を彼に齎した。
そしてその快楽の感覚が終わりを告げたとき、彼は最も敏感な皮膚の感覚を
持つ依代を失ったことを悟ると同時に、予感のようなものをも感じていたのだ。
超常的な能力を備えた、新たな依代を得るであろう、という予感じみた感覚を……




                  ⅱ
国際宮殿は、ポルトー・プランスの中心に近い、北部にある平地のかなり広大な地域を
占めていて、その建物は、ワシントンDCにある国会議事堂と同じように、中央のドーム
と白く長い庇に、柱廊といった組み合わせで、南の端には、やはり軍事兵舎を思わせる
建物が見て取れるが、実際そこは兵舎なのではあるまいか。
宮殿の中は、今までクリサリスガハイチで見聞きしたものとは、著しく異なった様相を
呈していた。
あえて言うなら華美にすぎるのだ。
床には毛足の長いふかふかのカーペットが敷かれていて、廊下には調度に骨董があるだけではなく、古式ゆかしい制服に身を包んだ守衛まで詰めている。
そして上を見上げれば高い天井に、最高級の水晶で作られているシャンデリアがぶら下がっているときたものだ。
中に入ると、終身大統領ジャン・クロード・デュヴァリエにその妻マダム・ミシェル・
デュヴァリエをはじめとしたハイチの要人や閣僚の面々が接待に駆り出されていた。
Baby Doc Duvalier小ドク・デュヴァリエがその父Papa Flancoisフランソワ、いわゆるPapa Doc大ドク・デュヴァリエの死によって、その地位を継承したのは1971年のことだった。
タキシードに無理矢理身体を押し込んだといった体の男ながら、その幼く見える外見に反し、狡猾というよりは野心に満ちた頭のいい男ではないかと、クリサリスは思っていた。
でなければ財政破綻の状態にあったこの国で、これ程の権力を得るのは難しかったのではあるまいか。
その中でタキオンはと言うと、けばけばしい桃色をしたクラッシュト・ベルベットのタキシードに身を包み、デュヴァリエの右側に立って、ツアーメンバーの紹介を始めた。
その紹介がクリサリスに及んだところで、小ドクはクリサリスの手を取って、新しいおもちゃをみつけた子供のような視線を向けながら、
恭いフランス語で何か挨拶のような言葉を口にしていた。
その横にいるミシェル・デュヴァリエは、白い肌の映える薄い化粧をした背が高い華奢なファッションモデルのような見掛けながら、肩の露出した特注のガウンに身を包み、耳や喉元、手首に至るまで高価であろう輝石をちりばめている。
クリサリスはその価値自体は評価するものの、また自分の好みではない、とも思っていた。
そこでクリサリスが傍に歩み寄って、整った笑みを向けると、少し身構えはしたもの、けして握手を求めてきはしなかった。
クリサリスは軽い会釈のようなもので対処した。
この女は売女なのだ、と思いながら。
さらにその隣にはカリスが控えている。
この男は、デュヴァリエ体制における高官の地位を愉しんではいるとみえる。
とはいっても、何も話そうとはせず、クリサリスの存在そのものに何の関心もないように思え、ちらりと視線を向けて露骨に興味のなさを示したのみで、その感覚はクリサリスにとって居心地の悪い、これまでに感じたことのないものだった。
カリスにとって権力と権威を震えることのみが単純に意味を持つと言うことか。
クリサリスはそう思いつつも、どうしてこの男が、デュヴァリエなぞを旗頭において我慢できるのだろうか?
とのみ気にはなりつつ、
他の人間と握手を交わしはしたが、その顔とそれ以外もぼやけた残像のようにしか感じられないままでいると、
それもダイニングルームに向かうころには終わっていた。
木製のロングテーブルには、繻子のテーブルクロスが張られていて、銀製の食器が並べられ、その真ん中には、蘭と薔薇の芳香剤が置かれている。
クリサリスと、他のジョーカー達、ザヴィア・デズモンド、烏賊神父、トロール、それにドリアン・ワイルドが案内されて席に着きはしたが、それはテーブルの端の方だった。
マダム・デュヴァリエが何事か囁いたと見えて、その視線に入らず、その食欲を妨げないように配慮されてのことだろう。
そうこうしている内にワインが注がれ、魚料理(Pwason Roujプワソン・ルージュ、という名の料理で、鯛に新鮮なさやいんげんとフライドポテトが添えられたものと、給仕から説明があった)が供され、ドリアン・ワイルドがここぞとばかりに腰を上げ、マダム・デュヴァリエからの賞賛を期待して、何やら水の滴る右手の触手を振ったり震わせたりといった大袈裟な身振りを交えて、即興の韻を踏んだ詩を唱え始めたが、その触手から飛び散った緑色の液体を見て、あの女、マダム・デュヴァリエは、後から出てきた料理に対する食欲を些かなくしたに違いないが、
それも他のVIP同様、デュヴァリエの近くに席を用意されたグレッグ・ハートマンの傍らにドーベルマンよろしく控えていたビリィ・レイがワイルドを座らせるまでのことにすぎない。
それからとりたてこれといった事件も起こらず粛々と進み、ディナーのしめくくりとして、ワインが出たあたりで散会の体をなし、いくつかの塊に分かれ、会話がなされたときだった。
ディガー・ダウンズが近寄ってきて、クリサリスにカメラ向けを向け、
「笑ってはいかがですかな?クリサリス。それともDebra Joデブラ・ジョーとお呼びした方がよろしいですかな?オクラホマのタルサの人がどうして
イギリス訛りの英語を話しておいでか、我が読者に悟られることを気にしておいでといったころでしょうかね」などと声を掛けてきたではないか。
クリサリスはその言葉に対する驚きと怒りを狷介な笑みで覆い隠して返し、
一体どこまで知られているのだろうか、何か致命的な秘密を掴んでいるのではあるまいか?といぶかりつつも、ともあれ辺りを見回してみた。
近くにはビリィ・レイとバレリーナにしてエースのASta Lenserアスタ・レンサー、いわゆるファンタシィがいたが、ビリィはアスタの腰に手を廻し抱きよせようとしていて、アスタはそれに謎めいた笑顔を向けている。
どうやら互いにしか関心がなく、他の話を聞いてはいなかったようだ。
クリサリスはそう判断すると、怒りを滲ませないように用心しつつ、視線をディガーに向け、「何をおっしゃっておいでかしら?」そう言葉を向けると、
ディガーは笑顔を浮かべていた。
顔をくしゃっとした笑顔を青白い顔に浮かべてはいるが、
クリサリスは過去に関わった経験から心得ている。
この男は根っからの詮索好きで、香ばしい話題とあらば、なおさら煽りたてるに
違いない。
「いやその、ミス・ジョリィ、あなたのパスポート申請を拝見しただけのことでしてね」
それを聞いてようやく安堵することができたが、だからといって、この男に対する根深い反感の感情が緩むわけではない。
確かに申請用紙には本名が記されてはいるが、それだけのことだ。
ディガーにはそれ以上は探りようもあるまい。
例えば家庭環境とか。
それはクリサリスにとって苦い記憶でしかなかった。
長い金髪にはにかみがちな表情を浮かべていた幼い頃はちやほやされてはいたが、それすら良い思い出ではなかった。
ポニーや人形をあてがわれ、バトントワリングにピアノやダンスのレッスン漬け
であれたのも、父がオクラホマの石油成金だったからにすぎない。
母はいろんなところに連れて行ってくれたものだった。
リサイタルや教会での集会、お茶会と色々連れまわされたが、それもウィルスに感染するまでのことだった。
透明となった皮膚の下が透けて見える、歩く悪夢と言ったこの姿になってからは、納屋に閉じ込められることになった。
もちろんそれも人目につかないようにする善意からのものであったにしても、
ポニーや遊び友達からも遠ざけられ、外の世界から隔離されたのは7年に及んだのだ。
そう7年も……
ディガーのような油断ならない奴を相手にしなければならないのだ.
クリサリスは噴き出すような嫌な記憶に蓋をしつつ、今は目の前の
相手に集中することにして、
「知られたくない秘密というものもあるものですよ」
冷たくそう言い放つと、
ディガーはさもおかしいといった笑い声を立てて、
「あなたがそれを言いますか」と返しつつも、
思いがけない怒りの反応に気おされて真顔に戻り、
「もちろん、読者諸兄は、あなたの本当の過去などに興味を
おもちではないと思いますよ」
阿るような表情を面に浮かべ、
「知りたいのはジョーカータウンのすべてについて及んでいるその
知識でして、そいつでとある御仁のジョーカータウンとの係わりを
ご存じないかご教示いただきたいと思いましてね」
ディガーはそう言葉を継ぐと、わずかに、しかもはっきりと
ハートマン上院議員に視線を向けていた。
「彼の何を知りたいと?」そう訪ね返しつつ、
ハートマンはジョーカーの権利を守ることに熱心であり、強い影響力
を持った人間で、その姿勢を見込んで、クリサリスが資金の援助を
行っている数少ない政治家の一人だ、などと思い返していると、
「どこかで内密に話せませんか?」
ディガーはあからさまな好奇心を滲ませた表情で、そう提案してきた。
クリサリスはガウンの胴のところにピンで留めてある古式ゆかしいブローチ型の
時計で時間を確認してから、
「10分後に落ちあいましょう」と言って笑みを浮かべてみせた。
その笑みははたから見ていると、ハロウィーンの骸骨のように
見えるに違いない。
ヴードゥーの式典を見物に行くとでも言って出てきますから……
もし同行なさるというのでしたら、私の出自に対する共通認識の
すりあわせぐらいならできるかもしれませんね」
「そうか、ヴードゥーの式典とはね。
人形に針を刺したり、生贄を捧げたりするのかな?」
クリサリスは肩を竦めて、
「知らないはね、実際には見たことないもの」と応えると、
「写真を撮りに行くとでもいっときゃ不自然でもないか」と言って
悦に入っているダウンズを他所に、クリサリスは当り障りのない笑みを
浮かべつつも考えていた。
この同じ穴の狢というべきゴシップ好きな男を利用して、
一体ハートマンにどういった興味を抱いているかをききだすのも
悪くないだろうと。