「ワイルドカード」4巻第2章 第2節

      綾なす憎悪

        パート1その2

       スティーブン・リー


     1986年12月1日 月曜日 ニューヨーク

記者向けのレセプション会場は混乱を極めていた。
妻のエレンと随行員のジョン・ウェルテンはついてきていたが、クリス
マスツリーの下で、グレッグ・ハートマン上院議員は、ようやく落ち
着ける場所を見つけて安堵した。
それから引き離され不快な感情を発しながらかけよってこようとする
黒メガネの男達(シークレットサービス)と政府機関ジャスティス・
デパートメントのエース、カーニフェックスことビリー・レイに頭を
振るしぐさで離れているように合図を出しておいた。
小1時間の間、絶え間ないフラッシュに瞬きも許されず、カメラに向
かって笑顔を保ち続けてきたのだ。
室内は依然として、記者たちの浴びせかけるような絶え間ない質問の
声と、ニコンのシャッター音のノイズと、天井から吊るされたスピー
カーから漏れ出る、落ち着いたミューザックのメロディで満たされて
いる中、人々の関心はタキオンペレグリン、クリサリスの周辺に集
まっており、タキオン赤毛が人々をひきつけるビーコンと噂される
ほどだ。
ペレグリンとクリサリスがその魅力で、どちらがよりカメラ映えする
かを競う中、かたわらに佇むジャック・ブローン<ゴールデンボーイ
エースのユダだ>だけは、つとめて無視されるにまかせている。
エーシィズハイからハイラム・ワーチェスターが伴ってきたスタッフ
が簡易テーブルを広げ始めたころには、人影も幾分まばらになって、
記者達もトレイの美味に関心を移しはじめたようだった。
「ボス、よろしいでしょうか」ジョンがグレッグの肘に手を添えささ
やいた。
涼しい室内にもかかわらず、彼の額には玉の汗、赤、青、そして緑と
またたくツリーの光がその汗を照らし際立たせている。
「空港スタッフに手違いがあったようで、記者が押しかけて混乱して
いるとのことでして・・我々が移動してから彼らも向こうへ向かうと
ふんでいたのですが・・・」
グレッグは肩をすくめて応じた。
「私が責めを負うまでさ・・・私が完璧に遂行されるようにチェック
していればこんなことにはなっていなかっただろうからね」 エレンに
無言で見据えられ、さらにどぎまぎするジョンを尻目に、もう一人の
秘書エイミー・ソーレンスンの声が、グレッグの耳にはさまれたイア
フォンから囁きかけてきた。
「ジョンに謝らせるなら、もっと効果的になさるべきでしたね」
グレッグを取囲んだ護衛団の周囲を回って、グレッグが出会う人々の
名前や情報を集め、双受信式のラジオでグレッグの耳に挟まれたワイア
レスレシーバーに送信しているのである。
グレッグの顔や名前に対する記憶は大したものだが、彼女のバック
アップもまたかかせないものといえるだろう。
おかげで個人的探索に神経が向けられるからだ。
ジョンのグレッグに対する恐れは紫色のパルスを伴って明滅しており
感知しやすく、エレンの方は安定していながらかすかないらだちに彩
られたあきらめたようなけだるさを感じつつ、グレッグはみずからの
腹立ちを巧みに押し隠しつつ、穏やかににジョンをフォローしておく
ことにした。   「問題ないさ、ジョン」そう声をかけながらも、
彼の一部、すなわちパペットマンは、彼のうちでやすみなくのたうち、
会場内の人々のあいだで流れうずまいている、悩みや感情をむさぼる
ことを望んではいる。
会場内の人間の半数はたやすく操れる彼のパペットだ。
ファザー・スキッド<烏賊神父>は笑顔のしたに真紅の苦悩を押し隠
して、女性レポーターの攻勢を受け流すため、近くのドアへ逃れよう
としているのを感じる、つきはなすにも良識が邪魔をしているといっ
たところか。鬱屈した感情に糸を伸ばし、怒りの感情に育てていく、
そしてその負の感情を味わうのだ。
かるくつつくだけですむではないか。
しかしグレッグはそうすることを許さなかった。
会場にはエースがうようよしているのだ、精神感応を備えたものもいる、
探知される危険を冒すわけにはいかない、細心の注意が必要なのだ。
ゴールデン・ボーイミストラル、クリサリス、そして一番やっかい
なのが、あの男、タキオンだ。
もしうかつな行動をして、パペットマンの存在がわずかでも感じ取られ
でもしたら、メーソンと同じ轍を踏ませられることになるだろうから。
深く息をついて気持ちを落ち着ける。
鼻腔を芳醇なパインの香りがくすぐり、ジョンの声が彼の耳に届く。
「感謝しますよ、ボス」すでに彼から放射される<怖れ>の感情は大方
薄まっているようだ。
そして烏賊神父はようやくリポーターの群れから脱け抜け出すことに成功
し、憐れにもよろけるように、ハイラムの饗する食事に触手を延ばす様が
目に入ったところで、グレッグを見つめる射すような視線に気がついた。
その視線の主はリポーターであり、こちらに向かっているようだ。
そこでエイミーから報告が入る。
「セイラ・モーゲンスターン、ポスト誌の通信員です」囁きは尚も続く。
「77年に勝ちとったピューリッツア賞は、例の<ジョーカータウン暴動>
に関する記事だったようですが、その後の記事はうってかわって低俗となり
ます、あの7月の<ニューズウィーク>誌に載ったSCARE(上院エース資源
有効活用委員会)に対するたちの悪い記事を書いた張本人ですわ」
グレッグは眩暈にも似た感情を己に感じた。
彼女と面識はないが、あの記事は憶えている。どちらかといえば中傷に近い
代物で、グレッグとSCARE(上院エース資源有効活用委員会)のエースが、
群れの母侵攻に対する隠蔽工作を行った、というものだった。
記者会見でも何度か顔を会わせているが、つねに詰問調で、棘のある話し方
をしていたのを思い出した。
そのたびに彼女をパペットにしようと試みはしたが、何ゆえかはしれないが、
決して彼の近くに寄ろうとはせず、彼が距離を縮めようとすると、みごとに
察知され距離を置かれてしまうのだ。
だが今日は違う。彼女の方から近づいてくる。
常に細身でボーイッシュないでたちだが、今日のタイトで黒いスラックスと、
ぴったりしたブラウスの組み合わせはその魅力をさらにきわだたせているで
はないか。
今日は髪を金髪に染め、そのメイクは蒼い目と、高い頬骨を際立たせたもの
で、奇妙にもめかしこんで、親しげな風情にすら思えた。
グレッグは突然、己の中で冷たい怖れの感情が身じろぎするのを感じた。
おあづけをくらったパペットマンが、内で咆哮するのを感じたからだ。
「グレッグ、あなた大丈夫?」エレンが肩に手をかけ、気遣わしげに声を
かけてきたが、悪寒を感じたかのように身震いし、頭を振ってその手を
ふりはらい、「心配ない」とつっけっどんに答えた後、精一杯の努力で笑顔を
つくりあげ、訓練されたふりつけででもあるかのようにエレンとジョンを伴って、
壁際から離れ、彼から声をかける。
「ミズ・モーゲンスターン」そうしてこころの動揺をおしかくして、穏やかな調子を
装いながら片手を差し出した。
「秘書のジョンはご存知でしょうから、妻のエレンを紹介しましょう・・・」
セイラはおざなりの会釈をエレンに返しながらも、鋭い視線を、グレッグから
離そうとはせず、挑みかけるとも、迎え受けるともどちらともとれる、奇妙で
はりつめた笑顔を表にはりつかせたまま。「上院議員」とグレッグに声をかけ。
「私もこの度の世界旅行は楽しみでしたのよ」と続けたのち、ようやくぎこちない
本意でないことを感じさせるしぐさでグレッグの手をとった。
その時である、精神にコンタクトし、回線を開き、離れていても彼女のこころに
アクセスできるよう扉をしかけるべくパペットマンが動いた。
そうしてパペットにしたてあげるのだ。
そこで秘められたゲートを感知したパペットマンは、ゲートの向こうに不穏で激しい感情の波を感じ取り、味わうべく、鍵をもてあそび、ピンを引き抜き、扉にてをかけ進入をこころみる。そこでその扉の向こうから漏れ出る赤黒い感情に押し戻されることとなった。
そこで彼はその感情の正体を知ってしまい愕然とせざるをえなかった。
その感情はすべて彼自身にむけられたもの。その感情、それは怒りと嫌悪であり、彼はそのこれまで感じたことの無い感情に、溺れそうな感覚すら味あわされていたのである。
うなるパペットマン
グレッグはつとめてなんでもないかのごとく装いながら、さらに恨みの声をあげるパペットマンをなだめつつ手を放さなければならなかった、それは膨れ上がる恐怖に慄然としたからだけではなく、己の感情にも気づいてしまったからだった。
そうだアンドレアに似ている、サキュバスにも、それなのに、彼女は私を嫌い、憎んですらいるではないか。
上院議員?」繰り返すセイラの声に
「わたしも今回の旅の成果には期待している一人です」
思わず知らず何百回とも思えるほど繰り返してきた同じ文句が口をついででた。
ワイルドカードウィルスの感染者に対する社会の扱いは、近年とみに悪化の一途をたどっています。
レオ・バーネット某などという差別主義者の台頭は、50年代に行われた抑圧の歴史への後退に他ならない、そして後進国をとりまく状況は、さらに過酷で、暗いものではないでしょうか、我々はそれらの国々に、希望と手助けの準備があることを伝えにゆきたいと考えているのです、学ぶべきことの多い困難な道が予想されますが、かのドクター・タキオンとともに挑むのです、悲観はしていませんよ」
なめらかに、かつカジュアルな親しみをこめて、訓練された正確さで効果的な笑顔まで添えられてしめくくられているときた。だがそんなことはこの際どうでもいいことだ、グレッグは彼女をつとめて見まいとこころみた、なぜなら彼女は、あまりにもアンドレア・ウィットマンを、そしてなぜかサキュバスまでを思い起こさせるからだ。
愛していたはずなのに、私は・・
そんなグレッグの気持ちを知ってか知らずか、彼女の瞳は挑戦的に輝き、居丈高に頭をそらしてグレッグを凝視しながらついに口火を切った。
「奥さんのみならず、おともだちのハイラムとタキオンまで伴って、国民の血税で行く3か月の小旅行はさぞかし楽しいことでしょうね」
いらだつエレンの反応を楽しむセイラのさまは、密林で、野生の猫が獲物のすきをうかがうさまを思わせた。
風向きの危うさを感じたグレッグは、矛先をそらそうとこころみる。
「いやいやとんでもない、会期休みのホリデーシーズンを犠牲にしての公務ですよ、ミズ・モーゲンスターン。そんな風聞には同調なさらないでいただきたいものです。
フォドルの観光ガイドには書いてないことですが、上院議員たるもの、会議に公聴会の間の絶え間ない記者会見に忙殺されるだけではなく、鬼のようなデスクワークに身も細る思いをしてきているのです、ただの骨休みの旅行だったらどんなによいか。家に帰ってのんびりする時間がどれだけ恋しいかおそらく想像もできはしないのではないですかな」
セイラから、馴染みの暗いちろちろした感情が再び立ち上がり己に向けられたのを感じる。
とらえ、憎悪の源を吐かせるのだ、さすればほむらはしずめられよう、降伏をうながすのだ
パペットマンの声がささやく。よかろう、グレッグのいらえに答え、堰を切ったがごとく跳びかかるパペットマン
そしてグレッグにもかつて味わったことのある憎悪の感情が流れ込んでくる、しかし決定的に違っているのは、今まで味わったそれらの憎悪は、主に他人に対してのものであり、自分に向けられた憎悪というものは、とらえどころのない不可解なものに感じられてならなかった。さらに恐るべきことに、彼女の憎悪は、それ自身が実体と力を備えているかのごとく、パペットマンを押し返しすらしてしまったのである。
いったい何を隠している、俺が何をしたというんだ・・
上院議員、政治家が守りに入るのはいかがなものかしら?」セイラの攻撃は尚も続く。
「政治家の遊説というものは主に票集めのためじゃないかしら、おまけに過去の失態を覆さなきゃならないんだから、88年の選挙までなんてあっというまだわね」
息を呑むような感慨をグレッグはおさえようがなかった。
アンドレアの顔がサキュバスに重なり、その顔はプレデター(捕食獣)の笑みをたたえ自分をみつめているせイラの顔に重なっていく、そこで彼女の憎悪を読みとろうと再びこころみたところでまた声がかかる。
「ところで上院議員、わたくし達は76年のジョーカータウン暴動には共通の感慨をお持ちではないかしら」迷いのない澄んだ声がさらに続く。
「あの暴動に対する記事を書いたときに、わたくし直感しましたの、サキュバスの死を目の当たりにしたあなたは、民主党推薦候補の座を失う失態をしでかしてしまいましたね、ただの淫売の死が・・・
あなたにとってはそれ以上の何かであったのではないかしら」
その言葉はグレッグのこころの奥底に封じたつもりの、痛みそのものから響いてくるかのように感じられた。
「あの日、あの瞬間に、わたくし達二人の何かが結びついてしまったんでしょうね」
セイラの独白はさらに続く。
「もう十年以上も前だというのに、昨日のことのように思えてなりませんのよ」
その言葉に反応したパペットマンの、動転し、むせび泣く声を感じる。
その異常な状況にグレッグはめまいのような感覚を憶えつつ、黙り込むしかなかった。
何だ、この女は何を言っているんだ、何を知っている、何のつもりであんなことを・・
効果的な返し文句が思い浮かばないまま、グレッグの煩悶は、耳元から流れるエイミーの声によって破られた。
「エーシィズ誌のディガー・ダウンズ(ディガーは『掘り出し屋』の意で通称、本名はトーマス・ダウンズ)が息せき切ってそちらに向かっています。俗物まるだしの男ですが、モーゲンスターンを見て記者の勘で特ダネの香りでもかぎつけたのでは〜」
「やぁ諸君」エイミーの言葉が終わるまえにダウンズが割り込み、グレッグはセイラではなく、背が低く血色のよくないこの若者の相手をせざるを得なくなった。
ダウンズは風邪でもひいているかのように落ち着きなく鼻をひくつかせている。
「セイラ君、相席よろしいかな?」
その突然の乱入はグレッグの混乱を拡大し、その馴れ馴れしさと傍若無人さは彼の神経を逆なでするに充分のものだった。
そうしたグレッグのいらだちを知ってかしらずか、ダウンズはエレンとジョンを飛び越してセイラからグレッグに視線を移して獰猛な笑みをうかべてみせた。
「必要なことはもう話しましたのよ」セイラはそう答えるまで、子供のような純真さを装った淡水を思わせる淡い蒼色の瞳をグレッグから放そうとしなかったが、そのわずかな後、目をそらしタキオンの方に向かっていってしまった、グレッグの目は思わず彼女を追ったが、またもや邪魔が入る。
「なんだか見違えて見えますなぁ、上院議員」ダウンズの下卑た笑い顔が再び目に入る。
「これは失礼をいたしました、ハートマン婦人。申し遅れましたが、エーシィズ誌のディガー・ダウンズと申します、これをご縁に以後お見知りおきを・・・」
グレッグはその言葉を耳の隅に捕らえながらも、セイラがタキオンをとりまく人ごみのなかに消えるまで、その目を放すことができなかった。
ダウンズの怪訝な様子に気づいたグレッグは、最大級の自制心を発揮してセイラから視線を逸らし、ダウンズに答える。
「お会いできて光栄ですよ」笑顔で答えたつもりだったが、自分の顔なのに、頬の筋肉がこわばったせいか、木の仮面でできたかのごとくしらじらしく感じられてならなかった。