その8

       スティーブン・リー
        午前12時正午


テーブルの上にはルームサービスの食事とコーヒーが
あるが手付かずのまま冷めていて・・・
ソニー(TV)の画面が省みられることもなく揺れている・・・
そこで長椅子に腰掛けたタキオンの姿は・・・
まるで木でできた神像のようだ・・・
表に出しては厄介なことになるのをわかってはいたが・・・
それでもパペットマンの声は聴こえ続けている・・・
それに被さるようにギムリの笑い声まで響いてきながらも・・・
内なる囁きに応じて何か話し出しそうになるのを堪えるのには
かなりの集中が必要とされて・・・
さらに悪いことには、パペットマンが叫び声をあげ始めたと
きたものだ・・・
這うようにして窓辺まで辿り着きはしたものの・・・
タキオンの菫色の瞳から放たれた視線は絡みつくように据えられた
ままで・・・
冷たく値踏みし裁きを下そうとしているように思える・・・
どうも饒舌になりすぎているようだ・・・
パペットマンにつられるように身振り手振りが派手になりすぎては
いまいか・・・
「バーネットはこの間の予備選で百票上乗せしたそうだ・・・
百票だよ・・・
こちらはたしか20、ええと25票増やしただけだというのに・・・
なんたるざまだろうね・・・
ゴア陣営と接触して話していたチャールズでさえ、ゴアは踏みとどめる
と踏んでいたんだから・・・
それが一晩でこのざまだ・・・
なんでもクリスがいうには・・・
バーネットは副大統領の座をちらつかせたそうだよ・・・・
おまけにマスコミの大半が<ハートマン外し>の風潮がある、
なんて報じたものだから・・・
態度を決めかねた代議員達の中にはそれを信じたものもいるだろうね・・・
それではバーネットが得するだけだというのがわからないのかな・・・
まぁデュカキス辺りも喜んでお零れに与ろうとするだろうがね・・」
「それくらいは存じ上げていますよ、上院議員・・」
タキオンはいらだちを隠しきれないといった態度を声に滲ませながら
指を組んで膝を抱えたままでいる・・・
「ならばなんとかしたらどうだね・・・」
異星からきたこの男の冷たく傲慢とも呼べる態度につい声を荒げて
しまっていた・・・
駄目だ、この間抜けが・・・
そしてパペットマンに言い聞かせた・・・
こいつがいるところでは駄目だ、
よりによってこいつの前とは・・・お願いだから・・・

「できることはやっていますよ」
どうにも言葉の端々が吐いて捨てるように感じられてならない・・・
「顎で使うような物言いをいけませんな・・・上院議員
友人の間ならばなおさらよくないというものです・・・」
グレッグに<友>と呼べる人間などいただろうか・・・
信頼の置ける者などいはしない・・・
パペットマンに頼り切ってきたのだから・・・
そこでグレッグはふと思った・・・
タキオンもそうだったのではないかと・・・
<友>と呼びあう関係であったとしても、
それは60年代から続く政治的、かつ社会的関係に
すぎないのではなかろうか・・・
市会議員となりニューヨークの市長となってからも
ずっとタキオンには好意のあるように振舞ってきたし、
タキオンも同じだと思ってはいたが・・・
リベラルな心情を共有していただけで、
だとしたらそれは友情とは程遠いものといえるのでは
なかろうか・・・
それにタキオンはエースと言える・・・
グレッグにとってエースとは恐れるべき存在にすぎない・・・
ことに精神を読む能力を持つなら尚更恐ろしいと言える・・・
もしタキオンが真実に疑いを持ったならばそうすることを
微塵も躊躇するまいし、真実を知ったならば暴露することを
躊躇いはしないこともわかっている・・・
そうなることに怒りを感じつつも・・・
「ならば友人として率直に言わせてもらうがね」
話をそらして切り返すことにした・・・
「すでにそこいら中に広まっているんだよ、
あなたがお盛んな十代の子供のようにフルール・
ヴァン・レンスラーを追い掛け回しているなんて話はね・・
醜聞もいいところだ・・・
それはなんとかならないものかね、ドクター・・・」
タキオンに対してこんなぶしつけな物言いをしたことは
これまでなかったことだった・・・
パペットマンの影響が強いときに、テレパシーを持った
人間に対してこういう態度をとるのは得策でないというのにだ・・・
目に見えてタキオンの顔は赤くなって立ち上がりはしたが・・・
なんとか踏ん張って理性を保ったようだった・・・
上院議員・・」タキオンがそういいかけたところで・・・
グレッグは内心を悟らせないように先回りして
話しかけた・・・
「違うんだ、ドクター、あなたを責めようというつもりで
いったんじゃないんだよ・・・」
腹の底で怒りが木炭のように燻っている・・・
この畏まった男の顔に拳を叩き込めたらどんなにいいだろうか・・・
その済ました鼻を叩き折って、そのフリルのついたサテンのシャツに
血を浴びせるのだ・・・
グレッグは歯を食いしばり、叫びだしその傲慢な顔にテを出しそうに
なるのを・・・
その異星の男をボールのように蹴ることを夢想しじっと堪えた・・・
タキオン一人がなんだというのだ・・・
ここのところの忌々しい事態に比べたら何ほどのこともあるまい・・・
喘ぎながらもじっと気持ちを静めていった・・・
パペットマンのぐずりを永劫のように聞きながら・・・
ギムリのほくそ笑む声を聞きながら・・・
マッキィのニューヨークやここへ来ての失態を思い出しながら・・・
クリサリスの死にエレンの態度といった腹立たしいことを堪えながら・・・
そのわずかな間で。パペットマンの熱情も収まってきて・・・
気持ちが静まったのを感じ苦笑しながらようやく言葉を継いだ・・・
「あなたが必要なのです・・・
単なる協力体制と仰るかもしれませんが・・・
世間はそう思ってはいないでしょう・・・
それ以上の存在なのです・・・
あなたは特に人目を惹く味方なのですよ
弁えていただかなくてはね・・・」
タキオンは目に見えて深く息をついでから、顔を上げて応えた・・・
「手のかかる子供のように責めないでいただけますかな・・・
上院議員、今朝もあなたのために飛び回っていたのですよ・・・
そんなふうにいわれるのは不快このうえないというものですよ」
「バーネットが次の大統領になったら不快なんてものではすまない
のではありませんか?ドクター、慈悲深い顔をしながら何をしでかすか
しれたものじゃないことはおわかりでしょう・・・
そうなったらあなたのクリニックはどうなるでしょう?
女性の股座に顔を突っ込むことがジョーカーの行く末より大事なこと
でしょうかな?」
上院議員・・」はっきりと怒りの滲んだその声を受け流し・・・
グレッグは笑って応じながらも・・・
その笑い声が上ずったものであることが感じられ・・・
ブルックス・ブラザーズのTシャツの脇に汗の滲んできたのを
感じながらようやく言葉を継いだ・・・
「ドクター、きつい物言いになってしまったことは申し訳なく
思うけれどね・・・
この際はっきり言わせていただこう・・・
私のためだけではなく・・・
ジョーカーのためを思っていただきたいということです・・・
もし我々が負けることになれば・・・
ワイルドカードに感染した全ての人々が敗北するに等しいの
ですからね、それを理解していただきたくて申し上げたまでですよ」
タキオンはその高い頬に怒りを滲ませながら色のないその薄い唇から
なんとか言葉を搾り出したようだった・・・
「それは誰よりも理解しているつもりですよ、上院議員・・・
そう思っていただいてかまいませんよ・・・」
タキオンはそう言い放つとバレーのダンサーを思わせる優雅な動きで
踵を返してドアに向かった・・・
グレッグが引き止めて何かをいうべきじゃないか、と考えている内に・・・
タキオンは外に出てしまっていて、外に控えていたビリィ・レイに頷いてから
姿を消してしまっていた・・・
        「何も解決しちゃいないじゃないかね」
それは確かにグレッグの口から漏れたものだったが、もはやグレッグにはそれが
誰の発した声であるのかさえわからなくなっていたのだ・・・
そう誰に対して放たれた声であるのかすらも・・・