その9

    メリンダ・M・スノッドグラス
         午後1時


乱闘になりかけて引き離された人々がいる・・・
見ればニューヨークの代議員とフロリダの老女が
角つき合わせている最中のようだった・・・
女性は二人いて唸るようにして爪を振り上げている・・・
そこにはハイラムもいて血走った貌をして怒りに歪んだ
目を向けていて・・・
辺りには倒れた椅子が乱雑に散らばっている中・・・
ジム・ライトがしばらく必死に宥めようとしていたが
効果はなくて・・・
溜息をついてそこから離れていってしまった・・・
タキオンは人ごみに紛れ遠巻きにその喧騒を眺めて
いると・・・
ハイラムの顔は先ほどとはうってかわって血の気が
引いていて、拳を握り締めて必死に何かを抑えて
いるように思えたが・・・
そのふくよかで指先が綺麗に整えられたその手を
開いて・・・
脇にだらりと垂らしてみせた・・・
一方のOld bat老婆はバーネット支持のたすきを
つけて大きな木製の十字架を帯びている・・・
タキオンがまだためらっていると・・・
フロリダの代議員が激高し相手を蹴りつけようと
するのが目に入ったところで・・・
思わず大胆な行動をとっていた・・・
咄嗟に精神操作を施して双方を落ち着かせたのだ・・・
そうしていると記者達がけつけてきて・・・
警備の者たちもやってきて・・・
フルールまで首をつっこんできた・・・
「何をしているの?その手を離しなさい!」
フルールは庇うようにバーネット支持の代議員の前に
立ち塞がっていて・・・
ハイラムはというとニューヨークの代議員の肩を
持っているようで・・・
怒りに震えながら叫び返している・・・
「喜んでそうさせてもらうよ、その女が手を引くならな・・・」
Oh my god(なんとおぞましいことでしょう)!
あの異星人が私の心に触れてきた・・・堕落させようとしたのよ・・・」
「マダム、あなたのような妙齢の女性に対する礼儀は弁えて
おりますよ、どこの星においても、いかなる時代の規範にてらしても
それは許されざることですから・・・」
Bastard(恥を知りなさい)!」
涙ぐんでいるその女性を押しのけて今度は
フルールがそう言い放ちつっかかってきたが・・・
ハイラムが軽蔑を露にした表情で間に入ってきて・・・
「助太刀は無用ですぞ、タキィ」
と言い放った・・・
「そんなつもりは毛頭ありませんが、これは人災と
呼ぶべきでしょうな・・」
「あまり窮屈なのもよろしくありませんが・・」
ハイラムのその言葉に応じて双方椅子に腰を下ろすことに
なったが・・・
顎と膝の間もたいしてとれず・・・
かえって窮屈な状態になった・・・
それに椅子の間が近すぎるというものだろう・・・
ともあれそうしてカメラと守衛の目にさらされならも・・・
タキス的義侠心でフリスクを取り出して差し出すと・・・
ハイラムはそこに入ったブランディをごくりと一口飲んですぐ
むせてしまった・・・
そこでタキオンはワーチェスターの瞳から一筋の輝くものが溢れて・・・
頬を伝い、顎鬚まで落ちるのを見て取った・・・
その巨体が微かに震えているにも気づき・・・
タキオンは手を身体に広げてハイラムの身体を包み込むようにしながら・・・
ぽんぽんと叩いたり軽くさするようにしてゆすったりして・・・
幾分上ずった声であまり意味をなさない慰めの言葉を口にして・・・
親愛の情を示し気持ちを和らげるよう努め・・・
感情の波が納まったところで・・・
ハンカチを差し出すと・・・
ハイラムは眉と唇をそっと拭ってからためらいがちに
言葉を搾り出した・・・
「すまない、すまなかった」
「心配いりません、よくあることです」
タキオン、彼が勝つべきなんだ、それなのに・・・」
ふと目をやるとハイラムの手がタキオンの手を万力のように
つかんでいるのに気づいた・・・
じっと手を見るとすっかり血の気を無くして白くなって
いる・・・
タキオンはもう片方の手でその手にそっと触れてから・・・
穏やかに優しく響くよう心がけて言葉を継いだ・・・
「ハイラム、どうか離していただけますか、痛いですから・・」
ワーチェスターはバネじかけでふれたようにびくっとして手を
引いて離すともごもごと再び謝り始めた・・・
「すまない、すまなかった・・・
タキオン、首をつっこまざるをえなかった、だってそうだろ?
黙ってみていることなどできはしなかったんだ・・・
まったくの善意からだった・・・
それならばどんなことであろうとも正しいことと言えるのでは
ありませんか?そうでしょう?」
タキオンは目を閉じてその言葉を聴きながらシリアで見た光景を
思い出していた・・・
ジョーカーの死体に石が投げられているのに、ナットの観光客達が
何も感じず通り過ぎていくさまを・・・
南アフリカでもそうだったではないか・・・
ああ、そんな昔でもないのに、遥か遠くに思えてならない・・・
ジョーカーの女性を蹂躙することすら犯罪とみなされず・・・
単に悪食としかみなされない時代があったのだ・・・
「そうですね、ハイラム、あなたが正しいのかもしれません」
ぼんやりとそう応え、肩を叩きながらも・・・
チャールズ・デヴォーンの姿を目で探していた・・・
あの男なら何か違った見解をもっていなかったか・・・
ことのよしあしについて考えることじたい・・・
否定してのけるかもしれないが・・・
そもそもタキスの人間が公平なんてことを考えると
いうのもどうかしているのかもしれない・・・
それにバーネット側の代議員からしてみれば・・・
もう十分に係わっているといえるだろうし・・・
十分に影響もでていると言われるだろうか?
そもそも中立でいられるものだろうか?
デヴォーンの激しい選挙活動を通してならば彼らが
考えを変えるということがあるものだろうか?
Drタキオンの人間的魅力と説得力が何ほどのものか、
と嘯くかもしれない・・・
マイケル・デュカキスだったらどうだろうか?
あの男だったら副大統領になることしか望んでは
いないというものだろうが・・・




午後1時


それは何もない空中から突然出現したように思えたが・・・
少し動くだけで掴むことができた・・・
歩きながらよく見ると・・・
JJフラッシュの容をした飛行エースグライダーだった・・・
その真ん中には炙られたような黒い穴が開いていて・・・
なにやら悪意のようなものが感じられてならない・・・
そうしていると黒い肌の子供が二人近寄ってきて・・・
どうも気になる様子でいて・・・
「ねぇねぇお姉さん、それ何?」
Run DMC>と書かれたTシャツを
着た方の子がそう声をかけてきた・・・
それに対して迷わずに応えていた・・・
「ただの飛行ジョーカーだわ」と・・・



       午後1時
    ウォルトン・サイモンズ


ましな部屋ともいえないものだった・・・
マリオットに比べるとカーテン替わりに木の
ブラインドが嵌めてあるわ・・・
ベッドのスプリングは軋むわ・・・
床板からはパステルの塗装が覗いているわ
といった具合ながらも・・・
下町には45分くらいのモーテルで・・・
受付に50ドル程度握らせるだけで潜り込む
ことができた・・・
まぁスペクターにしてはここは快適な場所と
いえるだろう・・・
この辺には一晩中開いてる酒屋もあれば、
道を隔てた向こうにバーガーショップ
あるときたものだ・・・
そこで脂ぎった肉を二枚挟んだチーズバーガーを
頬張りながらも・・・
トニーに話すもっともらしい嘘を考えていた・・・」
マリオットの部屋のキーももったままなのだから
そこに入るには何の問題もないとはいえ・・・
ブラッククイーン(死)の札を引き当てて以来・・
彼の人生は希望のないぼやけたものにすぎず・・・
思い出そうとしてもうまくいかないくらいなのだが・・・
それでもそれ以前の話ぐらいならできるというもの
だろう・・・
まぁ先のことといったらそれ以上に曖昧なものと
いえるだろうが・・・
こと考えることといったら死のことばかりだった・・・
そうしたいわけではないにしても・・・
考えずにいられないのだ・・・
なにしろ死というものの前ではすべてのことが
とるにたらないことといえよう・・・
政治家だろうが検事だろうがそれを逃れようと
躍起になることに例外はないだろうし・・・
誰であろうともいつかは仲良くそいつに囚われて
ベッドからおきださなくてよくなる日がくるという
ものだろうから・・・
スペクターはそんなことを考えながら古めかしい
ベージュ色の回転ダイヤル式電話機から受話器を
とって・・・
20回ほどコールした後に
「マリオット・マルキスです」と応答が
あった・・・
その声はスペクターがチェックインしたときと
同じぶっきらぼうで乱暴なものだった・・・
「1031号室から何か伝言はあるか?」と訊ねると
「少々お待ちを」とか「お調べいたします」という
返事のあとしばらく待たされることになった・・・
もしかしたら本物のベアードがどうなったかばれた
のではなかろうか?
そんなことを考えて!〜2分経って、さらに1〜2
秒待ったところで・・・
「はい、Mrカルデロンは朝6時にロビィで会おう、
との伝言がございました」
ガチャンと電話を切って・・・
「なんてこった、これで後戻りできない」
ナイトスタンドの縁を掴んで・・・
受話器を電話代に放り投げバスルームに向かうこと
にしながら・・・
まったくなんて間抜けを雇ってやがるんだ・・・
と内心呟いて・・・
そいつを始末するリストの上位に繰り上げること
にした・・・
マリオットの受付の生命を吹き消す機会くらいなら
ハートマンよりあるというものだろうから・・・