ワイルドカード7巻 7月25日 午前9時

  ジョージ・R・R・マーティン

      午前9時


天井が開いて、初めて朝の光が
射し込んできて、
それからブレーズがふらふらと
下りてきた。
フードに隠れて表情は窺えないが、
おそらく死人のように青白く、
疲れ切った顔をしているに違いない。
前に進み出たサーシャは、フードを
払いのけると、
「あなたが心配なのです、マスター」
タイを緩めつつそう言って、
「叫びが響いているのです……
それも一晩中……」
ドアの傍のエジリィがそれを笑い飛ばし、
「夜は魔法に満ちて、いるものよ、サーシャ」
舌なめずりの感じられる声でそう応え、
「ハートマン絡みの熱狂というところね。
テレビで見たのじゃないかしら。
奇妙な連帯感があったわね。
ジョーカー達もたいへんな騒ぎになって
いたわよ。
公園をそぞろ歩いたくらいだけれど、
誰も私達を気にしなかったくらいだもの」
エジリィがそう言って天井を閉めると、
また室内は闇に覆われていた。
依代はひどい有様だ」
ティ・マリスは掠れたブレーズの声で
そう告げると、
「そろそろ次を試す頃合いだな、連れてこい」
そう継がれた言葉に、皆一斉にジェイに
視線を向けてきたが、サーシャだけは外套を
畳んでいて、ジェイの方をみていなかった。
おそらくその瞳には哀れみが浮かんでいたに
違いない。
もちろん目があったならの話だが。
サーシャはチャームに頷きかけていて、
巨体のジョーカーがよろよろと近づいてくるのが
わかった。
「話し合いの余地はないものかね?」
ジェイはそう茶化してみたものの、
チャームは取り合わず、
ジェイの脚と肩を掴んで、担ぎあげ、そのまま
運ばれていくことになった。
床は肉屋のような様相を呈していて、ばらばらの
肉片が転がっており、その周りを蠅が飛び交っている。
ジェイはマットの上にドスンと投げおろされ、
エジリィが屈んで軽く唇を添わせてきて、
その熱く湿った感触を感じていると、
「もうすぐね」エジリィがそう告げるとともに、
「準備を整えよ」ブレーズの声でそう命じられ、
チャームがジェイの首元に手を伸ばし、びりびりと
シャツを破き、ジャケットの下にシャツの残骸が
ひっかかったような状態になったところで、
「縛ったままというのも乙なものだが」
マリスは紐に気づいて、
「ほどいておけ、外してかまわん」
そう告げさせたところに、
「マスター」サーシャが口を挟んできて、
「手が動く状態にしておいては危険極まりない」
と言い出したものだから、
「痺れてしまってもう手の感覚はないよ」
ジェイがそう言い募ると、
「おそらく手が自由になるチャンスを狙っていた
のでしょうな」サーシャがそう告げると、
「怖いのかな?」ティ・マリスにそう訊かれ、
「あんたは怖いさ、もちろん依代なんてものに
仕立てられるのもそうだが、もっと昔馴染みの
恐怖という奴が蘇ってきちまってね……」
ジェイがそう言い返すと、
サーシャは表情を曇らせ、
「悪夢のことです。この男がよく見る悪夢の
話をしているようです。マスター」
サーシャにそう見透かされたところで、
「手をほどけ」ティ・マリスはそう言って、
「この少年の力ならば、抑えておける」
マリスにそう促され、チャームはマットの
上に転がしたジェイの上に覆い被さられたかたちに
なった。
随分長い間縛られていたものだから、解かれた
時も、わからなかったくらいだった。
それからチャームが乱暴に、片腕を蹴りつけた
ところで、ようやく肩に激しい痛みが感じられた。
そこで腕を回転させたり、上げてみはしたものの、
チャームが上に乗っているものだから、動けやしない。
そこで奇妙な感触に襲われた。
それはチャームのものではなく、しっかりと強い
感覚だった。
ブレーズの精神に掴まれたのだ。
それから脚がどけられた。そしてかきまわされるような
感覚があって、ジェイの腕が動かされた。
ティ・マリスがブレーズを使って動かしたのだ。
そこで顔を上げると、奴らは傍に立っていた。
少年は微笑んだまま、肩の上にはそのマスターとやらが
顔を覗かせているときたものだ。
そして微かなちゅうちゅうといった音が聞えている。
そして透明な管を使って、少年の血液を吸い上げているのが
見て取れた。
そして少年は口を開いて、
「裸にせよ」と命じ、
チャームに血と汗にまみれたジャケットを脱がされ、
それからジョーカーはシャツの残骸をはぎ取り、
無防備な状態となった首筋が、
露わにされた。
そして悪魔の口づけが迫る中、
「震えているわね」エジリィがそう言って、
歓喜の予感に打ち震えているのかしら」
と言葉が継がれたところで、
両手に微かな感覚が戻っているのが感じられた。
そこで、動かそうとし、銃のかたちにしようとしたものの、
やはり動かない。
マスターの意思によって操られたブレーズの力によって
まだ完全に抑え込まれているのだ。
わずかに動く目で手を見ると、
血の気が失せて青白く、青い痣ができている。
まるで魚の腹のような色をした青いグローブがはめられて
いるようだ、と思いつつ、手首を見ると、赤黒い線が
見て取れた。
ワイアーで切ったということだろうか。
ともあれ指を伸ばして、感覚が戻っているかどうか、
確かめようとしたが、何の感触もなく。
「マスター」
部屋の奥から、そんな声がしてハイラムが近づいてきて、
上から見下ろされるるかたちになった。
ハイラムの巨体の輪郭はチャーム同様大きく、
ティ・マリスはブレーズの目を通して、その存在を確認した
ようだったが、ジェイは頭を動かせず、見ることはできなかった。
それでもハイラムの気配は感じ取れて、そうしているうちに、
最初は針の先のような小さな感覚にすぎなかったが、
次第に血の循環が回復したのが感じられたところで、
「マスター」ハイラムがそう繰り返し、
恐る恐ると言った調子で、
「こいつだけは解放してもらえないでしょうか?」
と言い出した。
その言葉に興味をそそられた様子で、
「どうしてだね」ティ・マリスはそう言って身を乗り出すと、
ジェイの手の感覚は強くなっていて、それに伴い痛みも強く
感じられるようになっていた。
それをまるでナイフかペンチでつねられたように感じ、つい
呻きを漏らしていて、
そういえば百足人間が命乞いをしたのをティ・マリスが
喜んで聞いていたことを思い出していた。
そしてその結果どうなったかも。
「この男は……私の友人なのです」ハイラムはそう切り出して、
「どうかお願いです。今まで黙って従ってきた私の望みを
聞き入れていただけないでしょうか……」
そこまで聞いて、ティ・マリスはサーシャに視線を転じると、
「さて、この新しい依代はどうしたものかな?」そこで
テレパスはハイラムに視線を向け、
「とるにたらないことです」そしてしばらく間を置いてから、
「もはや何の危険もないというものでしょう」そう告げたところで、
ティ・マリスはハイラム・ワーチェスターなどすでに存在しないと
ばかりに無視してのけ、ジェイに視線を向けていて、
「屈ませろ」そう命じさせると、
ジェイは頭を抑え込まれ、首筋をマリスの方に
向けられていた。
そこでブレーズがジェイに近づいてきて、エジリィも匂いが
感じられるほどその近くにいて、口づけを交わせるほど近くに
ブレーズが来たのを感じたところで、手が火を噴いたように
痛みだした。まるで熱した鉄の棒でも押し当てられたようだ、
と感じながらも、そのそぶりすら感じさせないよう努めていると、
ティ・マリスはびちゃといった音と共に少年の首筋から唇を離して
いて、肩の上で身を捩ったかと思うと、ジェイに向かってきた。
退化したような手足ながら、芋虫のようなその身体から三本の指の
ついた手でかろうじてしがみついていたが、今度はジェイをその
餌食にしようとしているのだ。
少年の首筋に空いた穴から、わずかな血が零れていて、
ジェイは恐ろしくなってマリスから目を背けつつ、
少年に視線を据えたが、少年はぼんやりとしていて、意識もはっきり
していないように思えた。
そういえばハイラムが言っていたではないか。
<あの方から離れるということは、死にかけるような心地がする>と。
「ブレーズ」ジェイは慌ててそう声を出し、
「俺を解放するんだ」そう切り出すと、
少年は一度か二度瞬きをしたかと思うと、
目に焦点が戻ってきて、
「あいつは……」少年はそう呟いていた。
それはブレーズ本人の意思の籠った声だった。
それは希望を持つに充分のものだったが、
「あいつから……抑えていろと言われてる」と言葉が被せられ、
ティ・マリスが肩に這い上るのを感じながらも、
見るな、と己に言いきかせていた。
夢と同じじゃないか。
月を見上げちゃならない。
もしそうしたら……
手遅れになってしまう。
何千回も夢で見たではないか。
見ない方がいいというのに、
結局見てしまうのだ。
怪物は丸い口をしていて、魚のようなその口から、
ぴくぴくと蠢く舌を出し入れしていている。
それは口同様丸い舌で、
血にまみれ。
赤黒い色をして。
闇雲に動く蛇のようだ、と思っていると。
その目が凶暴な光を宿し、
ブレーズはどうにもならないと判断し、
「ハイラム!」と叫ぶと、
離れたところから、
「どうにもならないんだ」と声がして、
ティ・マリスの退化した脚が微かに少年の顔を蹴り、
少年からジェイに手を伸ばしたところで、
少年は痛みを感じたように呻きを漏らしていた。
その瞬間、ジェイは指が動くのを感じ、
怪物が這いよってきたが、もはやそれを
気に留めているゆとりなどない……
Shitくそったれが!」
そう悪態をつくと、
「マスター!」サーシャが警告を発していて、
それを遮るように、
「ハイラム!」そう叫び、
「ブレーズでいい、ブレーズをどうにかしてくれ」
その言葉に応じ、
ハイラムは激しくブレーズにぶつかっていて、
チャームがよろけ、エジリィとサーシャが
かけよろうとしたがもはや手遅れだ。
身体の感覚の戻ったのを確認して、ジェイは
身体を片方に捩り、
背を床につけたところで、怪物がよたよたと
腹の上に上ってきて、そこで手を持ち上げたが、
木のように鈍い感覚しかなく、滑るように首筋に
上ってきた怪物に向け、
まず指を三本折り畳み。
人差し指を伸ばし、
親指を立て、軽く振ってみて、
闇雲に動く蛇が、鎌首を上げたかのような
その眉間に向けていた。
短い、ポン、という音が響き、
ジェイは鋭い痛みを感じ、首筋に空いた穴から
血がしぶいたのを感じたところで、
怪物の重さは消え失せていた。
エジリィが叫び、
Oh Godなんてことだ!」サーシャがそう言っていて、
ブレーズはどうしようもないというふうに、
すすり泣き始めていて、
そして背後から穏やかさすら感じられるハイラムの声が
聞こえてきたのだ。
「終わった」と。