ワイルドカード7巻 7月25日 午前4時

     ジョージ・R・R・マーティン

         午前4時


また悪夢を見ている。木々や階段や、コーン頭の
怪物の出る例の奴だ。
コーン頭が振り返る、振り向いた……
と思ったところで、ジェイは暗闇の中で目を覚まし、
叫んでいた。
そこで「ジェイ?」と深い落ち着いた声がして、
「大丈夫か?」と続いてきて、うすぼんやりとした
暗闇の中に、ハイラムの巨体の輪郭が見て取れた。
その陰に向かって、肩を竦めてみせようとしたものの、
うまくいかず諦めて、
「いいわけあるか」そうぼやいて倒れこみ、
「縛られて地下に転がされているんだぜ」
そこでマリスがいないにも関わらず、声を潜めるように
して、
「そのうえ人を操って、身体がばらばらにされるのを
見せられたんだ。
もちろんそんなことは神かけて預かり知らないこととは
いえ、あの白い虫のような奴に首筋まではい寄られて、
血を吸われるとあらば、身の毛もよだつというものだ」
そこでジェイは悲鳴を上げてしまっていた。
眠っていたチャームが目を覚ましたたようで、突然
歌いだしたのだ。
こいつはチャンスと思い定め、肩を落とし、ちんまりと
ソファーの隅に納まっているハイラムに、
「手を貸してくくれ」素早く声を掛けてみたもの、
「サーシャは気づいているだろう」
ハイラムは弱々しくそう応え、
「だからなんだというんだ」ジェイはそう応え、
「サーシャに何ができるというんだ?
チャームは手強いかもしれんが、あんたはエースなんだぜ。
おいおい、どうにかできるだろ。
せめて手だけでもなんとかなれば……」
「できないんだ、ジェイ」それは低い絶望に満ちた声だった。
そして「できるならそうしたいが、そういうわけにはいかないんだ……
ジェイ、実に申し訳ないが、こんなことになるとは思っちゃいなかった。
これだけは信じて欲しいんだ」
「信じるとも」ジェイ優しいとも思える声でそう応えていた。
ハイラムからは痛々しいまでに苦しんで、どうしようもなくなって
いるのが見て取れたのだ。
それからしばらく沈黙が続いたが、
「でいつからだ?」と訊くと、
「一年半ぐらいになる」ハイラムはそう応え、
「あれはハイチでのことだった。ティ・マリスに魅入られた
エジリィにあったのは、WHOのツアーでのことだった。
私としてはあの娘を誘惑した気でいたが、どうやら
惑わされていたのは私の方だったということかな。
もちろん他の連中もいるにはいたが、なぜだか
どうにもはっきり思い出せなくなっているんだが、
なんせきっかけを作ったのはあの娘の方だった。
そして眠っている間に、マスターは私にも手を伸ばした。
そうしてあの方の手に落ちてしまったんだ。
あの方をアメリカに密輸する道具にされたということかな。
私には資産もあって、そこそこ顔も広かったからね。
さほど難しいことではなかった」そう語られたところに、
「今が自由になるチャンスじゃないか」
ジェイがそう切り出して、
「とびついたらどうだい」促してはみたものの、
「憐れな少年たちは苔むして〜」チャームの歌声にかき消され、
「俺らはどうだい、なんてこった。一蓮托生の身の上だ」と
身も蓋もない歌詞が続いていく中、
ハイラムはジェイに視線を合わせないようにしながら、
かぶりを振って拒絶を示したが、
「ほどいてくれ」ジェイはそう囁いて、
「それだけでいいんだ。簡単じゃないか。後はこっちで
なんとかするさ。手さえ自由になればね。首尾を見届ける
までもないさ。ジョーカータウンクリニックに送ってやるから、
そこで治療を受ければいいさ……何をされたかは知らんがね。
さぁやってくれ。ハイラム。あまり時間はないようだからな」
「あの方に手はださないでくれないか」
ハイラムは消え入りそうな声でそう言い出していて、
「わからないだろうな……あの方の口づけは、まるで……
いや言葉にできない代物なんだよ、ジェイ。あの方の一部に
なるということはね、初めて生きていると感じるような心地が
したもんだ。その心地よさときたら、食べたり飲んだり、交わりを
交わしたりするだけでなく、ただ息をすることさえ、まざまざと
感じられるようになる……それから離れるということは……
あの方が別の依代に移った時には……まるで死にかけたようになる。
世界が灰色に感じられるようになってしまうんだ。
そして週が回るころには、肉体の衰弱が激しくなっていて、
信じられないような痛みすら感じることになる。
あの方を求め、味わえないということはどういうことか……
あの方の瞳は、渇望と理解を湛えている。
あの方は悪人じゃない。ただ我々の善悪とは違った基準で
生きているにすぎない。つまりこういうことだ。
依代に宿らなければ、死んでしまう。だから依代が必要なんだ。
つまり我々とは……違った倫理の内に生きているということだ」
「ニューヨークで」ジェイは遮るようにそう言って、
「サーシャがお仲間とアトランタへ行った後だ。
あいつのアパートに入ったら拷問部屋が作られていたり、
風呂場に死体があったりしたのはどういうことなんだ」
「そうか」ハイラムはそう応え、目を背けたまま
依代になったジョーカーの一人だろう」
低い、チャームの歌に紛れてかろうじて聞こえる程度の声で、
「時には……痛みから異なる快楽を得られることがある。
そう言っていた。
単なる興味本位ながら、死の感覚ならばとりわけ……
あるいは……」
「そうかい。依代とやらを拷問して、死に追いやって
愉しんでいたってか。確かにそれが悪くないとしたら、
理解の範疇が違うということになるのだろうがね」
そして怒気を籠め言葉を継いでいた。
「ハイラム、あの怪物は悪党だよ」と。
それからしばらくハイラム・ワーチェスターは黙っていて、
隣の部屋からチャームのハスキーな歌声だけが聞こえてきて、
それからついにハイラムの唇が動いて、弱々しく何か言った
ようだったが、ジェイには聞き取れなかった。
「何て言った?」そう囁くと、
ハイラムは目を逸らしつつ、
「おかしいかな……そりゃそうだろうとも。
ジェイ。あんたにはわかるはずもない……
何度願ったことか……
あの方が私を手にかけて……
すべてを終わりにしてくれることをだ。
私の力は強すぎる。わかるだろ。私はエースなんだ。
あの方はエースを……そしてその力を求めていた……
だから解放されなかった。おそらくあんたとて、同じだろう……」
「お断りだね」ジェイはそう応え、
「ハイラム、頼むからそんな目にあわさないでくれないか」
「あの方には逆らえない。そう言ったじゃないか」
「じゃ俺はどうなる」ジェイはそう言葉を被せ、
「そんなことになるなら、殺してくれた方がましというものだ」
ジェイはそう口に出しつつも、自分がそんなことを言い出したのが
信じられずにいた。
それだけティ・マリスに対する恐怖が勝っていたということだろうか。
まるであの悪夢の中のようじゃないか。
そんなことを内心思いながらも、
これは悪夢ではないことはわかっていた。
けして覚めることなどないのだ。
ハイラム・ワーチェスターはその顔に突然理解が宿ったかのように、
「あんたを殺すだと」そう呟いて、何度も拳を握ったり開いたりを
繰り返し、それを見つめ、
「あの方はお怒りになるよ、ジェイ。あんたにはわからないんだ……
あの方に見捨てられてしまう……」
その言葉を聞いて、ジェイは皮肉に考えていた。
はたして見捨てるのはどっちだろうか、と……







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