ワイルドカード6巻第三章 その3

         メリンダ・M・スノッドグラス
           1988年7月20日
             午前11時


Pew信徒席にもたれつつ、
上唇に滴る汗を味わっている。
そうすることで息のつまるような暑さが和らぐとでもいうかのように。
Our Lady of Perpetual Misery永遠なる悲惨の聖母教会*>の
奥には4基の巨大なファンが据えられていて湿った空気を僅かに
かき混ぜてはいるにしても、
さすがに菫色のコートは脱ごうと考えたが、
脇に滲んだ汗溜りが目に付くのが憚られたばかりではなく、
クリサリスを弔うのに相応しくないと思えたからかもしれない。
なにしろジョーカータウンにとってクリサリスがどのような存在であるかを
攻撃的にならず尚且つ短く適切な言葉で表す必要があるにもかからず、
何をいっていいかわからず思いあぐねているのだから。
実際のところタキオンはクリサリスのことをほとんど何も知らないだけでなく
ある意味苦手だったといっていいだろう。
それにもかかわらず弔辞を述べなくてはならないのだ。
棺に目をやると遺体は花で覆われているようだ。
もしクリサリスの亡霊が近くを彷徨っているならば、
Living Rosary Societyリビング・ロザリオ会による魂の安息を祈る慌ただしい
物言いと鎖の擦れる音を耳にしていることだろう。
ジョーカーのジーザスが絡みついた青銅のhelix螺旋飾りを捧げ持ったaltar boy侍者の
先導に従った葬列が動き始め、
タキオンは二人の横に並んでその列に従った。
その列が淀んだ空気に踏み込んだということだろうか。
タキオンは突然むせこんで、
口にハンカチを当てることになった。
「正教のmumbo-jumboまやかしには虫唾が走る。
あの娘はBaptistバプテスト(プロテスタントの一派)を信望していた以上、バプティストの流儀で
葬るべきなのに」
その言葉にゆっくりと目を向けると、
信徒席で隣に座っていた男が発したものだった。
日に焼けた肌にも係わらず血色の良さの見て取れる巨漢の男が、
黒い喪服に窮屈そうに身を包み滴る汗を顎まで垂らしながら
悪態をついているではないか。
誰も何も言い出せず、タキオンも黙っていると、
男の方から声をかけてきた。
「わしの名はJo Jolyジョー・ジョリィ、Debraデブラ(クリサリスの本名)の
父親だ」
「この度はお悔やみ申し上げます」
タキオンがもごもごとそう口にしたところで、
きらびやかで上等な僧衣に身を包んだ烏賊神父が重々しく威厳に満ちた様子で歩み出て、
Altar聖檀の前に立つと、
Missalミサ典書を台に置いて、聴衆に向き直り、片手を上げて悲しみの込められた柔和な声で呼びかけてきた。
「祈りましょう」と。
ジョリィとタキオンも他の立っていた人々が跪くのに従って跪いた。
去年デズの葬儀のときにも同じようにしたものだった。
あのときは何を話すかがわかっていたではないか、
タキスの流儀で考えるのはやめるべきかもしれない。
そう考えて頭を垂れ、静かに腰を下ろしていると、
閉じた瞼から思考が溢れ出るようにゆっくりと涙が零れてくるのを感じていると、
小柄なジョーカーの待者が肩をつついてきて、
物思いから我にかえることになった。
小さなパンの欠片の入った籠を差し出してきたのだ。
手にとって一口噛んで籠に戻した。
口が渇いたように思えて咳き込んでしまい、
あまりあからさまではないもののとがめるような視線に耐えかねて、
ブランディを一口飲んで欠片を飲み下したところで、
烏賊神父の手招きに応じて、
Lectern聖架台の前に立ち、ハンカチで顔を拭ってから、大きく深呼吸をして
話し始めることにした。


「1987年の7月20日、ザヴィア・デズモンドを弔うためこの教会に集ってから
わずか一年にしか経っていないわけですが、そこでも私が弔辞を述べたものでした。
ここで再びクリサリスの弔辞を述べることは名誉なことながら、
何度目であっても友を葬らなければならないという事実には憂鬱にならざるを得ません。
最後にいきついた場所がここジョーカータウンというのはあまりにも寂しく思えてならない
からです。
ここに行き着いたという意味では、私もあなたがたも何ら変わるところはありはしないと
言えます……そうして一人また一人と失われていくのです」
タクはそこで言葉を切って、じっと手を見つめてから、
聖架台を掴んで、気持ちを落ち着かせるようにしてから言葉を継いだ。
「弔辞というものは本来亡き人を悼むためのものでありますが、
私は別のことを話そうと思うのです。
私はクリサリスのことを友と呼んでいましたが、
クリサリスと旅を共にして、そこで頻繁に顔をあわせていたとしても、
私は実際のところ、あの方のことを何も知ってはいなかったのですから。
あの人はクリサリスと名乗っていてジョーカータウンに住んでいた。
知っていたのはそのくらいのことで本名も……どこで産まれたか……
なぜ英国人であるかのようにふるまっていたか……どうしてあんなに
アマレットを好んだかすらも知りはしなかったのですから。
あの人が何に笑い……秘密を好み……何を抱え込んでいたのかも、
クールで近づきがたい雰囲気をまとわなければならなかったかも、
何も知ってはいなかったのです。
私はこういったことをアトランタからここに向かう飛行機の中で考えていました。
そして悼む言葉すら持ちはしないのではあるまいか。
それでもあの人の行いについてならば少しは話すことができるでのではないかと。
そう思い至ったのです。
あれは一年前、ギャングの抗争が起こってこの街が巻き込まれ多くの人々が危険にさらされた
ときのことでした。
クリサリスはパレスを開放することを申し入れてくれました……単なる避難所ではなく
我々の要塞として、
それは当然危険を伴うことながら、そんなことは御くびにも出さずにです。
あの人はジョーカー(不具の身)でありながら……損なわれたものなど何もないことを
態度で示していたのです。
あの人はその顔をけして仮面で包みはしませんでした。
あの人は常にありのままの自分をさらし……毅然としていたものです。
それはある種のナット(普通の身)の傲慢さと、
ジョーカーの持てるある種の勇気をも示していたのです」
滂沱たる涙が顔を覆い、話し続けるには声を張り上げなければならなかったが話すことを
やめはしなかった。
「祖先を崇めるかのごとく、
タキスにおいては死を悼むことは誕生のときより重い意味を持ちます。

その死は遺された者たちが愚かな行いをしないよう導くと考えられているからです。
それゆえにその人格に係わらずやすらぎと恐れを持って敬われると信じられているのです。
クリサリスの存在はやすらぎよりも恐れをもって受け取られていたのではないでしょうか。
それが何よりも私たちに必要なことと思えるのです。
あの人は殺害されました、その罪は裁かれなければなりませんが、
この国に蔓延するHate悪意を増長する風潮には、
……けして与さず……
隣人が恐れと不安に喘ぎ、飢えと貧しさを抱えているならば、
食と住とやすらぎを持って救いの手を差し伸べたいと思います。
その精神こそがあの人の示したものなのですから」


そこでタキオンは言葉を切った、人々の反応を推し量るように、
聖架台の上に並べられた願いのこめられたキャンドルの一つを手にとって、
その惑わすかのような炎に瞳を凝らして、聖架台に戻してから言葉を継いだ。


「たった一年の間に、ジョーカータウンは二人もの最も重要な指導者を
失いました。
我々はそのことに恐れと悲しみを抱えています。
それでも我々はここに集うことができたと考えたいのです。
共に手を携え……彼らの勝ち得た栄誉を汚さないようにすること、
それだけで彼らはけして忘れ去られることはないのですから」
跪いて、タクはブーツの鞘からナイフを引き抜いて、
聖架台にキャンドルを置いて人差し指をその炎に翳し、
その指をさっと切り裂いて、
己の血の一滴を炎に投じた。
「さらば、クリサリス」と言い添えて。




*Our Lady of Perpetual Mercy永遠なる慈悲の聖母教会というのが実際にあるというご指摘がありましたので
追記させていただきました・・・