ワイルドカード4巻零(ゼロ)の刻(とき)その4

            零(ゼロ)の刻

                      ルイス・シャイナー

ニューヨークにロンドン、メキシコでも、大都市では歩いていける距離に公園が点在している、
ペレには腰を落ち着ける時間も必要なのだ。
しかし東京ではそうもいかない、土地が高すぎるのだ。
それでもフォーチュネイトのアパートならば、駅から30分ほどの距離にある、4畳半と手狭では
あるが用をたす厠くらいはある、壁は薄汚れ、玄関は狭く、草も木も飾られてはいない。
それでも朝には、電車に乗り込もうとする人々で溢れ、その人々は白い手袋をつけた駅員によって
電車の中にすし詰めにされるのだ・・・

そこで一端カフェテリア方式のSushi Bar寿司屋に入ることにした。
内装は赤いビニール、白いフォーマイカ、そしてきらめくクロームだった。
店内にはベルトコンベアーがあり、それで客の間に寿司を運ぶスタイルらしい・・・

「ここで話を聞こう」そう提案したがジャヤワルダナの気には召さなかったようだ。
「いや食事をとるなら他の場所の方がいい、あなたが空腹ならば外で待つとしよう」
「いいえ、ここで結構よ」酢と魚の芳香はペレにとってあまり心地よいとは思えなかった
が、その答えは明快なものだった。
ここに着くまでの道すがら、すでに互いの近況を簡潔に話し合ったはずなのだが、どれも
曖昧模糊としたものにしか感じられはしなかった。
子供の経過は順調であり、健やかであるという、ジャヤワルダナにも儀礼的な言葉をかけは
したが、そこから得るものは何もありはしなかった。
「この書置きが残されていました」その言葉で示された手紙は、いつもの神経質なまでに丁寧な
ハイラムの筆致とは異なった乱雑なものであり、そこには、私用で視察を外れる旨と、具合も悪く
なく、後から追いつきたい旨が記されており、もしそれが適わないならば、ニューヨークで会える
だろう、とも認めてあった。
「どこにいるのかはわかっています、タキオンが精神探査で見つけてくれました、五体満足である
とは保障してくれていますが、それ以上はハイラムの精神に立ち入ることになる、誰にもそんな権利
などありはしない、といって探ってくれず、それ以来ハイラムのことには触れもしません、仲間が一人
いなくなったというのに、どうしてだか気にならないとでもいうかのように、だったら直接問いただし
た方がよいと思い立ったというわけなの」
「立ち入らない方がいいのじゃないか、君達二人はそれじゃいけなかったのかね」
「おかしかったのよ、カリブ海を過ぎた12月ころから変だったわ、まるで呪術師に呪いでもかけられた
みたいだった」
「何か異変が起こったとでも・・・」
「そう起こったのよ、あれは官邸で中曽根総理や政府高官たちと日曜に会食していたときだった、突然身なりのおかしい男がハイラムに近づいて、何か紙片を渡していた、それを見たハイラムの顔から血の気が引き、何かいってたようだったけれど、きっと大事だったのね、夕方には心配ないからといってホテルに戻ってしまったわ。
今にして思うと荷物をまとめていたのね、その晩にはいなくなってしまったもの」
「その紙を渡していたという男のことは何か覚えているか・・」
「シャツの下から覗いている手首に刺青が見えたわ、あまりにも緑に赤と青のイメージが鮮烈だった
から覚えていたの」
「おそらくそれは全身にいれられているのだろうな」
常日頃おそわれている偏頭痛が蘇ってきたのを覚え、こめかみを揉みさすりながらそう答えると
Yakuzaヤクザだな」その先をジャヤワルダナが補ってくれた。
その言葉を斟酌するかのように、自分とジェイワーデンの間で視線を彷徨わせてからペレは尋ねた。
「それは問題なのかしら」
「大問題だ・・ギャングのような存在だとすら噂されている」
そこでジャヤワルダナの言葉を引き継いで答えた
「いわばマフィアだな、およそ2500の独立したClan<組>、つまりOyabun(親分)、集団を束ねる親代わりのような存在であるドンのようなものだ、を頭にしたファミリーのような組織があるといわれている。
もしハイラムが彼らとトラブっているのなら、まずはどのClan組が相手かつきとめるべきだろう」
そこでペレが財布から一枚のメモを取り出し手渡してくれた。
「緊急の場合には場所を知っておく必要があるから、それに私は会いに行かないからと約束して、ようやくタキオンからハイラムのいるホテルを聞き出したところで、ジャヤワルダナから例のヴィジョンを聞かされたの、だからあなたならば・・・」
そこで紙に記された場所を見ずに言葉を遮った。
「今の私には、何の力も残されていない、アストロノマーとの闘いですべて使いきってしまったんだ」
そうだ、あれはニューヨークでの40回目のワイルドカード記念日だった、実際は
ジェットボーイのでかいへまで、町中に<あれ>がばらまかれ、数千人が死んだ日なのだが、アストロノマーと呼ばれた爺さんは、己の秘密結社エジプト系メイソンを壊滅させたエースを狩り出すには最良の日だと判断したのは実に皮肉な話だ、あのときイーストリバー上空で互いの力で発現させた燃え盛る炎をぶつけあい、そこで俺は勝ちをおさめたはずだった、ところがそうでなく、そこですべてをうしなってしまったんだ、その夜ペレと愛を交わし、そこで大当たりが、いやそんなことはどうでもいいのだが・・・
「それでもかまわない」そんな想いに染み入るかのようなペレの言葉が響き重なった。
「ハイラムはあなたに敬意を払っていたわ、あなたの話なら聞くと思うのよ」
実際のところ、ハイラムとの間にはしこりすらある、フォーチュネイトがアストロノマーを探るため利用して、結果的に見殺しにしてしまった女性はハイラムが想いを寄せていた相手であり、フォーチュネイト自身も同じ想いを抱いていた相手であったのだ、はるかな昔の話ではあるのだが・・・
とはいえここで道をたがえたら、もはやペレと会うこともないだろう、こんな身近にペレを感じることもなくなるのだから・・・
傍らに立つペレの存在は、そこに置き去りにして立ち去るにはあまりにも強力に感じられ、抗いがたくすら思えたのであった・・・
子を宿した母の強さとでもいうべきであろうか・・・高まる感情の中、選ぶべき言葉など多くありはしない。
「やってみるとしよう・・それくらいならばできるだろうから」その言葉をやっとのことで搾り出したのであった。