ワイルドカード4巻「綾なす憎悪パート5」その2

                綾なす憎悪

                        パート5

                 スティーブン・リー

                  1987年2月3日 火曜 ダマスカス

ホテルはHamidiyahハミディヤのSuqスーク(市場)に近く、古びた空気清浄機のたてる異音が混じりはするが、グレッグには市場の喧騒を通して、その活気とエネルギーを感じとることができる。
窓から見えるスークには、数多のDjellabaジェラバ(モロッコの民族服)がひるがえり、その明るい彩りが、Chadorチャドル(伝統的なイスラムの民族衣装)の重く陰鬱な黒い色彩を覆い隠すかのよう、狭い路地には色とりどりなテントのStallストール(露天)がひしめいており、様々な人々でごったがえし、そうした界隈にはつきものの、Atchen taa Saubi(飢えしもの、きたれ)といった春を貢ぐものたちの口上もまた聞こえてくる。

スークからウマイヤドモスクの1200年を経た白いミナレットに群がる人々を見回しつつグレッグは口を開かずにはいられなかった。

「まだワイルドカードの被害は受けていないように見えるだろうね、この20世紀現代においてだよ、そこが問題なんだ」
グレッグはため息をつきつつ続けた。
「それがヌール・アル・アッラーの政策なんだ、ジョーカーが表に出されることはない、彼らによって始末されているんだからね」
ベッドの上のセイラが、むきかけのオレンジをそっと置いて、眺めていたシリア公認の新聞<アル・バース>を放り投げてから答えた。
「スークで盗みを働いたジョーカーが捕まり、首だけだして砂中に埋められて、死ぬまで石飛礫にさらさられたそうよ、その判決を下した判事もたしかヌール・セクトの人間だった、そんな記事をポストで読んだ覚えがあるわね、投げられた石は小さかったそうだから、己の罪を悔いて死ぬまでの時間はさぞたっぷりあったことでしょうね」
グレッグはそう息巻いたセイラの乱れ髪を指で梳いてから、その頭をそっと抱き寄せて確かめるようなキスをしてから言葉をついだ。
「だからここにいる」さらに言葉を添えた。
「光のアッラー(ヌール・アル・アッラー)に会わなくてはね」
「エジプト以来、何だかがっついてないかしら」
「どこも大事なステップだよ」
「大統領になるのにかしら、中東は重要なステップというわけね」
「なんて生意気なLittle Bitch(かわいい娼婦)さんだろうね」
「あらLittle(かわいい)はいいとして、Bitch(娼婦)はいやだわ、せめて泥棒猫にしといてくれないかしら、それならあなたはセクシーな小豚ちゃんということになるわねぇ」
怒りがのせられたその言葉にグレッグはしれっと返してのけた。
「子豚ちゃんに一票は入れてくれないのかい」
「それはあなたしだいだわ」アル・バースにオレンジと皮を床に勢いよくぶちまけて、シーツをほうり投げ、グレッグの手を掴み、軽く指に唇を触れさせてから、その指を導いて己の身体の上をそっと沿わせつつセイラが甘く囁いた。
「投票には動機が必要よね、わたしにとってのそれは何かしら」
「必要なら何だってするさ」 そうとも パペットマンがこらえかねて口を挟んできた。
まずはヌール・アル・アッラーだ、彼奴を制すれば、座したまますべては思うままとなる。そうすればハートマン議員は手を汚さずに人道的調停者のままでいられるだろう、そうだ、彼奴の動きこそがこの一帯の鍵となる、そうして他のリーダーにすら糸を延ばせば・・
その考えはグレッグの面に笑みを浮かべさせるに充分なものだった、そうして浮かんだ表情に、くつくつと対応するかのような笑い声を立てるセイラ。
「血は流さないにこしたことはないわよね」
笑い声を立てながら、グレッグをかくん、と引き寄せ上に覆いかぶらせる体勢にしてからなお、言葉を重ねた。
「その実直な感じがいいのよね、Wet Spot(泣き所と濡れ場のダブルミーニングであるため、表の意味は情に訴える、だがセックスアピールという裏の意味もある)をつけばもっと票が集まるかも・・」
そうこうして数時間が過ぎたころ、遠慮しがちなノックの音がドアの外から響く。
「どうしたのかな?」
「ビリーです、上院議員、カーヒナと随員一行が到着しまして、それはすでに周知のものとなっています、そろそろ奥様もお呼びして会談会場に向かうべきかと」
「ちょっと待ってて」
バスルームの開いた扉から、セイラの落ち着いた声が響いてきた。
「しばらくここにいれば、ビリーが誰にも気づかれずに連れ出してくれるだろう、それから顔をだすといい」グレッグはドアのところに行き、少しドアを開けて、ビリーと何か打ち合わせてから、スイートルームに面したドアのところに素早く歩み寄り、そこをノックしてから奥の女性に声をかけた「エレン、カーヒナが到着したそうだよ」
そうして出てきたエレンがジャケットをグレッグに着つけながら、髪を梳かしているセイラに事務的な笑顔とともに、訳知り顔でうなずいて見せた。
彼の妻からはけだるい感触とともに、ちろちろ燻る嫉妬の感情がわずかながら立ち上っており、パペットマンはすかさず、その感情を冷め切った薄青い感情で覆い隠し、ならしてのけた。
それは容易い作業にすぎない、もともとエレンは結婚当初からこの関係に希望を持ってはいなかった、生家であるニューイングランドのボーンステル家の政治的地盤目当ての政略結婚でしかないことをわきまえており、政治家の献身的妻を演じることのみ期待され、そうであることに疑問は薄く、「夫のため」と口にして、もはや己の愛情をひけらかすことも、愛人の存在を公にすることもない、そう最も従順なパペットなのだ。
慎重にエレンの奥に秘められたわずかな感情を味わいながら、セイラを抱きしめる、そしてエレンの存在を意識したぎこちないセイラの抱擁をも楽しむのだ。
さらに深めることもできるのだよパペットマンが脳裏で囁いてきた。
感じるだろう、愛情が溢れてくるのが、その感情をわずかながらつついて変化させてやればいい、そうすれば極上の・・・
駄目だ、自分でも驚くほどの激情が内に迸る。
その女には手を出すな、決してサキュバスのようにしてはならない、セイラに触れることはわたしが許さない
その抱擁を感情の無い目でみつめながらも、口元に笑みをもとわりつかせたままエレンは事務的にたずねる「二人ともよく眠れたならいいのだけど」と、その言葉にはまったく抑揚と言うものがなく、冷たく焦点のさだまらない目でセイラに視線を添えつつも、グレッグに微笑みを向け決まり文句のような言葉を口にする。
「あなた、もういかなきゃ、ダウンズにあやしまれるといけないわね、そうなるとクリサリスに筒抜けになるでしょうから・・・」
エレンの言葉は伴奏にすぎない、そうして再び幕があくのだ・・・