ワイルドカード4巻「綾なす憎悪」パート5その6

                綾なす憎悪

                        パート5

                 スティーブン・リー

                  1987年 2月4日 シリア砂漠にて

「・・そういった存在がヌール・アル・アッラーだというのでしょうか?だとしたら、それはアッラーの意思などではなく、人のエゴに他ならないのではないでしょうか?」あえぎながら発せられたその声に、セイラは同意を示すべく大声で叫びたかったが、己の喉がそれを許しはしなかった。
皆意識を奪われたかのように立ち尽くしている。
ディガー・ダウンズのみが必死で、ノートに走り書きをしてはいたが、やがてペンを取り落とし、その手を止めざるを得なかったようだ。
走るような感情が己に感じられる、恐怖の感情が広がっている、グレッグも、誰しもがそうだろう・・
ここにくるべきではなかった、 、その声が己の内に轟いているに違いないのだ。
ヌール・アル・アッラーが並外れた雄弁を誇るとは聞き及んでいて、それに何らかのエースのパワーが絡んでいると疑いはしていたが、これほどとは誰も報じていなかったではないか・・・
アッラーに対する過ちがそのものの過ちの引き鉄となるのであろう」ヌール・アル・アッラーは平然と返してのけた。
その柔らかい口調は電波を乱すかのごとく、思考を麻痺させる、彼が話すと、その言葉はすべて、真実と思い込まされてしまうのだ。
「道を外れた行為に写るやもしれぬが、そうではない、徒に威を示すわけでもない、我が威を示すはアッラーの敵に対してのみ、情け容赦のない非情の徒に写るであろうが、
それはアッラーが罪人に対して容赦ないからに他ならぬ、ついてくるがよい」
そう言い放つと彼は、踵を返し、モスクに向かい、ペレグリンとハイラムはあとに従って着いて行っている。
ジャック・ブローンもまたうつろな目をして、預言者の後ろから、大股に歩み始めた。
ダウンズも自分同様、意識はあるようながら、引きずられないようにしつつも、よろよろとあとを着いていってしまっている。
その中で、タキオンのみが、ヌール・アル・アッラーの力に抗する術があるらしく、気を張って、広場の真ん中に立ち尽くし、ヘリの方を見遣りながら、動かないようにしているようだ。
モスクの中に灯る禍々しい灯りとは異なる灯りもまた外にはあるのだ。
柱に掛けられたオイルランプがその間の影を強め、その影は、教壇でありDais(広間の高壇、演壇 )であるMinbarミンバルの前に立つヌール・アル・アッラーを引き立てるかのよう、その右側にはカーヒナ、そして左側に控える巨漢はサィードに違いない。
オートマチックを構えた守衛は室内の至る所に溢れ、自分達闖入者を騒動の源として忙しく動きつつ警戒しているようだ。
アッラーの声に耳を傾けるが良い」トーンを落として発せられたその声は神がかっているとすら思え、静かながらも嵐のごとく轟き渡った。
そこに怒りと嫌悪がこめられたならば、その力はモスクを震わせ、崩壊したるその礫でもって人々を打ちすえるに違いないのだ。
「不信心なるがゆえに、誤った行いが為され不幸がもたらされる、それゆえもがき苦しみ、出口なき戸口にてうずくまることになろう、かのもの曰く、<偽りを囁く罪びとに災いあれ!>と・・・
かのものに伝えられしアッラーの啓示は、嫌悪といった感情に固執するものではない、であろうとも、その啓示をあざけるものにはおそるべき神罰が下されるであろう、主の啓示を拒むものは、その災厄によって苦悩と苦しみがもたらされるであろうぞ・・」
自然と頬を涙が伝い降りる、引用されるその言葉は、刻み付けられるがごとく魂を焦がし、溶かす酸のよう、そして己の一部が、ヌール・アル・アッラーに対し、許しを請うべく叫ぼうとすらしているのが感じられる。
グレッグはというと、ミンバルの傍で、ヌール・アル・アッラーに手を伸ばしてはいるものの、首に蔦が絡まったかのように動きを止め、その顔からは半ば表情も、悔恨の感情すらも薄れているかのように感じられる。
これでいいの・・こんな偽りに満ちた状況を許すというの
その思いは言葉になりはしなかった。
ヌール・アル・アッラーの声が深く反響するなか、ようやくその及ぼすエネルギーが弱まった
と感じたところで、乱暴に頬に輝く涙を拭いはしたが、その仕草にヌール・アル・アッラー
皮肉な笑顔を向け、さらに言葉を重ねてきた。
アッラーの力を感じるであろう、そなたがここに至り、敵と呼ぶ存在と、その神なる力の強大さ
を知ったがゆえ、それゆえに背骨を砕かれて(骨抜き、すなわち無力な状態であることを暗に示している)、それ以上に敗北することなどありえようか・・」
腕を上げ、拳を握り締めてさらに強調してみせた。
「ここに宿るはアッラーの力なり、この力をもちうればすべての不信心なるものを、この大地より掃討することも
可能であろう、守衛を呼び取り押さえられると考えておるやもしれぬが・・」そこで唾を吐き捨ててから続けた。
Ptahプタハ(愚かなことだ)、我が言葉もて檻となし、死を望むならば、一言命ずるだけでよいのだ、さすれば己が口に銃口を差し入れ引き金を引こう、イスラエルとてこの地上より切り取れよう、いかなるものであろうとも、アッラーの災厄をふりかけることも可能ならば、奴隷となすこともかなう、それでも我の示すアッラーの力を拒むならば、言葉も情けすらも意味をなしはしない、アッラーの拳を振るうのみぞ・・」
「それは許されることではない」それはモスクの外から響くタキオンの声、絶望的な状況でありながら、
その声で己の内に広がる希望というものをおしとどめることなどできはしなかったのだ・・・