ワイルドカード4巻「綾なす憎悪パート5」その5

                綾なす憎悪

                        パート5

                 スティーブン・リー

                  1987年 2月4日 シリア砂漠にて

なんと狷介で侘しい光景だろうか、ローターによって跳ね上げられた煤で薄汚れた窓越しながら、荒涼とした大地だ、
生命はといえば僅かな緑が砂漠地帯の乾燥した火山岩に張り付くように見えるのみ。
それでも海岸周りには肥沃なナツメヤシの農園が広がっているものの、3機のヘリがJabal Durizバル・デュリッツの山々を離れるころにはそれも姿を消し、あってもわずかなサンザシか狷介な低木のみ、そしてわずかな集落にはローブを身につけ、ターバンを巻いた人々がようやく伺え、ヤギ飼いたちが見上げて疑いのまなざしを向けているのが感じられる。
ヘリでの移動は長く、大気を切り裂く騒音が耳をつく快適とは程遠いもので、渋い顔が四方を取り巻くなか、セイラだけは、ともかく心ない笑顔を表情に貼り付け、向けられた困惑の視線に肩をすくめて返してくれた。
ヘリは先史の源流たる渓谷を、囲むようにはられた明るい色調のテント郡を眼下に見おろす形になっている小さな町に向かっている。
日は落ちかけ、不毛な丘を黄昏の色に染め上げ、周囲にはキャンプファイアーが点り始めたころ、ヘリのローターが砂埃を巻き上げ、
地上のカンヴァスに渦を描く中、ようやくビリーが沈黙を破った。
「直接着陸して問題ない、とJoanneジョアンは伝えてきていますが・・」
手をメガホンのように口に添えてエンジンの巻き起こす轟音に負けじと叫んでいる。
「個人的にはどうにも信用できないように思えてなりません」
「ビリー。我々は安全だよ」そう叫び返して、さらに言葉を添えた。
「いくらなんでもあからさまに手を出すまでにおかしくはないだろう」
それに対し、あからさまに胡乱な視線を向けてビリーは返した。
「やつらはfanatics狂信者ですよ、ヌールセクトは中東におけるあらゆるテロとのつながりが囁かれているのです、
やつらの誘いに応じて、本拠に乗り込んだ途端に、護衛が喉をかき切られたところで驚きもしませんがね」
カーニフェックス(ビリーの通称)は闘いたくてたまらないのだろうな、その声には不安よりも興奮が強く滲み出していたからだ、そこでビリーの精神に潜り、幽かな不安の予想とでもいうべきものを見出し、その感情を味わいつつ、膨らませておいた。
トラブルにおいては、猜疑心こそがより役にたつというものであろうから・・・
「まぁ心配してくれることはありがたいがね・・ここに来てしまった以上、
できることをやろうじゃないか、わかるだろう」
そう答えて残りのヘリもモスク近くの平地に着陸させると、そこからぞろぞろと人が降り立っていったが、タキオンのみは夕方の冷気に凍えているかのように身を硬くして降りるのに躊躇している様子であった。
ダマスカスから移動してきたのは視察団のわずかなものにすぎなかった、ヌール・アル・アッラーLoathsome Abomination忌むべき異形(ジョーカーのこと)のものたちがここに立ち入ることを許しはしなかった、彼が招待したもの名簿には、ファザー・スキッドといったジョーカーはあからさまに除外されており、そこにはクリサリスさえ含まれてはいなかったのだ。
ラーダとファンタシーは己の意思でダマスカスに残り、配偶者たちや科学チームのものたちの殆んども同様に留まることとなった。
そのヌール・アル・アッラーの尊大なる招待には怒りが高まり、全員で乗り込むべきではないか、との議論までなされたが、わたしがなんとかなだめすかすことになった。
「納得できる状況ではありませんが、彼の軍隊こそがここでは正規の軍隊であり、
シリアを支配するのみならず、その力はサウジにヨルダンまで及んでいることは間違いないのですから、そのセクトを束ねる長が誰であろうと、その教えややりかたに納得はいかなくとも、そこから眼を背けるわけにはいかないのではないでしょうか・・差別に暴力、憎悪が広がる中、何一つできなくとも、我々は直面しなくてはならない、そうしなくては痛みを和らげることすらできはしないのですから・・」
首をかしげるように振りつつさらに言葉をついだ。
「べつに宗教家をくさすつもりはないのですが・・もしヌール・アル・アッラーを避けるというのならば、
本国に帰ったところで、レオ・バーネットのような原理主義者を相手にすることなどできはしないでしょう、
どんなに眼をそらしたところで、立ち向かわない限り、差別は決してなくならないということを忘れないで
いただきたいのです」
そこでパペットマンが、ハイラムとペレグリンにそれ以外のものたちの開かれた精神から、同意の意思を拾い
上げてきてくれた。反対の意思を内に秘めながらも、その意義を己の内に押し込めているものも少なくは無く、
結局ヌール・アル・アッラーのところへ行くことになったのは、ハイラム、ペレグリン、ブローンにジョーンズといったエースに、リオンズ上院議員、ようやく私の説得に応じて同行することになったタキオン、そしてあくまで例外として同行を許されたセキュリティ要員にレポーターたちということになり、ローターの振動音が速度を緩めヘリのドアが開かれたところで、
ようやくカーヒナがモスクから姿を現した。
「ヌール・アル・アッラーは歓迎の意を示しています・・・それでは、こちらへどうぞ」
そのカーヒナの平然とした声に反して、ペレグリンが息を呑み固まった、そして広がる
パニックと憤りの感情。
何かから己を守るかのように、翼を身体に硬くまきつけたペレグリンの姿、肩越しに
その姿を目で追うと、モスクの傍の地面を、縫い付けられたかのようにじっと凝視して
いる、肩越しに伺えるその視線の先には、わずかな灯りがちらちらと灯るビルの陰、
その灯りにゆらゆらと照らし出されたもの、それは壁にもたれ、半ば朽ちた数多の姿、朽ちた骸が腐乱していたのである。
それだけではない、その周辺に投擲されたとおぼしき礫が散乱しており、その中に毛むくじゃらの鼻が突き
出し、尖った角のようになった爪を備えた明らかにジョーカーのものであるものが見て
取れた。
かなり腐敗して崩れてはいるが、嫌悪とショックが立ち上るかのように臭気として感じ
られる。
リオンズはあまりのことに蒼白となり、ジャック・ブローンはもごもごと呪いの言葉を呟い
ている、己はというと、嫌悪を露にしつつも、その内部でパペットマンがくつくつと歓喜の声を上げているではないか・・・
「これは何の暴挙だ」タキオンがそういってカーヒナに詰め寄っているのを目にし、そこでカーヒナの内に
精神を飛ばすと、揺らぐ困惑の欠片を見出し、その視線からこちらを伺う心持まで感じられる。
そのエメラルド色の瞳には強い信仰心が感じられ、その内に一瞬立ち上がった怒りが感じられたが、
一瞬眼を伏せて、再び顔を上げて気持ちを落ち着けかせてから、感情のこもらない口調でようやく言葉を返した。
「あれは・・・Abominationアボミネーション<異形なるもの>、アッラーによってその姿に印を刻まれしものたち、その刻印はすなわちヌール・アル・アッラーによって刻まれた定めと呼べるものなのです」
「もう充分です、これ以上はここに留まるべきではありませんよ、上院議員
タキオンはそういい捨てながらさらに言葉を継いだ。
「人権の見地からも見過ごすことなどできはしない、政府を通じて厳重に抗議させていただく」
タキオンが拳を握り締め、その高貴な面に抑えきれない怒りを滲ませながら言葉を発したまさにそのときであった、
モスクのアーチになったエントランスからヌール・アル・アッラーが姿を現したのは・・・
もっとも効果的な時間を選んだに違いない、暮れはじめた夜の闇を背景にして、
露出した身体からは幽かな光が漏れ出で、髪と髭のみがそこに影を落とすかのよう、中世の宗教家の描いたキリストの姿が顕現したかのような、神々しさが辺りに広がるかのごときその姿を人々の前にさらしたのであった。
それに影のごとく重なる声「ヌール・アル・アッラーこそがアッラー預言者である」それはしっかりした英語で発されているではないか・・・
アッラーの御心にそわぬならば、たちどころに放逐されるであろう、留まるを許さるるならば、それすなわちアッラーの意思に他ならぬ」
その声はチェロの名器のごとく響き渡り、従わずにはいられない、力をも秘めているように思われた。
誰一人声を発するものはない、皆動くことすら忘れている、己の意思を奪われているのだ。
タキオンですら例外でなく、ヘリの方を見遣ったまま動きを止めている、固まっているかのようだ。
その沈黙を破らなければならない、それでもグレッグの精神には靄がかかったようであり、言葉を発することはかなわない
・・・しかしパペットマンならば・・・
その力を持ってすれば・・・そうして搾り出された声は、微かながら決然としたものであった。
「罪なきものの生命を奪うことを許すと、そういった存在がヌール・アル・アッラーだというのでしょうか?」と・・・