ワイルドカード4巻「綾なす憎悪パート5」その4

                綾なす憎悪

                        パート5

                 スティーブン・リー

ホテルのドアを叩く音で目を覚まされた。
まだ思い通りにならない身体を引きずりながら時計に目をやると、現地時間で1時35分、
えらく遅い時間だ、まだジェット機関は調整中だし、グレッグが来るには早すぎる。
うすぼんやりとそんな思いを巡らせつつ、ローブを羽織り、眠たい目をこすりながら
ドアのところまで行きはしたが、ドアのまん前に立つ危険をおかしはしない、ここ
ダマスカスでは安全に細心の注意が必要なのは身に染みているからだ。
ドアの中央にある覗き穴の上から屈みこむようにして寄りかかり、外に目を凝らすと、
チャドルを身にまいた典型的なアラビア女性の姿がレンズによって歪んで見てとれる。
チャドルのヘアバンドにあしらわれた青いビーズと同じ色をした印象的な瞳には見覚えが
あった。
「カーヒナですか」そう尋ねると
「はい」というくぐもった声がHallway(廊下)から漏れでて、さらに言葉が続いた。
「話すお時間を・・どうかいただけませんか」
「少し待ってください」そう答え、髪をかきむしりつつ薄いレースのついた寝巻きをより露出の少ないものに
着替えてから鍵を開け、かすかにドアを開けると、屈強な手が差し込まれ、こじあけられる
かたちで開け放たれて、思わずヒィっと上ずった声をあげてしまった。
ハンドガンを大きな手で携えた屈強な男がそこに立っていた、その男はわずかな一瞥ののち、
部屋に押し入って、クローゼットを開け、バスルームを覗き込んでからしかめっつらをして
またドアのところに戻ってきて、アラビア語で何かをまくしたてたところで、ようやく
カーヒナが部屋に入ってきた。
後に付き添ってきたボディガードが後ろ手でドアを閉め、不動の姿勢でカーヒナの背後に
控えている。
「申し訳ございません」言葉はごきちない英語だったものの、目には暖かいものが滲んで
いるように思える。
そこでカーヒナは後ろの守衛を視線で示してから言葉を継いだ。
「わたしたちの社会では女性の立場は極めて・・」
「わかっていますよ」そう答えると、後ろの男からかなり胡乱な視線をむけられて、
ローブの帯を握り締め、首に掛る部分を引っ張り上げ身震いしたつもりだったが、
思わずあくびが漏れ出てしまい、ヴェールに隠れてはっきり見えはしないが、カーヒナ
の面に笑みが広がったように思えた。
「こんな時間に押しかけて眠りを妨げたことを改めてお詫びいたします、夢のお告げが
あったのです・・」そこで所在無げなしぐさののちおずおずと尋ねてきた。
「掛けて、よろしいでしょうか」
「どうぞ」そう答え、窓際の椅子を示したが、そこで守衛がまた不快を露にして
明瞭なアラビア語で何かをまくし立てた。
「窓際はよろしくない、といっています・・安全ではないからと」
そうカーヒナが通訳したのを受け、部屋の真ん中に椅子を移動したところで、守衛
は満足したのか、壁にもたれかかって押し黙ってくれた。
そこでカーヒナは暗い色調のローブの衣擦れする音をたてつつ着座したところで、
ようやくセイラも腰を落ち着けることができた。

「会見の場にいらしていたでしょ?」皆が腰を下ろしたのを確認してからカーヒナが口を開いた。
「記者会見のことをおっしゃっておられるならば、たしかにその場にいました」
カーヒナはその言葉にうなずいてからさらに言葉を重ねた。
「はじめての顔ではありませんでした、アッラーの夢でお会いしていたのですから、そして今宵も
またアッラーの夢の啓示がありました、それゆえここに出向いたのです」
「また夢にわたしが出てきたと」
チャドルに隠されてうなずく、その表情が読み取れはしないが、その視線の強さは感じることができる、
それでいてその奥に共感と優しさ・・そして温かみすら感じさせるものだった。
「それは会見の場でのものでした」そして多少言いよどみはしながらも言葉をついだ。
「ヌール・アル・アッラーはわたしの夢の内容を耳にしてから、あなたがたと会うかどうか判断する
ことになるでしょう、わたしの役目はただ夢の内容を告げるだけなのですから・・」
「それならばどうしてここに、わたしはあなたの弟ではありませんよ」
「ここにくることをも夢に見たからです」
その言葉を首を振るしぐさで制止してから尋ねた。
「ならばどうしてわたしなのですか、凡百のレポーターの一人にすぎませんでしょうに・・」
「<カレ>を愛しているのでしょ」
答えはわかっていたが、それでも反射的に叫んでいた「<カレ>、とは?」
「<二つの顔を持つ男>です、<糸を引く男>ハートマンのことです」
その言葉に答えられないでいるセイラの手の上にカーヒナが己の手を差し出し、そっと
重ねてきた。
そのしぐさは姉が妹にするような気遣わしげなものであり、すべてを見透かすかのよう。
「そのものはかつて憎悪せしもの」そして手のみならず言葉をも重ねてきたのである。
その明け透けで繊細な目には嘘がないことがみてとれる、ならば・・・
「そうかもしれませんね、あなたがSeer千里眼をお持ちならば、それがどういう結果を産むかも
ご存知なのではありませんか?」冗談めかしたものいいをしはしたが、カーヒナはそれを
社交辞令で返すことも、話をそらすこともしはしなかった。
「一時は幸福を得はするでしょう、ただしそれは妻ではないという、背徳の意識とともにある
ものです」言葉とともに指にも力がこめられたように感じられる。
「それは憎悪を伴ったものであり、なまくらな刀で切られたかのように、気がつくとじわじわと
痛みをもたらすもの、そういうものだと私も理解しています」
「まだ頭がぼんやりとしているのよ・・カーヒナ」そう答え、腰を落ち着けようとしつつも
どこか夢の中のようであり、グレッグがここにいてくれたら、とそんな思いを持て余していると、
カーヒナが手を引きつつ言葉をまた重ねてきた。
「夢の話をさせてください」そして目を閉じ両手をひざにかさねて、再び語り始めた。
「ハートマンには・・ふたつの顔がありました。
ひとつは見目麗しい顔、もうひとつはアッラーのしろ示す醜く捩れた怪物の顔、その傍らにはあなた、
奥様ではなく、そして柔和な笑みを湛えている。
あなたは彼に対する感情に戸惑っているのが感じられました、憎悪が変化したものをおそれてすらいるようです。
そこには私と弟の姿も、そして弟が、ハートマンの怪物の顔を指し示すと、怪物は唾を吐き、その唾が私に滴って、
私の顔があなたのものと重なり、あなたの眼を通して私自身を見ました、その私の顔、ヴェールの下の顔は、
醜く唾を吐く怪物のものでした。
そしてハートマンが手をのばすと、歪んだ怪物の顔が明らかにされました。
そこでぼんやりしたイメージの混乱はさらに深まり、私はナイフを目にし、サィード、私の夫がわたしと
争っているさまを目にしました。
そこで突然イメージが鮮明となり、Dwarf侏儒を目にしたのです。
そして侏儒が語りはじめました。
内なるものに目を凝らせ、憎悪の脈動を感じ、そして己に言い聞かせよ、
努々忘るることなかれ、其は死に絶えておらず汝を守るであろう
、と・・
そう言い放ち、哄笑を響かせた、それは邪悪な響きであり、わたしは好きになれませんでした」
その言葉とともにカーヒナが目を見開くと、恐れとも呼ぶべき感情が広がった、そこでセイラもそれを抑えるべく
再び口を開こうとしたが、それはたどたどしいものとしかなりはしなかった。
「カーヒナ、それがどういう意味を持つかは私にはわかりません、私にとっては・・・夢は雑多なイメージの
羅列にすぎませんから・・あなたのそれは・・ 何か特別な意味を持つものなのですね・・」
アッラーから授かりし夢です」はじめは躊躇していたが、何かに突き動かされたように語り始めた。
「内にその力を感じ、理解したことがあります、弟はあなたがたと会うことになるでしょう」
「グレッグ、いえハートマン上院議員も視察団の者もみな、それを聞いたら喜ぶことでしょう。
そして信じてほしいのです、私どもには、あなたがたに協力する意図しかありはしないのですから・・」
「ならばどうしてあんな恐ろしい啓示を見たのでしょうか・・」
「変化というのは、ときにはおそろしく感じるものでしょう」
その言葉にカーヒナは目をしばたたいていたが、突然目の光が失せて、ヴェールの影に沈んでいった
かのように感じられたのち、再び口を開いた。
「少し話しすぎたようです、ヌール・アル・アッラーもそれを喜びはしないでしょう」
そう言い放つと立ち上げって、守衛とともに早足でドアへと向かっていってしまった。
「お会いできてよかった・・つぎは砂漠でお会いしましょう」
ドアに差し掛かったところで「カーヒナ」と声をかけると、
ようやく立ち止まって振り返った、そこで思い切ってたずねてみた。
「まだ話したいことがあるのではありませんか?」
ヴェールの影に表情を隠したままカーヒナは答えた。
「夢の中でわたしはあなたの顔をまとっていました、ですからわたしは
あなたが肉親であるように感じたのかもしれません・・似通った感情を
抱いているように思えたのです、それでは一つだけ申しおきましょう・・
あなたの愛する者のわたしへの振る舞いは、それすなわちあなたへの振舞いと重なることでしょう、それだけを伝えておきたかったのです」
そう話すとカーヒナは守衛にうなずきかけて、足早にHallway廊下に出ていってしまい、セイラはその姿を見失ってしまった。
まるで夢の中のよう、そのときのセイラにはまだそうとしか思えはしなかったのだ。