ワイルドカード4巻「綾なす憎悪パートⅤ」その3

                綾なす憎悪

                        パート5

                 スティーブン・リー
そんなにうまくいくはずがなかったんだ。

秘書のジョン・ワースンが色々事前に調べていて、知らせてくれはしたが、実際にウージィとソビエト製のオートマチックを構えたアラブ人の守衛が壁際に配置されているのを目にしては、ビリー・レイとしても、グレッグにタキオンといった主だった視察団メンバーに対する護衛の強化を図らざるを得ず、エースと(ことに)ジョーカーはアル・アサッド主席に伴われて市内観光に追いやられたのも妥当というべきだろう。
そうしてそのものものしい体勢の中、実際現れたカーヒナは、そうあまりにも小柄で、通訳と無骨なベドウィンドレスに身を包んで座している三人の男たちに囲まれながら、布で覆われた額の辺りにわずかながらトルコ石のビーズを散りばめた程度のどちらかといえば質素な服装の女で、ヴェールの下から覗かせた漆黒の瞳を、好奇に輝かせて、辺りを見渡しているではないか。

上院議員イスラム社会はことに女性に対して保守的な気風で知られています・・・」
ジョンの切迫した声はさらに続く
「それでもここに出て来れたことすらかなり横紙破りなことながら、Prophet Twins(双子の預言者)の片割れであるためとくに許されたとも、カーヒナとその弟がSihrシフルと呼ばれる魔術を用いるとも噂されています、ヌール・アル・アッラーを勝利に導く名参謀であり将軍でもあるサィードの妻であり、カーヒナでありながらも、かなり自由な気風の教育を受けてはいますが、それでも西洋人ではないのですから、ちょっとしたことでも用心しなければ侮辱と受け取られかねません、ですから、ああJesus(何たることでしょう)、ことにタキオンにはですが、自重するようにお伝えいただきたいのです」              
話題の主である当のタキオンは、というと、スークのバザールにちょっと顔を出した、とでもいわんばかりの、普段着にちょっとひねりを加えた装い、といった感じながら、そこはタキオンである、熱い気候ゆえか繻子の服はすでに脱ぎ捨てており、映画によくあるシェイクのヴィジョン(映像)と言った装い、すなわち赤いシルクの袋ズボン、だらしないリネンのシャツの上に、手の込んだ金襴の施されたジャケットを羽織り、身体のいたるところにビーズのついた輪をじゃらじゃらとぶらさげ、髪は精緻な頭飾りに隠され、長い脚の先には上を向いて沿っているスリッパを引っ掛けたといった体たらくだ。
もはや何も言うまい、そう決めたグレッグは、ともあれ手を振るしぐさでエレンに椅子を薦めて、カーヒナと、タキオンを見ないように勤めているその側近たちにもうなづいて着座を薦め、「Marhalaマルハラ(遠路大儀)」と声をかけると、カーヒナは瞳に宿る光を強めながら、首をかしげつつ言葉を返してきた。
「私自身は英語を片言しか話せませんが」それは強いなまりがありはするが、落ち着いてゆったりとした声だった。
「ラシッドの通訳するアラビア語と併用すれば、意思の疎通も容易となることでしょう。」
そこでグレッグは渡されたヘッドギアを手に取り、それをつけてから用件をきりだした。
「我々と、ヌール・アル・アッラーの会談を実現するべくカーヒナが御尽力下されば、それに勝る喜びはございません」
ヘッドギアから流れる通訳の柔らかい声を聞きながら、カーヒナがうなずいてから、そこに何やら早口のアラビア語を迸らせるかのごとく語りかけた。
「これだけ近しい地に至れしことすら名誉であろう、上院議員どの」
ラシッドのハスキーな声による通訳がそれに続いていく。
「アラーとその言葉を伝道するものを信じぬものは灼熱の業火に包まれるであろう、と聖典に伝えられておろうゆえ」
そのあまりなものいいに思わずタキオンに目をやると、頭衣の下のまゆをつりあげ、肩をすくめているではないか。
「私どもはヌール・アル・アッラーと平和に対するヴィジョン(構想)をわかちあえるものと信じております」グレッグの答えはゆっくりとではあったがしっかりとしたものだった。
それを耳にしたカーヒナは何かに興をそそられた様子で答えた。
「私がここに来たのはヴィジョン(予見)にしたがってのことでした、ヌール・
アル・アッラーはそれを尊重したのです、彼自身はあなたがたが去るまで、砂漠の地より動きはしないことでしょう・・」そこからカーヒナの言葉はアラビア語で続いたが、ラシッドは沈黙したまま訳しはせず、非難の目を向けているカーヒナにしかめつらをむけており、先をうながすカーヒナのしぐさに、ようやく意を決して次の言葉を搾り出しはした、ところが
「・・それはすなわちカーヒナの夫君であるサィードさまの提案にヌール・アル・アッラーは従ったまでです、異形なるものと、それらを伴いしものどもは共に弑されるべし、とのお考えもそれに含まれておいでなのですぞ」
その言葉は激昂し立ち上がったタキオンに椅子を倒させ、共和党のリノス議員が怒りを押し殺せず、思わずグレッグの耳元に「いかれているのはバーネットだけだと思っていたが、そうではないらしい」と囁かせるほどであった。
迸り高まる感情が、マインドリンクを試みていないパペットマンにすら感じられ、グレッグの中で舌なめずりをしたほどであった。
供の者達もカーヒナのあまりにもあけすけなものいいに渋い顔をしつつも、遮るのははばかられていたのだ、ラシッドの言葉は、そうした者達を何やら上気させいきまかせるに充分のものであったのだ。
どうやらTwin(双子)の預言者の間にはTwinn(もつれた)感情があり、それが噴出したということがそこから容易に推測できるというものだ。
そうして壁際の守衛が緊張を強め、国連と赤十字の代表団が不安を囁き始めた。
その混乱の渦中にある当のカーヒナは指を組んで座し、沈黙を守りつつまじまじとグレッグを見つめている。
その視線は驚くほど強いもので、不自然に視線をそらさないように努力せねばならないほどであった。
そこで長い指を組んで前かがみになって物思いにふけっていたタキオンが重い口を開いた。
「あなた方がいうところの『異形なるものたち』に罪などありはしません」
さらに悲痛な声を絞り出した。
「もし責任があったとするならば、それはむしろ私の同族にあったといえます。
あなたがたは単に運がよかっただけなのです、感染するに際しては何の分け隔てもなく無差別なものであったのですから、そのことに感謝して、嫌悪と暴力をジョーカーたちに向けるのではなく、思いやりをこそ示すべきではないのですか」
カーヒナの供の者達がそのAlien(異邦のもの)に怒りの視線を注ぎながら、何やらもごもごつぶやいているが、その言葉にようやくカーヒナ自身が厳かに答えた。
アッラーSupreme(至高なるもの)です、たとえウィルス自体が無差別なものであったとしても、たれがそれに値し、たれが打ち負かされるべきであるかはアッラーの意思によりて決められたものでしょう」
「力のあるものを神とするならば、エースはどうでしょうか、彼らはブッダやアマテラス、翼ある蛇と同列に語られるべきですか」
アッラーの意思は単純なものではありません、聖典に語られし言葉こそが真実であり、その真実を私はヴィジョン(啓示)として受けるのです、そしてヌール・アル・アッラーが語るのはアッラーの意思であり、それこそが真実であり、それを人が斟酌しようとするのは愚かと呼べるのではないでしょうか」
どうやらタキオンの言葉は痛いところを突いたとみえて、カーヒナの言葉はいらだちを帯びたものに
なっていた。
タキオンはその言葉を首を振るしぐさで制してさらに言葉を重ねてのけた。
「愚かさは人という存在そのものに由来するというべきでしょう。
神と言うものはすべからく人という存在がつくりあげたものであるということに想いをはせるべきではありませんかな」
そうだ、神をしたてあげるのだ。その考えはグレッグの中で興奮とともに広がり大きいものとなっていった。
カーヒナでもかまわないではないか、ヌール・アル・アッラーに等しい有益なパペットになるに違いないのだ。
カーヒナの影響力というものをうかつにも考慮していなかったではないか、イスラム社会の原理主義者たちの中において、女性には何の力も持たされていないと考えていたのだが、これならば使いみちがあるというものだろう。
カーヒナとタキオンの間の険悪な空気を察し、グレッグが手で制止するしぐさをしつつ、賢明になだめるかのような声を割り込ませた。
「まぁまぁ、ドクター。それにカーヒナも聞いてください、我々はあなたがたの信仰を冒涜するつもりも、それに疑問を差し挟み論争するためにきたのでもありません、ワイルドカードウィルス問題に対する政府の対応を援助する意図でここに来たのです。
幸いといってはいいかわかりませんが、我々にはあのウィルスとの係りには一日の長があるといえましょう、多くのものが私達の国では感染し、苦しめられてきたのです、
また我々自身も異なる技術や治療法を学ぶこともあることでしょう、そのためには中東でももっとも影響力のある人物、それすなわちヌール・アル・アッラーに他ならず、かの方にこそ力添えいただくのが最善だと考えたのです」
その言葉にタキオンに向けていたカーヒナの視線が弾かれたかのようにグレッグに戻された、その紅褐色の双眸に宿された憤りはもはや感じられはしない。
アッラーの夢にあなたが現れました
そこでのあなたは、指先から無数の糸を垂らして、それを引くことで、結びついた人々の蠢動するさまが見てとれたのです」
My God(そんな莫迦な)!
動揺のあまり椅子から立ち上がりそうになり、パペットマンは必死に鼻面を突き出そうとしているではないか、こめかみの脈動が強まり、頬が紅潮しているのを感じる。
なぜ知ることができたんだ・・その思いをむりやり抑え、強いて笑顔を作り出し、唇に笑みをはりつかせ言葉を搾り出した。
「それは政治家ならば誰でも夢みることでしょう」気の利いた言葉を聴いたかのように装わねばならない・・・
「それができたとしたなら、投票用紙のどの候補に丸をつけるか、コントロールしたことでしょう」
その言葉にあちこちから笑いが巻き起こる、これでいい。
そこでさらに口調を真剣なものとし効果を演出するのだ。
「もしそのようなことができたなら、あのときも大統領候補から外されることもなかったでしょうに、ともあれあなたの弟君と会えるように糸を引いて、策謀しているというならそのとおりでしょう、あなたの夢はそういう意味ではないのですか?」
きょとんとした表情で、グレッグを見つめながら、ようやくカーヒナが答えた。
アッラーは霊妙なり、と申しますから・・」
タキオンがいるとて何を躊躇ことがあろうか、相手がエースであったとてそれは危険の内にも入りはしない、さぁ手を伸ばせ、その女の口添えがなければヌール・アル・アッラーに会えはすまい、さぁ・・・そうグレッグをせっつく内の力を押し込めながら、カーヒナに尋ねた。
「ヌール・アル・アッラーを説得する手立てはないものでしょうか?」
早口のアラビア語に続いて、レシーバーにラシッドの声が響いてきた。
「それを為しうるはアッラーのみ・・」
「アドバイザーたるあなたならば、語ることは可能でしょう」
「たしかにダマスカスに来れたのも、アッラーの夢を伝えたからですが・・」
その言葉に周囲は騒然となり、その一人は肩を揺さぶって、何やら小声でがなりたてているようだったが、カーヒナは首を振る仕草で制して、さらに言葉を継いだ。
アッラーの夢で語られたことに耳を貸しはしますが、それだけのこと、私自身の言葉には何の重きもおいてはくれません」
そこでタキオンが再び椅子から立ち上がって口を挟んできた「上院議員、これ以上は時間の無駄というものじゃないかね、シリア政府がクリニック設立に難色を示すならば、他の手立てを考えるまでだよ」
辺りを見回すと、うなずくものも多く、カーヒナの周りには息巻く人々が垣間見える、そこでグレッグは腰を上げ、ひとまず収拾を図るべく口を開いた。
「ならばこれだけは伝えて欲しいのです、実際御自分の目でご覧になれば、
そこには恐れるべき敵などいないということをお分かりいただけることでしょう、と是非お伝え願いたいのです、手を差し伸べに来た、それが全てなのですから、と」
カーヒナが立ち上がって、ヘッドギアを外したところを見計らい、とりまきの反感を買うのも厭わず、自然なふうを装ってカーヒナの手をとった。
そして振り払われないのを確かめてから、手を伸ばして距離を少しあけ、言葉を紡ぎだした。
「ローマに行っては、ローマ人のようにふるまえ(郷に入っては、郷に従え)と申します」
ラシッドの通訳で生じるタイムラグはあるだろうが、その効果を確信しつつ、さらに言葉を重ねていく。
「これは異なった習慣かもしれませんが、互いが理解しあえた、と判断したときに、我々は互いの手を取り合ってそれを示すのです」
これでいい、もはやこれまでと思えもしたが、これなら喜んでもかまわないだろう。

未知の力を秘めたエースのこころはすでに開かれたのだから・・・

傍らに立ち、視線を注いでいるタキオンの存在が厄介ではあるが・・・

漆黒の闇のごときローブから覗くその手はあまりにも白く儚げに思える・・・
           何をためらう必要があろうか・・・   

その声に促され、曲がりくねり分岐した過敏な神経を避け、障壁や罠を探り、それに沿いつつ

触れぬように、そしてけして気づかれず迅速に、その精神に滑り込む。

ことさらエースとの接触には用心をかかしはなかった、その相手にメンタルパワーのあるなし
に係わらずその姿勢を崩しはしなかったのだ。

だがこの娘は、カーヒナは、俺の侵入に気づいてもいない。

今は入り口を拓いておくだけでいい、そう言い聞かせると、パペットマンがその奥に見い出し   

た感情のうねり、渦とも呼べる芳醇なそれを感じ、舌打ちを禁じえない様子だった。

カーヒナのこころは、純粋でありながら入り組んだものであり、その内には強く淀んだものが

満たされているのだ。

ゴールドとグリーンに彩られた希望に対し、疑い、憐れみと彼の者のしろ示す世界に対する嫌悪が
交じり合い、その奥に羨望が敷き詰められ、暗い光をちろちろと窺わせている、それこそが弟に
対するカーヒナの感情に他ならない。

その軌跡を逆にたどって行くと、純度の高い、苦い痛みとでもいうべきものが見い出された、  
それは慎重に覆い隠されていたようで、アッラーを体現するヌール・アル・アッラーに対する敬虔な
感情、といったより穏やかで安全な感情で覆われ、隠されているようだ。
それに触れ、生気を高め、脈動させる。
それはわずかな時間でなされた、すでに手は引かれているが、首尾は上々といえよう。
そして数秒ののちには、己をなだめ、カーヒナの傍らで、なにごともなかったかのように
笑顔をうかべてみせた。
いや浮かんだといった方が正しいかもしれない、カーヒナは気づいていない、ゆえに安全な
ままだ、なによりもタキオンが疑いを抱いてすらいないのがいい・・・
「お越しいただいたことに感謝いたします」そこに言葉を重ねていく。
「我々が求めていることは相互理解であることをヌール・アル・アッラーにお伝えいただきたい
のです。
なぜならQur‘an聖典の出だしは寛容であれ、でなかったでしょうか、それは慈悲深くあれ、
ということではないでしょうか、それこそを我々は望んでいるのですから」
「それはあなたがたのGift(利益:恵み)となるでしょうね、上院議員」英語で発せられたその言葉の影に、
開かれた精神から嘆きの感情が感じられる・・・
「それだけではないのです」そして言葉を継いだ。
「それはカーヒナ自身のGift(恵み)になる種子となることでしょう」
それは満面の笑みで彩られたものであったのだ。