ワイルドカード4巻 綾なす憎悪パート5

                 綾なす憎悪

                        パート5

                 スティーブン・リー

                  1987年2月1日 日曜 シリア砂漠

ぴしゃりとナジブに一度打ち据えられたが、ミーシャはひるまなかった。
「あの男が来るのです」と言い放ちすらしたのだ。
「夢でアッラーが告げたのです、ダマスカスに赴き、あの男に会わねばなりません」
モスクを包み、深まりゆく闇の中で、ナジブが、宝石の散りばめられた祈りの方向を
示すくぼみであるMihrabミフラーブ、を照らす緑色のビーコンであるかのように光輝き、
預言者のヴィジョンが示す、アラーの怒りが顕現したかのように夜の闇の中で異彩を放ち
つつ、ミーシャの表明した決意に答えず、タイル貼りの柱の一つに巨体をもたれかけている
サィードにまず目をやると、
「ならぬ」それに応じてサィードが意義を唱えた。
「それはヌール・アル・アッラーの意思に反することだ」
サィードは、ミーシャの弟の前にこいねがうかのようにひざまづき、サィードのうながすことも、そして兄の意思すら拒んで見せたミーシャに抑えがたい怒りを含んだ視線を向けつつ言葉を継いだ。
「アボミネーション(異形なるもの)は弑さるるべし、不信心たるものを諭すは刀の反りをおいてのみ、あなたのその言葉を実践してみせましょう、バースの政府とてわれらの前にいかな力を持ちましょうや、アル・アサッドすら、ヌール・アル・アッラ
ーの言葉の前では打ち震えるのみでありましょう、わたしが信仰篤きものどもとダマスカスに赴き、その信仰の炎にて、アボミネーション(不信の怪物)どもを焼き尽くしてご覧にいれましょう」
その言葉を受けて、ナジブの肌は輝きを増したかのように思われ、サィードの示唆することに高ぶっているかのようでありながら、その唇は、嶮しく結ばれたままであった。
そこでミーシャは首を振って弟に言葉を促すべく言の葉を搾り出した。
「弟よ」懇願のしぐさとともにさらに続けた。
「カーヒナの告げしこととして耳をお貸しください、幾夜にも及び同じ夢を見ました。
われらのうち二人がアメリカのものとともにあり、ギフト(恵み:才能)を目にするのです、そうして新たな過ち、踏み外されし道がみえたのです」
「叫びとともに目覚めを促した夢をヌール・アル・アッラーに語るが良い、そのGiftギフト(恵み)は危険を感じさせたのだな、このハートマンとやらは異なる顔を示したのではないのか」
ミーシャは夫の顔をまじまじとみつめ答えた。
「新たな道は危険を伴うものです。
そしてGiftというものは常に、それを受け取るものを縛るものでもあるのです、あなたの指し示す道もまたヌール・アル・アッラーに対して危険でないと言い切れましょうか、それは暴力を導く道でしかありはしないのではないですか?
ヌール・アル・アッラーの強大な力は、西洋のものどもをすべて打ち負かすにたる力でしょうか、ソビエトが静観しているのは、手を汚さずにすむからのみではないでしょう」
「ジハードは綺麗ごとではない、闘いなのだぞ」サィードはたまらず言い募ると、ナジブがうなづきつつ、柔らかな光を放射する手を鷹揚に振りながら言葉を発した。
アッラーは信仰なきものどもをそのかいなで打ち据えるという」
同意を求めるかのように続けた。
「同じことをするだけではないか」
アッラーの夢がそうしてはならぬと告げているのです」言い募るミーシャにサィードが尋ね返した。
アッラーのではなく、そなたの考えであろう、ヌール・アル・アッラーがそうしたとて、異教徒どもに何ができようか?
せいぜい西の民がイスラムの者に捕らわれるというのが顛末であろうに、生きながらえた者のみの特権であろうが・・
いかにしてダマスカスに至り、アル・アサッドに不平をたれたとて、実質シリアを治めたるはヌール・アル・アッラーの御手なるゆえ、シリアのみならずイスラムの半ばはヌール・アル・アッラーの御手にあると言ってよい、彼奴らがいかにどなりちらし、叫び、嘆き悲しもうとも、それが何になるというのだ、いずれにせよ我らにまみえるしかあるまいに、Ptahプタハ(エジプトの創造神)にかけて明白であろう」サィードは足下の精緻なタイルに唾を吐きつけつつ続けた。
「彼奴らは、風の音に、アッラーの哄笑を聞くであろう」
「彼らを守るものの存在を伝え聞いています、たしかエースと呼ばれる者たちがいるとか」
「われ等にはアッラーの加護がある、その力ゆえ、Shahidシャヒード(殉教者)たるにためらう民もおるまいに」
ナジブに何かを期待してその手を見つめるミーシャにナジブが答えた。
「サィードは、アッラーの夢を軽々しく斟酌するは、力の神たるKuwwa nuriyahクワ・ヌーリャを軽視するに等しいといいたいのであろう」
「それはいったい」
ナジブは手を下ろすしぐさをして続けた。
アッラーの御力は声に宿る、そなたの存在そのものが力を持つのだ、彼奴らにまみえようとも、そなたの声に打たれし信仰深きものどのが、かたをつけてくれるであろう、そしてヌール・アル・アッラーのみが異教徒たちに、アッラーの信仰をもたらすであろう、それこそがお二方に託されしアッラーの誉れではなかろうか」
ナジブは答えず、ミーシャは青ざめた顔と、その眉間に寄せられた深い皺から、彼の感情を推し量ることができたと思え、ナジブが視線を外したことでその想いは強まった。
Praise Allah(まったくなんてことをいってしまったのだろうか)これでまたぶたれるに違いないのに。
それでも耐える価値はある、ミーシャはそう自分に言い聞かせながら、まだうずく頬の痛みから意識を
そらすことにした。
「サィードよ」そこでようやくナジブが、窓にかかったすだれ越しに町を見やりながら口を開いた、その声の響きゆえか輝きも薄れたように思われる。
「ヌール・アル・アッラーが決断を下すのです、わたしの言葉に耳をお貸しください」
サィードはさらに救いを求めるように続けた。
「わたしはKahinカーヒン(預言者)ではありません、わたしが先を示せるのはいくさのうえでの道のみ、ちからをもつのはヌール・アル・アッラーそのひとであり、われらが行使するはかの者の力であるべきなのです」
ナジブがMihrabミフラーブに目をやりながら答えた。
「サィードよ、カーヒナがダマスカスに赴き、アメリカのものどもに会うを許してはくれまいか?」
「それがヌール・アル・アッラーの意思ならば」サィードの堅い響きの言葉にナジブが
念を押した。
「それがヌール・アル・アッラーの意思である、ミーシャよ、夫とともに立ち戻って旅の支度をするがよい、そして使節に会い伝えるのだ、汝らの運命はヌール・アル・アッラーの手にあるとな」
冷たいタイルの床に膝をつけ、その上をサィードの視線を感じながらも、目を伏せたままミーシャが出て行くと、ナジブは首を振りながら渋い顔のサィードに声をかけた。
「妻の前で侮辱を受けたと感じたのであろう、友よ、そなたをないがしろにしたといいたいのであろう」
「あの者はあなたさまの姉君で、カーヒナであらせられます」
落ち着きを取り戻したサィードの声に、ナジブが微笑んで答えた。
「ならば問う、サィードよ、そなたの申すように我は強くあれるだろうか」
そう答えたナジブの口は輝く面の中に、ぽっかり穴が空いたような暗い淵のように思われた。
In Sha‘Allahシャー・アッラーの御名において(とんでもない)、信じぬことは申し上げませぬ」
「あなたさまのPlan(深慮)には、今ではなく、尚ここでなく、ダマスカスこそが適した地でありましょう、いかにも・・ここはヌール・アル・アッラーの地でありましょうから」
そう答えたサィードの口元には笑み、何かを飲み込んだ、ともいえる表情がその面に浮かんでいたので
あった。