ザヴィア・デズモンドの日誌

                   ザヴィア・デズモンドの日誌                    


                     G・R・R・マーティン

                    1月30日 エルサレム


おそらくこの日誌が人目にふれるのは、わたしがこの世を去ってからのことでしょう。
今夜起こったことを記すべきかどうか迷いましたが、そのときにはわたしはこの世にはいないのですから
あえて記すことにしました。
1976年に起こったこと(ジョーカーによる暴動)を忘れてはならないように、JADL(ジョーカー反誹謗同盟)は語らずとも、すべてのジョーカーもこの教訓を胸にとどめおいておくべきだと考えたからです。

ファザー・スキッドと教会を離れたときに、一人の老女から紙片を手渡されました。
そのときは知り合いなどこの辺にいただろうか、としか思いはしなかったものです・・
紙片に目を通し、気鬱を理由に、歓迎レセプションの参加を辞退しました。
よくあることながら、今回は目的があってのことです、
部屋である人物と会食するためでした。
ジョーカーズ・クォーターでも英雄と目されている指名手配された犯罪者、危険な男です。
Mission仕事の際にはエルサレムの警察やインターポールなど様々な機関から「ブラックドッグ」や
「ハウンド・オブ・ヘル(地獄の番犬)」などと名づけられた由来となる黒い犬を思わせる鼻の突き出したマスクをつけるテロリストでありながらテル・アヴィヴに家族を持ち頻繁に会いに行っているという記事を目にしていてこの男が気にかかっていたのです。
その男はいつもとは異なる銀のラメのついた蝶の形をしたフードを身に付け、何食わぬ顔で現れました。
「予想とは違っていただろ」そこで彼はさらに言葉を重ねました。
「ナット(常人)の認識なんざ抜けたもんさ、2度同じマスクを写真にとられただけで、それが素顔だと
思い込むんだから」
彼(仮に「ハウンド」と呼ぶことにしましょう)はブルックリンに産まれ、9歳のときに家族とともにイスラエルに移住してきて、ここの住民となったとのことでした。
そして12歳のときにジョーカーになったのだそうで
「まったくこんな遠くにまで来たっていうのによぉ、ワイルドカードは追っかけてきやがった」
さらに自嘲しつつつけ加えました「だったらブルックリンにいりゃよかったのによぉ」
そうしてエルサレムと中東のワイルドカード感染者に対する政策について話すことになり、彼はTwisted Fistsトワイステッド フィスツ(捩れた拳)という名のテロ組織を率いていることまで正直に打ち明けてくれました。
もちろん彼らはイスラエルにとってもパレスチナにとっても非合法な組織です。
そしてぬけぬけと悪びれもせずいってのけたのです、彼らの活動資金のほとんどは実質ニューヨークのジョーカータウンから出ていると・・・
「あんたは気に食わないかもしれんがね、Mr.Mayor(名誉市長殿)」ハウンドがさらに追い討ちをかけてきました。
「あんたの市民はそうじゃない」
そしてこの旅に同行した視察団のジョーカーにも資金の提供者がいることを囁きました、もちろんその名前を明かしはしませんでしたが・・・
それから中東でまもなく戦争がおこると語り始めたのです。
「つけがまわってきたのさ」
イスラエルパレスチナもいまだかつて互いを守る国境をもったことはなく
どちらも経済的に自立した国家ではありません。
そして互いにテロリストの行った非人道的行為を非難しあっています。
おそらく双方ともに正しいのでしょう。
イスラエルはそれを根拠として正当性を主張し、Negevネゲブ砂漠とWest Bankヨルダン川西岸の領有を求め、
対してパレスチナは沿岸のPort港の領有を求めています。
どちらの国家も1948年のパレスチナ分割により住処を失った難民
で溢れており、その返還が求められています、実際に統治している国連
以外の勢力はどこもエルサレムを求めてやみません、彼らにとっては
それがGood War聖戦になるならばなお更重大なのでしょう、48年のNasrによるあの事件までは、イスラエルが優勢だったかもしれません、たしかにベルナドッテはエルサレムの調停でノーベル平和賞を授与されたかもしれませんが、それは最終的な決着などではなく、苦さを含んだ小休止にすぎないといえます、なぜなら生命を奪われた人々の存在をけして忘れられはしないことを誰もが知っているからです、わたしがそのことを口にすると、彼は肩をすくめてこう答えました。
「死ねばすべては終わる、そうでなくとも、傷もいつかは癒え始めるはずだった、不毛な砂漠を二つにわるような腐った割譲案がまた火をつけ、40年に及ぶテロと恐怖による憎悪の連鎖、それはやがて戦争にまで高まる。
そうなればベルナドッテがいうところのエルサレムの平和などあったことすらも忘れ去られる、それどころかその割譲による憎悪によって彼が暗殺されたところで驚きもしないがね(実際の歴史では1948年09月17日にベルナドッテ伯は暗殺されているのですが・・)、なぜならその割譲はイスラエルにとって都合がよく、パレスチナにとっては嫌悪すべきものに他ならなかったのだから」と答えました。
それでも40年前にも平和であったこともあったのですね、と彼に重ねて尋ねると
「一時的に膠着状態に陥っていただけで本当の平和じゃない、互いの恐怖心は生き続けている、
イスラエルが軍事的優位を手にしていたとしても、港を領有するアラブ人にはエース部隊がいると
囁かれているからな。
それにアラブ人がバグダッドからマラケシュの広範囲でNasrMemorial記念碑を建てようとして、イスラエル人によって爆破されている、そうやって公平でないことが示されて煽られているんだから忘れようがあるはずもない、だがそのバランスも崩れるかもな、イスラエルも軍隊から志願者を募りワイルドカードの実験を行い、彼らもエースを得たって情報も入ってきている、それは我々ジョーカーにとって身の毛もよだつ話だがな、そこでアラブ、主にヌール・アル・アッラーは、そこで誕生したおこぼれを指して、イスラエルを「Bastard Joker Nation(おぞましいジョーカー国家)」と読んで殲滅を宣言したわけさ。
それを古のKhofコフが黙って手をこまねいていると思うか、そうじゃない、時間の問題だ、時期を計っているにすぎないのさ」
「報復が、始まるのですね」
そこで彼はセミオートのピストルを取り出して私たちの間のテーブルにおきました、それには長いロシア語の名が刻まれていました。
「彼らが互いに殺しあうぶんにはかまわない、だがクオーターに手をだしたらどうなるか、それを奴らに知らしめる必要があった、だからジョーカーが一人殺されたら、五人やつらを殺し返してやるのさ、そうすりゃいくらいかれたヌールでも理解するだろうからな」
そこでハートマン上院議員がヌールとあって、その問題に対する平和的解決法について話しあう予定のあることを
話すと、彼は笑ってそれに対しては答えはしませんでしたが、それからジョーカーにエース、ナットの関係を、暴力に非暴力、戦争と平和、友愛に復讐、殴打と抱擁についてさらに夜を徹して語り合い、そして彼に尋ねたのです。
「なぜわたしに会いにきたのですか?」
「手を貸してほしい、ジョーカータウンの知恵袋ともいうべきあんたならば、ナットどもの社会に喰いこんで
資金の援助を引き出すことも可能だと考えたのさ」
「断るといったら・・私にはあなたのやろうとしていることが、ギムリが10年前にやった(ジョーカーを先導して暴動を引き起こした)ことと変わりないようにしか思えはしませんから」
ギムリだと?・・やつは理想主義者だったかもしれんが、俺はそんなだいそれたことは考えちゃいない、己の身を守ろうとしているにすぎないんだぜ、まぁいいさ、あんたが俺たちトワイステッド・フィスツの助けが必要になることがないことを祈るとしよう、レオ・バーネットって野郎も、ヌールに負けず劣らないわからずやという話をタイムで読んだぜ、もし出番となればブラックドッグはブルックリンに里帰りして、ツリーがライトアップされるのも見ることができるだろう、なにしろ8歳までいてもドジャースの試合を一度も見にいけなかったからな」
心臓が止まるような静寂を感じ、そこでテーブルに置かれた銃を見つめていましたが、何とかその視線を外して
受話器に手をかけ、ようやく言葉を搾り出しました。
「保安要員を呼べば、あなたを止めることもできます、
そうすれば無用な流血はさけられますからね」
「あんたはそうしない、そうだろう、
俺達は似たもの同士さ、そうだろう?」
「似てなどいません」
「ジョーカーはジョーカーにすぎないのだろ(それでも人間であることには変わりはないがね)」
かつて希望とともに己に言い聞かせた言葉が思いがけず返されてきました。
そして銃をホルスターにおさめ、マスクのずれを直してから、部屋を出て行きました、わたしは
その姿を永遠にも思える数分間の間、エレベーターのドアが閉まるまで、間抜けに椅子に腰を沈めた
まま見送るしかなかった、そこでようやく手に受話器を持ったままなのを思い出し、それを力なく
降ろしたのです・・・