ザヴィア・デズモンドの日誌 

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                     G・R・R・マーティン

                    1月30日 エルサレム

エルサレムOpen City (分かち合われた都市)だと人は言います。
たしかにイスラエル、ヨルダン、パレスチナ、英国といった国連から委託された理事による共同での
統治がなされており、三大宗教の聖地ともされてはいます。
たしかに国土自体は分かち合われていてはいます、それでもその痛み自体はわかちあわれていないのではないか、そう思えてしまったのです。
それはそうでしょう、4世紀にも及ぶ流血の歴史を思えば、どんなに神聖だとうたわれようと、たとえ不敬とせめられようとも、訪れることじたい嫌悪すべきだと思えてなりません。
ハートマンとリオン両上院議員は理事や議員との会食をともにしている一方で、残りの我々は、防弾ガラスで覆われた特殊なリムジンの中で、爆弾対策としてボディアーマーを着込んで、国際都市における自由な午後というやつを満喫することになりました、エルサレムという都市は、いわばそのものたちがどこから訪れて、どんな信仰を持った旅人であるかに拘わりなく、互いを憎悪してばらばらに吹き飛ばしてしまう爆弾を抱えた、実際には分断された都市と言えるのではないか、とも思えてなりません。

二日前にはまだベイルートにいて、ベイルートからエルサレムへの日程は、昼夜を徹しての旅ではありましたが、レバノン美しい国であり、ベイルートはこじんまりしていて平和で穏やかといってよい状態でした、そこには様々な事件が起こりはしても、多様な信仰の調和によってそれは解決されているように思えました。
それは中東(もちろん世界全体においても)稀なことなのかもしれません。
それなのにエルサレムでは、30年に渡って人口が増えるにつけ、恒常的に暴力行為や暴動が起こっており、ロンドン大空襲時のイギリスでもこれほどひどくはなかったであろうと思われるほどでありました。
また遠くからマシンガンの轟きが響いてきていますが、もはやそれすら気にならなくなってきていることに驚かざるをえませんでした。
しばし嘆きの壁*(イスラエルのテロリストによるAl-Hazizアル・アジズ暗殺の報復として1967年に、パレスチナのテロリストによってかなり破壊されてはいましたが)の前で停車してもらい、降ろしてもらいました。
ハイラムは落ち着かなげに辺りを見回して、拳を握り締めてすらいます、まるで騒動が起こるのを待ち構えているかのようです、どうもハイラムは、ここのところ苛立ちがちで、すぐに怒り出したり、不機嫌だったりしますが、まぁアフリカで目にした事柄を考えると当然のことでしょう、そこで壁から落ちかかった破片が目に付き、それに触れてその歴史に思いをはせました。
壁の石に開いた銃弾の跡よりも、その方が重要であるように思えたからです。
ほとんどのメンバーが、その後ホテルに戻りましたが、わたしとファザー・スキッドは寄り道をすることにしました。
ジョーカーズ・クォーターに立ち寄るためです、そこはジョーカータウンに次ぐ世界で二番目(もちろん規模はかなり小さいものではありますが)のジョーカーコミュニティであり、イスラム世界においては、わたしたちの類は決して暖かく見られはしないゆえ、中東中から集まった人々が、わずかながらとはいえ、武装した国連の平和維持軍による保護下で暮らしているのです。

クォーターの汚さたるや、言語を絶したものがありますが、それでもエルサレムのどの場所よりも安全であるのは実に皮肉な話といえましょう。

クォーターには彼らの作り上げた、彼ら自身を人々のあざけりや好奇の視線から隠す壁が築かれているのです。
それは彼ら自身の中にもあり、彼らを守っているのでしょう・・・
確かにその中には、ナット(常人)の姿はなく、人種も信仰も係わりなく平和に暮らしています、彼らがムスリムユダヤ教徒キリスト教徒であろうとも、信仰の深さや、Zionistシオニストユダヤ人国家建設を目的とする活動家)やヌールの信徒であるなしに係わらず、彼らは根底にある共通のものにより結び付けられている、それはジョーカーであるということです。
憎悪に偏見、どのような痛みをかかえていようとも、ジョーカーであるということの前にはすべては平等となるのです。ジョーカーはジョーカーにすぎません、その前には他のことなどたいした意味などもちはしない、おそらくそれはエース同士としたところで変わりはないのでしょうから・・・
そしてここにもジーザス・クライストの信仰はあり、エルサレムにもジョーカーの教会はあるのです、ファザー・スキッドはわたしをそこに連れていってくれました。どちらかといえば建物自体は、教会というよりモスクといった風情ながら、それは外見のみの話で、多少古く
より痛んで修復されてもいませんが、中はジョーカータウンにある教会とも、さして変わりはないようです。
そこでファザー・スキッドはキャンドルを灯し、祈りを捧げました。
そして手狭で荒れ果てたRectory教区牧師舘に立ち戻り、ファザー・スキッドがそこの牧師
ラテン語でたどたどしい会話を交わしている傍らで、我々は酸味の強い赤ワイン
を分かち合いました、そして数ブロック先からは、変わらずオートマチック兵器の
銃火の響きが届いてきています、あれも対話の手段かもしれませんが、だとしたら
とても哀しく思えてならないのです・・


嘆きの壁ユダヤ人はこの壁に額をつけ、神殿の荒廃を嘆き、涙を流してその回復を祈る。